表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/270

第88話:開幕の足音

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌日の昼下がり、大聖堂の中庭は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。色とりどりの花々が咲き乱れ、中央の噴水がキラキラと光を反射しながら涼やかな音を立てている。その美しい風景とは裏腹に、白いガゼボに設えられたテーブルには、氷のように冷たい緊張感が漂っていた。


「して、聖女殿。我らが知りたいのは、ただ一つ」


北の公爵ドラクシア家の代理人として謁見の場に臨んだ、壮年の男が口を開いた。当主レダフォルン本人が来なかったのは、これが公式な会談ではなく、あくまで「値踏み」の場であることの証だろう。男の言葉は丁寧だが、その目の奥には、獲物の価値を冷徹に見定める商人のような光が宿っていた。


「かの異端者カガヤ。奴は一体、何者なのか。その力の正体は?そして、聖女殿と奴は、いかなる関係にあるのか。我らに、お聞かせ願いたい」


不躾にも程がある質問だった。セレスティア個人の信仰や奇跡についてではなく、その背後にいる俺の存在そのものに、彼らの興味は集中していた。同席していたサルディウスの眉が、不快げにぴくりと動く。


だが、セレスティアは動じなかった。彼女は静かにお茶を一口飲むと、穏やかな、しかし凛とした声で答えた。


「かの者の真偽、わたくしには分かりかねます。ただ、彼の存在がこの地に大きな波紋を広げているのは事実。その意味を、神の御心に問い続けている最中でございます」


「ほう、神の御心、ですか。聖女様ともあろうお方が、随分と歯切れの悪い。我らが聞きたいのは、神学問答ではありませぬぞ」


代理人の男は、粘るように続けた。


「では、個人的な見解をお聞かせ願いたい。聖女様は、あの男と二度も密会されたとか。さぞ、親しい仲になられたのでしょうな。一体、どのようなお話を?」


「……神聖なる祈りの場で、何を話したと仰るのですか。わたくしはただ、彼の魂の救済を祈っていたに過ぎません」


セレスティアは、のらりくらりとかわし続ける。だが、代理人の男は、さらに踏み込んできた。その口元には、あからさまな嘲笑が浮かんでいる。


「救済、ですか。結構なことですな。ですが、巷の噂では、あの男は聖女様を誑かした邪悪な魔術師だともっぱらです。あなた様ほどの御方が、そのような下賤の者の言葉に耳を貸し、あまつさえ心を許すなど、あってはならないことです。それとも、何か弱みでも握られておいでか?」


その言葉に、セレスティアの表情から、すっと笑みが消えた。


「……カガヤ様は、あなた方が思うような方ではございません」


その声は、低く、静かだったが、確かな怒りの色が滲んでいた。


「ほう?では、どのような方だと?」


「彼は、誰よりも深く理を愛し、真実を求める方。その知識と力は、人々を救うためにのみ使われます。彼の行いを『まやかし』と蔑み、その価値を理解できぬ者こそ、真に蒙昧であると知るべきです」


セレスティアの瞳が、神々しいほどの強い光を放つ。それは、聖女としての作られた威厳ではない。カガヤという一人の人間を信じる、彼女自身の魂の輝きだった。


その瞬間、それまで黙って成り行きを見守っていたサルディウスの纏う空気が、絶対零度まで凍りついた。彼の視線は、もはやドラクシア家の代理人ではなく、セレスティアただ一人に、鋭く突き刺さっていた。


代理人の男は、セレスティアの思わぬ反撃と、サルディウスの豹変に、一瞬言葉を失ったが、やがて楽しそうに口の端を吊り上げた。


「これはこれは……。どうやら、我々の出る幕ではないようですな。本日は、貴重なお話を伺えました。公爵には、ありのままをご報告させていただきましょう」


彼はそう言うと、満足げに一礼し、そそくさとその場を立ち去っていった。


後に残されたのは、凍てつくような沈黙だけだった。


サルディウスは、ゆっくりと立ち上がると、一歩、また一歩と、セレスティアににじり寄った。その顔から表情は消え失せ、ただ底なしの闇を湛えた瞳だけが、彼女を射抜いていた。


「……聖女様。今のは、どういうおつもりかな」


その声は、静かであればあるほど、恐ろしかった。


「あの異端者を、庇うばかりか。あまつさえ、その行いを『真実』とまで言い切るとは。聖女たる貴女が、邪神の僕に与するのか」


「わたくしは、事実を申し上げたまでです」


セレスティアは、彼の威圧に一歩も引かなかった。


「事実だと?神の教えに背き、秩序を乱すことの、どこが事実だというのだ!」


「彼が救った命もまた、事実です!」


二人の視線が、火花を散らすように交錯する。サルディウスは、セレスティアの、これまで見せたことのない反抗的な態度に、確信した。


(……堕ちたか。あの男の邪気に、聖女の清らかな魂までもが汚された。もはや、一刻の猶予もならぬ)


彼はそれ以上何も言わず、踵を返した。そして、部屋を出る直前、氷のように冷たい声で、一言だけ呟いた。


「……断罪の鐘を、鳴らす時が来たようだ」



その頃、王城の一室では、国の行く末を憂う重臣たちの間で、緊迫した議論が交わされていた。


「宰相、此度の教会の動き、看過できませぬぞ。サルディウス審問官の独断は、明らかに王家の権威を蔑ろにするもの。このままでは、国の秩序が根底から揺らぎかねん」


居並ぶ重臣の一人が、不安を隠せない声で訴える。宰相は、難しい顔で深く頷いた。


「うむ…。しかし、王太子殿下は教会との協調を重んじておられる。下手に動けば…」


宰相の懸念を裏付けるかのように、上座に座る第一王子ライオスが、苛立たしげに口を挟んだ。


「教会に忖度せよと申すのではない。だが、かの筆頭審問官は教皇聖下の名の下に動いておるのだ。我らが口を挟めば、それこそ教会への内政干渉と取られ、格好の口実を与えるだけだ。今は静観すべきであろう」


ライオスの言葉に、宰相は国の未来を案じ、さらに表情を曇らせる。


「しかし殿下、このままでは教会の増長を許すばかり。いずれ、王権そのものが脅かされる事態になりかねませぬ」


その時まで、盤上の駒を眺めるように静かに議論を聞いていた第二王子ゼノンが、初めて口を開いた。


「兄上、グレイヴン宰相。双方の言い分、もっともだ。教会との全面対決は避けるべきだろう。だが、何の手も打たず、ただ彼らの茶番劇を眺めているだけでは、王家の威信は地に落ちる」


ゼノンは、居並ぶ重臣たちを見渡すと、静かに、しかし有無を言わさぬ響きで続けた。


「四大公爵家、各々に声を掛けておけ。此度の件、王家としてどう動くべきか、彼らの意見も聞いておく必要がある」


「ゼノン、そなた、何を考えておる!」ライオスが咎めるように声を荒げる。


「何を……ふっ……、考えているさ、兄上。この国の未来をな」


ゼノンは兄の視線を真っ直ぐに受け止めると、最後にこう言い放った。


「教会がどう動こうと、公爵家が何を企んでいようと、この盤のキャスティングボートを握るのは、常に王家でなければならん。そのための一手だ」


ゼノンの瞳には、この国の未来を冷徹に見据える、次代の王たりえる者の強い意志が宿っていた。



そして、その全ての情報を、俺は塔の中からリアルタイムで観測していた。


遠く離れた聖地ウル、神殿都市ソラリス。そこに座す教皇デオフィロス七世の元からも、新たな指令が発せられたという情報も、スティンガーⅣは捉えていた。


『かの異邦人、カガヤは、我らが真理を探究する上で、神が与えたもうた新たな啓示かもしれぬ。原典派の暴走を許すな。フォルトゥナ王国の探究派に伝えよ。彼の者は、異端審問ごときで消えて良い人材ではない、と』


探究派の長である教皇自らが、俺という存在に特別な意味を見出している。教会もまた、一枚岩ではないのだ。


《マスター。各勢力の動きが、活発化しています》


〈ああ。俺という石ころ一つで、随分と大きな波紋が広がったものだ〉


俺は、網膜インプラントに映し出される、複雑怪奇な権力の相関図を見つめながら、静かに呟いた。王家、教会、四大公爵家。俺という触媒が投じられたことで、この国の権力という名の溶液は、予測不能な化学変化を起こし始めていた。


恐怖よりも先に、かつて商人として幾多の交渉や駆け引きを乗り越えてきた血が、この状況に奇妙な興奮を覚えていた。王家、教会、四大公爵家…。役者は揃った。後は、俺という主役が立つべき舞台装置だけだ。


「サルディウスよ、準備はもういいだろう。お前が仕立てた神聖なる劇場で、俺はいつでも受けて立つ。この盤上、最後に笑うのはどちらか、観客にじっくりと判断してもらおうじゃないか」

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

感想やレビューも、心からお待ちしています!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ