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第16話 彼女の真実

「人聞きの悪いことを言わないで。私が前の夫を殺したとか、一郎くんを殺そうとしてたって、どういうことかしら?」


綾乃さんは、相変わらず柔らかい笑顔のままだけど声が少し低くなった気がする。


「10年足らずの間に、5回結婚して5回も死別している。そんなことが偶然起こるはずない!」


「ひどいっ!!」


綾乃さんは真っ白なハンカチを手に取り口に当てた。僕の方にも非難の視線を向けている。


「どこで変な噂を聞いたか知らないけど、最初の夫は交通事故で…。それから再婚した夫はみんな働き過ぎたせいで…。夫の体調を気遣えなかった私も悪かったかもしれないけど、それで私が殺したって決めつけるなんてひどすぎる…。」


「そうですよ。少しは言葉に気をつけましょうよ。みなさん労災認定されていて過労死だったみたいですけど、だからって綾乃さんが殺したなんて言い過ぎですよ。」


「ほれっ!一郎も騙されてる!言っておくけど、君も殺されてもおかしくなかったんだからね!」


「そんなことありませんよ。あっ、生命保険に入ったことを言ってるんですか?確かに最初は死亡保障を厚めに付けて申し込みましたけど、保険会社の調査が入ったんで結局、100万円くらいしか入ってませんよ。むしろ医療保障のために加入したんです。それぐらいの保険金で僕を殺すなんてありえません。」


「ひどい…。私は、一郎くんのことを真面目に好きだったのよ。それなのにそんな保険金目当てみたいに言われるなんて…。」


綾乃さんの目から涙がこぼれ、ハンカチを目に当て始めた。周囲のテーブルからは何事かという遠慮のない視線が向けられている。


しかし、美香さんは自分の主張を引っ込めようとしない。むしろ腕組みをして傲然と綾乃さんの方に厳しい視線を送っている。


「保険金狙いじゃないことはわかってる。私も最初は保険金狙いだと思った。だけど、前の旦那さんにも、ほとんど生命保険は掛けてなかった。それは調べがついている」


「そんなことまで調べたんですか?」


「聡美さんに聞いたら知ってたよ。前の旦那さんの遺族の方も、再婚したばかりで亡くなったことを怪しいと疑って警察に相談したけど、生命保険には入ってないし、別にお金持ちでもないし、労災認定もされてるから、殺人なんてことはないだろうと取り合ってもらえなかったとか…。」


「そうです!警察の方もちゃんと調べてくれて、私が無実だって証明してくれてます。決めつけで変なこと言わないでください…私の夫たちへの冒涜ですよ…。」


綾乃さんは真っ赤な目を向けながら涙声で美香さんを非難した。だけど美香さんはまったく動じない。


「人間だったらそう考えるじゃろう。だけど、悪魔の目はごまかされん。」


自信たっぷりの美香さんの言葉に、綾乃さんの瞳がキラッと鋭く光った気がした。


「ちょっと…、そんなはったりやめてください…。美香さんは悪魔とはいっても何も特別な能力はないんでしょ?失礼ですって。もう別れてくれるって言ってるんだし、それでいいじゃないですか!」


あまりに目に余るので小声でたしなめたけど、美香さんは首を横に振った。


「いや、許しちゃいかん!こんな奴を野放しにしちゃいかんのじゃ!」


「そこまでおっしゃるからには何か証拠があるのかしら?」


綾乃さんの低い声が響いた。小さな声だけど、もはや承知しないという凄みを感じる。


「おかしいと思ったのは、2番目の夫以降、みんな突然過労死しているというところじゃ。綾乃さんの話では、もともと全員のんびりしたタイプだったのに、結婚してから急に猛烈に働き出して、それで過労死したとか…。」


「それは…私と結婚して、息子もできて家族を守らないといけないと思ったから。まさか、私が無理やり働かせて殺したって言うつもり?そんなことできるわけない…。あんなに私たちに尽くしてくれたあの人たちに…」


綾乃さんは首を振り、ハンカチを口に当てながら声を殺して嗚咽を漏らし始めた。


「そうじゃのう。普通の人間なら無理じゃ。だけど、おめえ悪魔に夫の『怠惰』を食わせたじゃろ!」


「はっ?」


僕は目を丸くして、また美香さんと綾乃さんを交互に見た。

美香さんは腕組みをして目を閉じ傲然としている。

綾乃さんは下を向きながら肩を震わせ始めた。


「どういうことですか?」


僕の問いかけに、美香さんは目を開き、小さくため息をついた。


「人間の大欲は、過ぎると一郎みたいに悩みの種になることもある。だけど本来は人間が人間らしく生存するために必要なものなんじゃ。ほれ、この間、本城課長に傲慢を売り渡した女がいたじゃろ。彼女は、もともと夢に一途だったのに傲慢を売り渡してしまったせいで、すっかり無気力になってた。」


「そういえば…。麻梨香さん、人生を楽しむとか言ってましたけど、たしかに音楽への情熱も頑張って生きようって気力も失っていた気がします。」


僕は、夢に向かって一直線に走っていたかつての麻梨香さん、そしてすっかり無気力になっていた今の麻梨香さんを交互に思い出し、納得した。


「傲慢は直接生存には関係ない欲じゃ。だから失っても無気力になる程度で済んだ。だけど、『怠惰』は、聞こえは悪いけど生存に必要な大欲じゃ。頑張って疲れたら休む。そうしなきゃ壊れちゃう。怠惰はそんな時のブレーキだ。もし怠惰を売り渡してブレーキを失ったらどうなるか…。」


「死ぬまで頑張り続けちゃう…。」


美香さんは険しい顔でこくりとうなずく。


「こいつは、悪魔と契約して夫の『怠惰』を売った。悪魔からその対価を受け取って、こんな優雅な暮らしをしとるんじゃろ!!対価は色欲に比べて格段に安いが、それでも一生分売れば一財産になるからのう!」


美香さんから厳しい眼光を向けられた綾乃さんは、ずっとうつむいたまま肩を震わせている。


泣いているのだろうか?美香さんも言い過ぎじゃないか。


そんな思いで見つめていると、どこからかクククッと忍び笑いのような声が聞こえて来た。


えっ?耳を疑った瞬間、綾乃さんが顔を上げた。おかしくてたまらないというように歯を見せて笑っている。


「半分正解で、半分不正解ね。確かに前の夫たちはみんな悪魔に『怠惰』を売った。だけど悪魔と契約したのは私じゃない。夫たちよ。」


綾乃さんは、しばらくクククッと笑い続けた後、「あ~、おかしい」と言って笑うのを止め、真剣な表情になった。


「二番目の夫である康太は、最初の夫が亡くなって幼子を抱えて、しかも借金があることもわかって途方に暮れている時に、私に同情してプロポーズしてくれた。私と息子の太一の生活を支えて、一緒に前の夫の借金も返してくれると言ってくれた。だけど、私は断っちゃった。だって、彼はうだつのあがらないただのサラリーマンでそんな稼ぎもない。しかもだらしなく肥え太って怠け者で、とても好きになれるとも思えなかったし…。」


綾乃さんは唇の端を歪めニヤリと笑った。

さっきまでの優雅な姿から一変したニヒルな表情に面食らった。隣にいる美香さんも、豹変ぶりに圧倒されたのか固唾を飲んで見守っている。


「正直に私の気持ちを康太に伝えたらがっかりしてたわ。だけど、しばらくして懲りずにまたプロポーズしてきたの。問題を一気に解決できる方法を見つけたって…。」


「それが、悪魔と契約して『怠惰』を売るって方法だったんですね?」


答えを急いだ僕の言葉に、綾乃さんは人差し指を顎に当てながら右に首を傾げた。


「う~ん、それも半分だけ正解かな~。最初は『暴食』を売るって言い出したの。だけど、それを売ったら本当に死んじゃうからやめてって私が止めたのよ。そしたら、『暴食』は半分だけにして、代わりに『怠惰』を売ることになったの。そのお金で借金は返せたんだけど、食欲を半分失った康太はガリガリに痩せて、しかも休まず働き続けて過労死しちゃって…。あの時は哀れだったわね。」綾乃さんは口に手を当ててクスクスと笑った。


「哀れって…あんたのために頑張ったんじゃろ!それに3番目以降の夫はどうなんじゃ?あんただって悪魔を怠惰を売れば死に至ることはもうわかっていたじゃろが!」


顔を真っ赤にして身を乗り出す美香さんを意に介さないように、綾乃さんはまた指を顎に当て、今度は左に首を傾げた。


「う~ん、私からお願いしたわけじゃないのよ。ただ、馴染みの悪魔さんを紹介しただけ。それに借金は返せたけど、太一くんを私立の小学校に入れたかったし、お友達に恥ずかしくないお家に住ませてあげたかったし、海外旅行にも行って色々な体験をさせてあげたかった。だから、夫たちにはもっと頑張ってほしいな~って伝えたかな。そしたら、気づいたらみんな、揃いも揃って『怠惰』を悪魔さんに売っちゃって。あれには驚いたな~。」


「ふざけんな!!おまえがそうなるように仕向けたんだろ!」


美香さんがバンッとローテーブルを平手で叩いて立ち上がった。また周囲のテーブルが静かになり、遠くからスタッフさんが歩いて来る様子も見える。


だけど、綾乃さんはそんな美香さんの様子が見えないように落ち着いて紅茶のカップに口を付ける。


「私がいると悪魔さんが騒いじゃって周りにご迷惑かけるみたいね。私はもう行くわ。一郎くん、ありがとう。私は一郎くんのことだけは、打算抜きで本気で好きだったわよ。」


綾乃さんはハンドバックと伝票を手に取ると、僕に向かって優雅に微笑み、小さく手を振りながら立ち上がった。

そのまま立ち去るかと思いきや、おもむろに僕たちに顔を近づけ、声を潜めて囁いた。


「そうそう、悪魔さん。今度、私の次の夫と会っていただけるかしら?もういい年なのに性欲の強い人でね。『怠惰』だけじゃなくて、『色欲』も買い取ってくれると嬉しいわ。」


「おめぇっ!!」


顔を真っ赤にして掴みかかろうとする美香さんの肩を掴み必死で抑え、綾乃さんに対して「早く行ってください」と目で促す。


「あらあら、あなた悪魔なのに潔癖な考えをしてるのね。そんなので大丈夫かしら?いいわ。馴染みの悪魔さんに頼むから。じゃあごきげんよう。」


興奮する美香さんを必死で抑えながら、優雅に歩き去る綾乃さんの後姿を見つめた。

美香さんを刺激するから、そんな煽るようにゆっくり歩かないでほしいな…と思いながら。


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