第12話 これぞ悪魔!!
「あ、あの…。本城課長…。き、奇遇ですね…。」
「ああ、あまつかくん。スーツを着て今日は休日出勤でしたか?たしか申請は出てなかったと思いますが。」
「しゅ、しゅみません…。」
向かいの席に座り、大人の男らしい余裕そうな笑みを浮かべている本城さんに対し、美香さんは身を小さくしながら強張った表情。
一瞬で二人の関係がわかった。厳しい上司とダメな部下だ。
「ねえ~、本城さ~ん。なんか私のセフレがさぁ~、この悪魔と結婚するって言ってるんだけど、人間と悪魔って結婚できるの?」
だるそうな口調での麻梨香さんの問いかけに、本城さんは目を見開いた。
「おやおや、あまつかくん。本当ですか?人間との恋愛は悪魔の世界では御法度ですよ。」
「い、いぇっ…ちがいましゅ…。こ、この人は私の契約相手です…。」
眼光鋭く睨みつける本城さんに、美香さんは一瞬で陥落した。
しょうがないな。ここは僕がフォローするしかない。
「すみません。結婚するというのは嘘です。実は、僕は悪魔であるあまつかさんに色欲を独占的かつ排他的に一生分渡すという契約をしたんです。だからもう麻梨香さんともそういうことができなりました。」
「おやおや…驚きました。あまつかくんが色欲をいただく契約を取ったと聞いていましたが、その相手があなたでしたか…。」
口では驚きましたとは言っているが、本城さんの表情はまったく動かず、余裕なまま変わらない。
「え~っ、それ何とかならないの~?私、一郎のことはセフレとして気に入ってんだけど。」
「う~ん、困りましたね~。悪魔にとって契約は絶対ですからね~。」
困りましたねと言っているが、本城さんの表情はまったく困った感じがしない。
むしろ髭面をにやりと歪めて不敵な笑みを浮かべている。
「ああそうだ。あまつかくん。ちゃんとお客様に対価をお支払いしたんですか?色欲の対価を…。」
その言葉に、美香さんがひゃっと声を上げ、少しのけぞった。
「いえ、あの…その…、まだです…。」
「ああ、それはいけないですね~。対価を渡さない契約が禁止されていることは知ってますよね~。」
本城さんは大げさに手を広げ、少し演技がかった口調で驚いたような声をあげた。美香さんはその声にビクッとし、握りこぶしを手に置いたまま肩をすくめ、ブルブルと震え出した。
「いや~、あまつかくんが色欲の契約を取って来た時、心配したんですよ。あまつかくんに対価を払えるのかって…。色欲は他の欲と比べて段違いに価値が高いですからね。しかもそれを一生分、独占的に買い付けるなんて…。無茶にもほどがありますよ…。」
「はい…。」
すっかり小さくなった美香さんの声はもはや蚊が鳴くよりもか細い。これは役者が違う…。
「あの、色欲の対価ですけど、僕だったら別に構いませんので。もともと強すぎる色欲に振り回されて困っていたので、引き取ってもらって助かってるくらいなんです。それに一昨日も危ないところを助けてもらいましたので…。」
震える美香さんを見ていられなくて、思わず口を挟むと、本城さんが僕の方に視線を向けてきた。
その茶色い瞳は、象のように優し気だが、有無を言わせぬ迫力がある。
「お客様にそう言っていただけるのは大変ありがたいのですが…。人間保護法でいただいた大欲に見合った対価を渡さなければいけないと決まっているんです。対価を渡さないで大欲だけを奪うと契約は無効になり、契約をした悪魔は厳しく罰せられる…。たしか10万年以下の煉獄行きでしたかね…。」
本城さんは顎髭を撫でながら、ちらりと美香さんの方に視線を送る。
美香さんは顔面蒼白で目もうつろだ。
「あまつかくん、いったいどうするつもりなんですか?」
本城さんの口調が少し厳しくなった。
視線も鋭く、何とも名状しがたい迫力がある。
張り詰めた空気に固唾を飲むことすら許されず、騒がしい居酒屋の中で僕たちのテーブルだけ異常な沈黙に包まれた。
「ああ、そうだ。ここにいる皆さんが幸せになれる名案を思い付きました。」
その沈黙を破ったのも本城さんだった。さっきまでの鋭さとは対照的に、優し気な声音で、うっすら笑顔すら浮かべている。
「山口様。まず、あまつかに今すぐ対価を支払うよう要求してください。なんでもいいですよ。お金で結構です。」
「えっ?でも、彼女は対価を支払うことはできないんじゃ?」
「はい、だからそれで、あまつかの債務不履行によって契約は解除されます。そしたら改めて、私めに山口様の色欲を売ってください。いいえ、すべてではありません。私でも山口様の色欲を全部買い取る対価はお支払いできませんので。だから、ほんの4分の1で結構です。それだけでも色欲が減れば、性欲のコントロールもしやすくなるのでは?」
唐突な提案に呆気にとられ、にっこり笑いかけてくる本城さんに何も答えることができない。
「対価としては…麻梨香さまと同じように、一生お金の心配をすることなく、のんびり快適に暮らせるよう私がお世話をさせていただきます。麻梨香さま、私のサービスはいかがでしょうか?」
「だ~いまんぞくだよ~!星5つ。大学辞めて、デビューの夢も失って追い詰められてる時に、本城さんに声かけられて『傲慢』を売ったんだけどさ~。そしたらつまらない夢なんかすぐにあきらめられて、のんびり人生を楽しもうって思えるようになって。一郎くんもそうしなよ~。気楽だよ~。」
麻梨香さんは満面の笑みを浮かべている。心から今の境遇には満足しているようだ。
「山口様の色欲も4分の3は残りますから、それで麻梨香さまと性愛を楽しむも良し、各国の美女を求めて世界を旅するも良し…。今ならサービスで、一緒に嫉妬と憤怒も引き取りますよ。」
「あ~、そうしなよ。私もそうしたけど、すんごい楽だよ。もうつまんないことでイライラしたりしなくてすむし~。」
「あの…嫉妬と憤怒を買い取ることは禁止されてるはずじゃ…。」
美香さんがおずおずと小さな声で出すと、本城さんがまたキッと鋭い眼光で彼女を睨みつけた。
「誰が買い取ると言いましたか?いらないと言うから善意で引き取っただけです!誤解を招くようなことを言わないでください。」
睨みつけられた美香さんは、「ひぇっ」と言うとそのままうなだれてしまった。本城さんはまた余裕のある表情で僕に視線を戻し、テーブルの上で手を組みながら、身を乗り出す。
「いかかでしょう?山口様は色欲の悩みから解放されて、これから一生、何不自由なく快適に暮らすことができる。麻梨香さまは、これまでどおり山口様と性愛を楽しむことができる。そして、私めは…また新しい契約をいただくことができる。ここにいる全員が幸せになれる名案じゃありませんか?」
思わず本城さんの瞳に吸い込まれそうになる。
思わずうなずきかけたその直前に僕は首を横に振る。
いかんいかん、大事なことを忘れるところだった。
「そうすると、美香さんはどうなるんですか?」
「ああ…、そうですねえ…。彼女は対価も支払わずに色欲を奪ったわけですから相応の処分を受けるでしょうねえ。」
「それはあんまりじゃ…。」
横を見ると、彼女はうなだれたまま小刻みに震えている。
「山口様はお優しいですね。でも、安心してください。あまつかが奪った色欲はまだわずかですから。せいぜい会社をクビになって…、煉獄行きも10年くらいで済むんじゃないですかね。」
「そんな…。何とかなりませんか?」
「あまつかの自業自得ですからね~。でも考えてみてください。このまま、あまつかと契約を続けても、対価を支払える見込みがないんですから。これ以上色欲を奪って罪を重くするよりも、今のうちに契約を無効にするのが彼女のためにもなるんですよ。」
本城さんの自信たっぷりな顔を見ていられず、顔を背けて隣の美香さんに視線を向けた。
彼女は相変わらず小刻みに震えている。だけど、その時、唇が動いた。
声は聞こえなかったけど、何を言っているのか僕にはよくわかった。
「絶対に約束は守る。」
それを見て、僕はゆっくりと本城さんの方に視線を移した。
「本城さんの提案、とてもよいお話だと思います。」
「そうでしょう。では…。」
「だが、断る!!」
突然の僕の大声に、本城さんも麻梨香さんも呆気にとられ目を丸くした。
「僕は、ただ色欲を捨てたいだけじゃない、だらしない自分を変えて真面目に生き直したいんです。そのために美香さんに色欲を買ってもらって、それでこれまで無責任な関係を続けて来た人ときちんと話をして納得してもらうって美香さんと約束したんです。そんな美香さんとの約束を破って甘い話に乗ったら前の無責任な僕と同じです。だから、僕は何と言われても美香さんとの約束を守ります!!」
「し、しかし…現実に、あまつかくんは対価を払えないんだよ…。」
面食らったのか、先ほどまでの本城さんの迫力が少し緩んだ。
僕はすぐに横に座る美香さんの方に向き直る。
「美香さん!いつか僕に対価を渡してくれるって約束してくれますか?」
「私は…。」
不安そうな顔で視線を逸らそうとする美香さんの肩を掴む。
「いつでもいいんです。いつまでも待ちます。約束してくれますか?」
熱を込めて見つめると、美香さんは僕の方をチラッと見て、それから小さくうなずいた。
「うん…。約束する。」
「じゃあ、僕は美香さんとの約束を信じます!約束を信じて美香さんに僕の色欲の全部を渡します。だから、そのお誘いには乗れません!!」
僕のきっぱりした拒絶の後も、本城さんと麻梨香さんは、あれこれと僕を説得しようとしてきたけど、僕の意思が固いことを知ると、あきらめて立ち去ってくれた。
立ち去る際、本城さんは「今日の所は失礼しますが、気が変わったらいつでもご連絡ください」と言って名刺を残していった。破り捨てようと思ったけど、悪魔の名刺を破る勇気もなかったので、そっと鞄にしまった。
「じゃあ、僕たちも行きましょうか…。」
「うん…。」
本城さんと麻梨香さんが立ち去った後も、居酒屋から出た後も、美香さんはずっと無言のまま。今も、下北沢の雑踏を僕に少し遅れながら、無言でゆっくりと付いてくる。
「あっ、そうだ。今日はまだ色欲を吸い取ってもらってないですよ。」
「うん…そうだね…。」
反応は鈍かったけど、人通りの少ない路地裏へ誘うと、彼女はすぐに僕の首に手を回し、唇を重ねて来た。
舌を入れられ、唇を強く吸われる。もうすっかり慣れっこになった色欲の吸い取り。
だけど、今日はいつもよりもちょっとだけ情熱的な感じがする。
ほどなくして、僕の頭の中のもやが晴れ、悶々とした欲求不満も感じなくなった。
どうやら色欲をすべて吸い取ってもらえたようだ。そう思って唇を離そうとしたけど、彼女は離してくれない。
そのまま僕の唇をむさぼり続け、僕の息が苦しくなってきたところで、ようやく離れてくれた。
「さっきはありがとう。私を信じてくれて嬉しかった…。」
しっとりした口調の彼女の目は潤んで熱を帯びていた。
「当たり前じゃないですか。僕は美香さんの家畜として、一生、色欲を渡すって約束したんですから…。」
「ありがとう…。でも、一郎にとっては本城さんの提案を受けた方が得だったんじゃない?それなのになんで私を選んでくれたの?」
まっすぐ僕を見つめて来た。彼女の熱を帯びた瞳はネオンを反射してキラキラしている。
「それは…。」
なぜなのかうまく言葉にできない。
どう伝えようか悩んでいると、ふと脳裏に本城さんの髭面が浮かんだ。
「毎日色欲を吸い取られる度に、あの髭面にキスされるって思ったら、ウゲッてなって。」
「はっ?」
さっきまで潤んで淡い色を帯びていた美香さんの瞳が、くわっと大きく開かれた。
「いや、何不自由ない生活が手に入っても、毎日、本城さんとキスすると思うと嫌だなって…。」
「言ってなかったけど…、私はまだ対価を渡してないから毎日こうやって色欲を吸い取ってるけど、対価を渡して契約を確定させればキス無しで自動的に色欲が回収されるのよ。それに、本城さんは巨乳美人の使い魔がいるから、一郎が望めばその子に吸い取ってもらうこともできたはずだし…。」
「え~‥‥。」
「なにその、やっちまった~みたいな表情!!しかも、なんで私の胸を見ながら?もうっ!知らないっ!!」
美香さんはプイっとそっぽを向くと、そのまま駅に向かって足早に歩きだした。
「ごめんなさい!冗談ですっって!」
僕は彼女の背中を慌てて後を追いかけながら、さっき言葉にできなかった、どうして美香さんとの契約を選んだのか自分でもよく考えてみようと思った。




