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第11話 日曜日の下北沢

日曜日の夕方、僕と美香さんは下北沢の居酒屋にいた。


隠れた人気店らしく日曜日の夜だけど、そこそこ混んでいる。予約しといて良かった。


聡美さんは席を確保できなかったようで、路上に佇んで、捨てられた猫みたいに寂しげに店の中の僕達を見つめている。


「なんで日曜の夕方にこんなのに付き合わないと…。」


四人掛けのテーブル、僕の隣の席では、美香さんがさっきから口を尖らせながらブツブツ言っている。


向かいの席はまだ空席のまま。

もっとも麻梨香さんが時間どおりに来ないのはいつものことなので、別に気にしていない。


「すみません。お忙しかったですか?」


「今日は別に…。でも日曜日は休日だし、休日出勤手当も時間外手当も出ないし…。」


「そうなんですね。せっかくのプライベートなのに…。そういえばお休みの日はいつも何をしてるんですか?」


そう聞くと美香さんは突然黙り込んでしまった。しかもそっぽを向いてしまったのでその表情はよく見えない。


「悪魔の休日の過ごし方って興味があります。あれでしたっけ?土曜日の夜に悪魔とか魔女で集まって肉とか焼いて宴を繰り広げる…なんて言ったっけ…あっ、サバトだ!!サバトに参加してるとかですか?」


「そんなんしてね~し!サバトとかやってんのは、悪魔の中でもパーティーデーモン達だけだって。私は平日の疲れを癒すために昼過ぎまで寝て、洗濯とか掃除とか、たまった家事を片付けて、空いた時間に一人でショート動画とか見ながら買ってきた総菜をつまみに酒飲んで、気づいたら薄暗くなってて月曜を思うと憂鬱になるとかそんな感じだって…。」


「えっ…そんな…。」


「そんな引いた表情しないで!自分の寂しい境遇を自覚して傷つくでしょ!働いてる30代独身で友達も彼氏もいない女の休日なんか、だいたいこんなもんだって!!」


「えっ…?友達も彼氏もいない…?」


「だからその表情やめろ~!!」


美香さんは目を血走らせながら僕を睨みつけ、真っ赤になって怒り出した。

これ以上からかうと本気で怒らせそうだから、このあたりにしておこう。

僕はテーブルの端にあるメニューに手を伸ばす。


「すみませんでした。この話はやめましょう。じゃあ、まだ麻梨香さんは来ないみたいですし、先に注文しちゃいましょう。美香さんはビールですか?」


「一昨日、君のせいで額を割られて、まだ抜糸も済んでないから飲めないんだけど…。」


眉の端のカットバンを指さしながらジトっとした目で見つめてきた。

すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。


「じゃあ、ウーロン茶にしますね。おつまみはどうします?この店は岡山料理で有名なんですよ。ままかりとか但馬牛とか、あっ、デミカツ丼もありますよ。美香さんは岡山出身ですよね。」


「えっ?どうしてわかるの?」


「ほら、美香さんたまに岡山弁でしゃべってるじゃないですか。実は、千尋さんが岡山出身だから岡山弁は聞き慣れてて。だから今日は美香さんのために岡山料理を出す店を探してみたんです。」


「うそっ…。そんなに私のことよく見てくれてたの…?」美香さんは少し頬を赤らめて、照れくさそうに目を伏せた。


「本当に岡山出身だったんですね。どのあたりなんですか?」


「倉敷…って、違う!私は魔界村出身なんだ!だから岡山なんか関係ない!!」


「魔界村ってファミコン初期世代じゃないんですから …。倉敷だったらデミカツですかね。頼みましょうか。」


「だから違うって!」


違うと言いながら頬の緩みが抑えきれていない。

やっぱりチョロいな。


心の中でほくそ笑みながら店員さんを呼んで注文を済ませると、店の入り口に見覚えのあるシルエットが見えた。


肩くらいまで伸びた茶色い髪はちょっと痛んでほつれ毛が出ている。

顔は日焼け止めくらいしか塗ってないけど生来の色白のおかげでノーメイクには見えない。

少しふっくらした体を覆うTシャツとデニムはだいぶくたびれている。

いい意味で力が抜けているダウナーな雰囲気。


「麻梨香さん!こっちで~す。」


僕が手を振ると、眠そうな目をした彼女はのっそりと近づいてきて、無言のまま、どかっと向かいの席に腰を下ろした。


「お~っす、一郎。久しぶり~。」


「麻梨香さん、お久しぶりです。この店、すぐにわかりました?」


「すぐわかったよ。だって店の前に聡美さんがSPみたいに立ってるんだもん。いったいどこの要人だよ!」


麻梨香さんは「ありがとね~」と言いながら満面の笑顔で店の外に向かって手を振ると、聡美さんも控えめに手を振り返してくれている。


「でも、居酒屋なんて珍しいね。最近はラブホ集合、ラブホ解散ばっかだったじゃん。しかもこんないい感じの店、よく見つけたね。」


「ああ、はい。ずっと海外旅行に行ってらしたので和食が恋しいかなと思いまして。それに下北沢は麻梨香さんがバンドをやってた頃の思い出の街ですし。だから麻梨香さんのことを思ってこの店を選びました。」


「え~っ、私のこと考えてくれたんだ。うれし~。」


低いテンションで喜ぶ麻梨香さんを見ながら微笑んでいると、隣から強烈な肘打ちを喰らった。


あっ、そういえばさっきこの店は美香さんのために選んだって言ったかも…。怖くて美香さんの方を見られない。


「そんで、そっちの怖い顔したお姉さんは誰なの?」

僕が不自然に顔を背けていると、麻梨香さんの方から話を振ってくれた。


「そうだ。ご紹介しますね。こちら美香さんです。」


「あ~、美香さん、私、麻梨香。よろしくね~。」


麻梨香さんはローテンションで自己紹介すると、店員にビールを注文して急にスマホをいじりだした。


「そういえば今回はどこに旅行に行ったんですか?」


「フィンランドのオーランド諸島、なんもなかったよ~。」


麻梨香さんはそう言いながら、なおスマホをいじり続ける。

スマホで撮った写真を見せてくれるのかな?と思って待っていたけど、画面を見せてくれる素振りすら見せず、そのままテーブルの上に裏返して置いた。


「そんで~。今日は3Pするってこと?」


「はっ?」


頬杖をつきながら眠そうな目をしている麻梨香さんとは対照的に、美香さんは大きく目を見開いた。口も少し空いている。


「さ、さささ、3P?」


「だって美香さんも関係者でしょ?今何級?C級、B級かな?私は3Pは初めてだけど、美香さんはよくやってんの?」


「なにいいよん!?そんなんありえん!」


真っ赤になって手を横に激しく振る美香さんを見ながら、麻梨香さんが少し意地悪そうにニヤリと笑い、店の外に親指を向けた。


「そしたら、聡美さんも加えて4Pとか?」


「ふざけんといて!」


美香さんがヒートアップしそうになったところで、ちょうど飲み物と料理が運ばれてきた。店員さんナイスタイミング!


「しっかし、美香さんも一郎には苦労させられてんでしょ?こいつ女と言えば見境ないもんな~。」


「ああ、確かにそうですね~。」


美香さんが冷たい視線を向けて来る。あっという間に敵方に寝返ってしまったか。


「あの話聞いた?一郎が私のバンドをサークルクラッシュさせてデビューを台無しにした話。」


「それはぜひ聞きたいです!!」


麻梨香さんは、美香さんが身を乗り出す姿を見てニヤリと笑いながら、一瞬だけ僕に意味ありげな視線を送る。


「そもそも、私と一郎が知り合ったのは、一郎が大学1年で、私が大学7年生の時だったんよ。」


「大学って7年生までありましたっけ?」


「卒業さえしなきゃ8年生まではなれたんよ。うちらの大学。でも、そん時はもう大学にほとんど行ってなくて、プロ目指してバンド活動に力入れてたんだけど、たまたま気が向いて大学の音楽サークルの飲み会に顔を出したら、そこで一郎がやけに懐いてきてさ。感動しました、ギター教えてくださいとか言って。そんで私もかわいいな~って思ってたら、いつの間にかセックスも教えてたんよ。」


美香さんが身を乗り出したので後頭部しか見えないけど、だいたいどんな表情か想像できる。僕はそっと目を伏せるしかない。


「それから一郎とはちょくちょくセックスするようになったんだけど、そしたら一郎優しいから、私のバンドのサポートもしてくれるようになって。ああ、その時はガールズバンドやってたんだ~。レーベルのプロデューサーにも評価されててさ。メジャーデビュー目前だったんだよ。」


「もしかして、一郎が他のメンバーと軒並み関係を持ってしまって、それでサークルクラッシュとか…?」


「ううん。他のメンバーとセックスしたら絶交って厳しく言ってたから、それはなかった。一郎、そういうところは義理堅いんだよね~。」


麻梨香さんはのんびりとした調子でヘラヘラ笑っている。


「じゃあ、どうして?」


「それがさあ、その評価してくれてたレーベルのプロデューサーさん、少し年上のかっこいいお姉さまだったんだけど、一郎のやつ、よりにもよってその女とセックスしててさ~。しかも、そいつがメンヘラの粘着質で、一郎と私の関係がバレたらバトっちゃって~!いや~っ、確かにメンバーとセックスするなとは言ったけど、プロデューサーとするなと言わなかったからな~、盲点だったわ~!」


麻梨香さんは、いかにも懐かしい思い出と言った感じでしみじみとした顔をしてるけど、美香さんは怒り心頭と言った感じで、キッと僕を睨みつけてくる。


「そんで修羅場になって、メジャーデビューの話もパーになって、バンドも空中分解。ついでに大学も辞めちゃったって感じ。いや~、やられたわ~。」


そのまま麻梨香さんがケラケラ笑い出したので僕もつられて笑っていると、美香さんが僕に顔を近づけてきて、ヤンキーみたいなメンチを切った。


「笑い事じゃないじゃろ!お前のせいでこの人の人生を狂わせてんじゃね~か?おい!!」


「…はい、すみません…。」


恐縮し、小さくなってシュンとするしかない。


「いいって、いいって。一郎はこんなやつだから。」

麻梨香さんはまだケタケタ笑っている。


「ダメじゃろ!ほら、一郎!更生するって決めたんでしょ!!ちゃんと話しな!」


いつの間にか美香さんの右手は僕の首根っこをつかんでいる。そのまま襟元を絞め上げられ首が苦しい。


「はい…。あの、麻梨香さん。僕はこれまでの性欲に振り回された不誠実な自分を深く反省しました。それで、もう性欲に任せて色んな人と関係する生活はやめにしようと思います。これからは美香さん一筋にします。だから、もう麻梨香さんとも、そういう関係はやめにしたいです。」


テーブルに手をついて頭を下げる。少しして上目遣いに麻梨香さんの様子を見ると、余裕そうに微笑んでいた。


「一郎くんにそれは無理でしょ~。だって性欲すごいじゃん。美香さん一人じゃ受け止めきれないって。私は、お互いに気が向いた時にセックスを楽しむ関係でいいからさ。美香さんもその方が楽でしょ~?」


視線を向けられた美香さんが何か言おうとしたので、僕は手を上げて制止した。ここは僕が話さなきゃいけないところだ。


「僕は美香さんと結婚します。一生美香さんを愛し続ける覚悟です。だから、麻梨香さんと気が向いた時だけとか…そんな不誠実なことはできません。」


キッパリとそう告げると、麻梨香さんはやっと笑うのを止めた。僕の目の端には、なぜか顔を赤らめて口角を上げた美香さんの顔が見える。


「なに言ってんのよ。結婚なんて無理だって。」

麻梨香さんは不機嫌そうな口調で返してきた。


「いえっ、僕は何があっても美香さんと結婚します!!」


「だから無理でしょ。」


「いえっ、そんなことありません。結婚します!」


「無理でしょ、だってそいつ悪魔じゃん!!」


その瞬間、すべての音が消えた。呆然自失とはこういう状態をいうのだろうか。

僕はヒュッと息を飲んで言葉が出ない。

騒がしい居酒屋の中で、僕たちのテーブルだけが静寂に包まれる。


「お待たせしました…。」


静寂を破ったのは、僕たちのテーブルの前に立ったスーツ姿で顎髭を生やしたダンディなおじさまの一言だった。


「あ~、本城さん、おそ~い。」


「すみません。メールをいただいてからすぐに飛んできたんですが、道が混んでいまして。」


ダンディなおじさまは麻梨香さんに慇懃に頭を下げた。


「紹介するね!私が契約している悪魔の本城宗太郎さん。」


「以後お見知りおきを…。おや…知ってる顔がありますね。」


本城さんの目線を追って僕の隣の席を見ると、美香さんが目を伏せながらガタガタと震えていた。


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