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第86話:籠の中の鳥たち

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

聖女セレスティアとの邂逅から、さらに数日が過ぎた。


あの日以来、俺たちの間に直接的な接触はない。だが、俺の網膜インプラントに映し出されるドローン型ナノマシンの映像は、彼女が時折、あの静かな中庭で一人、物思いに耽っている姿を捉えていた。彼女が手にしているのは、あの日と同じ、古い本。しかし、彼女の視線は、活字の上を彷徨い、どこか遠くを見ているかのようだった。


彼女もまた、俺と同じ、籠の中の鳥なのだ。その事実は、俺の胸に静かな、しかし確かな共感を呼び起こしていた。


俺はつい先ほど、この盤上を動かす、もう一つの『鍵』の存在を知ってしまった。聖女セレスティアだ。そして、彼女の孤独と、その力の正体に気づいてしまった。


彼女をただの「取引材料」として利用することに、俺は明確な抵抗を感じていた。それは、商人としての合理的な判断と、一人の人間としての感情が、俺の中でせめぎ合っている証拠でもあった。


そんな俺の葛藤を見透かしたかのように、事態は再び、予想外の方向から動き出した。


あの中庭での謁見から五日後の昼過ぎ。俺の部屋を、サルディウスの側近神官が、再び訪れたのだ。


「カガヤ。聖女セレスティア様が、大聖堂の地下にある礼拝堂にて、祈りを捧げておられる。審問官様のお考えにより、貴様にもその神聖な祈りの場に立ち会うことを、特別に許可する。聖女様の敬虔な信仰に触れ、己の罪を悔いるが良い」


地下の礼拝堂。それは、俺が軟禁されている悔悟の塔とは、全く別の区画にある。俺をそこへ連れて行く。その真意は、何だ?


(俺の反応を試しているのか。あるいは、聖女に何かをさせ、俺に絶望を見せつけようという魂胆か…)


いずれにせよ、これはセレスティアと再び接触できる、千載一遇の好機だった。


俺は神官に連れられ、薄暗く、ひんやりとした石造りの階段を下りていった。


たどり着いたのは、小さな、しかし非常に古い歴史を感じさせる礼拝堂だった。壁には、色褪せたフレスコ画が描かれ、天井からは、数本の蝋燭の光だけが、厳かな空間を照らし出している。


その中央で、セレスティアは一人、祭壇に向かって静かに祈りを捧げていた。


俺の存在に気づくと、彼女はゆっくりと振り返り、その瞳に、わずかな驚きと、そして確かな喜びの色を浮かべた。


「…聖女様。例の男を、お連れしました」


「ご苦労様。あなた方は、外で待っていてください。ここは、神聖な祈りの場。邪魔する者は、神が許しません」


セレスティアの、凛とした声。それに、神官たちは逆らうことができなかった。扉が閉められ、礼拝堂の中には、再び俺と彼女、二人だけの時間が訪れた。


「…本当に来てくださるとは、思っていませんでした」


彼女は、小さな声で、しかし嬉しそうに言った。


「俺も驚きました。なぜ、俺をここに?」


「…私が、サルディウス審問官にお願いしたのです。あなたと、もう一度、お話がしたくて。もちろん、本当の理由は話していません。『異端者の魂を、私の祈りで浄化する機会をください』と、そう申し上げました」


彼女は、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。その表情は、聖女という仮面の下にある、年頃の少女の顔をしていた。


「聖女様。あなたほどの人が、なぜ、これほどの危険を冒してまで、俺と?」


「…先日、あなたは、私の体のことを心配してくださいました。それも、理由の一つです」


彼女は一度言葉を切ると、何かを打ち明けるように、声を潜めて続けた。


「ですが、本当の理由は、別にあります。数日前から、不思議な夢を見るのです」


彼女は、周囲に誰もいないことを確かめるように、不安げに視線を揺らした。


「夢の中で、誰かが私に語りかけるのです。『星より来たりし異端者こそが、汝を苦しみから解き放つ鍵である』と…。そして、あなたの姿が……。星々の海を、たった一人で渡る、ひどく孤独な旅人の姿が……。だから、私は確かめなければならなかった。あなたこそが、その人なのかを。そして…信じてみたい、と思ったのです。あなたの言葉と、私の見た夢を」


俺は息を呑んだ。全身の血が凍りつくような衝撃。彼女は何を言っている?星々の海?孤独な旅人?偶然か?いや、違う。彼女は、俺の本質を、その存在の根幹を、正確に言い当てている。


《マスター。 彼女の言う『神託』は、既知のいかなる物理法則でも説明不可能です。考えられるのは、超光速タキオン通信、あるいはブレーンワールドを介した高次元情報へのアクセス……。仮説の立案を開始します。マスター、警戒レベルを最大に》


アイの警告が、脳内でけたたましく鳴り響く。だが、俺の心は別の感情で満たされていた。

恐怖ではない。驚愕でもない。それは、共感と、そして憐憫だった。


俺の目に映る少女は、人々が崇める神聖不可侵な「聖女」ではなかった。


彼女もまた、俺と同じ、この世界の異端児なのだ。理解不能な力を持ち、それを周囲に利用され、その力故に孤独に苛まれている。俺が科学という拠り所を持つ一方で、彼女は信仰という名の鳥籠の中で、ただ一人で震えているに違いない。


〈アイ。心配するな。多分大丈夫だ〉


彼女は、真っ直ぐに俺の瞳を見つめていた。その純粋な信頼の光に、俺は胸を突かれる思いだった。


俺は、その彼女の瞳を見つめながら口を開いた。


「俺は、商人です。信用の対価は、きっちりと払う主義でなんですよ」


俺は、少しだけおどけて見せた。俺の軽口に、彼女の表情がわずかに和らぐ。


俺は一呼吸置き、本題に入った。


「あなたの力は、おそらく、あなた自身の生体エネルギーと、この星の『魔素』、そして、この王都のどこかに眠る『神々の遺物』、その三つが共鳴することで生まれる現象だと予想しています。あなたは、その力を引き出すための、極めて稀有な『鍵』のような存在なのではないでしょうか?」


「鍵…ですか?」


「ええ。そして、鍵があるならば、必ずそこに合う錠前と、それを回すための正しい方法があるはずです。力に振り回されるのではなく、あなたが、その力の主となるための方法が」


俺の言葉に、セレスティアは、ゴクリと息を呑んだ。


「…私にも、できるでしょうか。この力を、自分の意志で…」


「できます。ただし、それには訓練が必要です。そして、あなたの力を、この世界の理を、もっと深く知る必要がある」


俺は、静かに、しかし力を込めて言った。


「俺は、その手伝いがしたい。いや、させてほしい。あなたを、ただの『器』から、解放したいのです」


それは、取引材料としてだけではない。商人としての打算だけでもない。目の前にいる、孤独な少女を、ただ救いたい。その一心から生まれた、俺自身の、偽りのない感情。そして、彼女を解放することこそが、この盤上を覆す唯一の道であるという、冷徹な分析。商人としての俺と、一人の人間としての俺が、初めて同じ答えを導き出した瞬間だった。


俺の言葉に、セレスティアの瞳から、大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。


「…はい。私も、知りたいです。自分のことを。そして、あなたのことを」


その時だった。


礼拝堂の扉が、乱暴に開かれた。サルディウスの側近神官が、厳しい顔で立っている。


「聖女様! いつまで異端者と話をされているのですか! お戻りください!」


どうやら、俺たちの密談が長すぎたようだ。


セレスティアは、涙を拭うと、俺に向かって、最後に一度だけ、力強く頷いてみせた。その瞳には、もう迷いの色はなかった。


俺は、彼女と、一つの秘密を共有する「共犯者」になったのだ。


部屋に戻る途中、俺はアイに問いかけた。


〈アイ。今の会話で、何か分かったことは?〉


《はい、マスター。彼女が祈りを捧げていた祭壇。その地下深くに、極めて強力なエネルギー反応を検知しました。おそらく、王都の機能中枢となっている、神々の遺物の本体でしょう。そして、セレスティアの生体エネルギーは、そのエネルギーと、明確な共鳴反応を示しています。マスターの仮説は、正しかったようです》


やはり、そうか。王都のどこかに眠ると考えていた『神々の遺物』の本体は、あの礼拝堂の地下にあったのだ。謎を解く鍵は、やはり、彼女と、そしてあの場所にある。俺の脳裏に、一つの計画が形作られ始めていた。


彼女を解放する。その目的は、決して曲げない。


盤上の景色が、クリアに、そして鮮明に見え始めていた。


好機は、必ず来る。その一瞬を逃さぬため、ただ静かに、爪を研ぐ。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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