第83話:盤上の駆け引き
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あれから二日が過ぎた。
悔悟の塔での軟禁生活は、単調そのものだった。日に三度の食事以外、訪れる者は誰もいない。だが、この静寂は俺にとって、思考を巡らせるにはむしろ好都合だった。
黒装束の人物に託した二通の手紙。あれが功を奏したのか、俺の「目」と「耳」であるスティンガーから得られる情報に、少しずつ変化が現れ始めていた。
未明に王都上空に到達した新型のスティンガーⅣ型は、量子コヒーレンス・プロセッサを搭載し、自律思考と飛行能力を持つ高性能ドローンだ。Ⅲ型よりもさらに小型化され、ステルス性能も向上している。その航続距離は500kmに及び、もはやこの国の主要都市間を容易に移動できる。彼らは王都のあらゆる場所に潜入し、昼夜を問わず情報を収集し続けていた。
《マスター。南の公爵、アディル・アディ・ゼラフィム当主が、王城にて第一王子ライオス殿下と謁見した際の音声記録です》
アイからの報告を受け、俺はベッドに横たわったまま意識を集中させた。脳内に、鮮明な音声が直接再生される。
『――ライオス王子。此度の教会の横暴、王家は黙って見過ごされるおつもりか!ヴェリディア辺境伯は、我がゼラフィム家とも縁続きの由緒ある家門。その賓客を、何ら明確な証拠もなしに『異端』の嫌疑で拘束するなど、王家の威信を地に貶める行為に他なりますまい!』
アディル公爵の、怒りに満ちた声が響く。年の頃は五十代だろうか。その声には、南の大貴族としての誇りと、揺るぎない威厳が感じられた。
対する第一王子ライオスの声は、若々しいが、どこか冷ややかだった。
『落ち着かれよ、アディル公。父王は今、ご体調が優れぬ。この件は、私が預かっている。そもそも、そなたが口を挟むこと自体が、教会への越権行為と見なされかねんぞ』
《マスター。ライオス王子は保守派であり、教会との協調路線を重んじる傾向にあります。異端審問会への介入には、極めて批判的な立場のようです》
〈なるほどな。面倒事を避けたい、と〉
『なれば、このまま見過ごせと!?』
『そもそも、あのカガヤとかいう男、私は知らん。おそらく、またゼノンが勝手に動いた結果であろう。あの愚弟め、いつも面倒事ばかり持ち込みおって。この件はこちらでも話し合っておく。今日は一先ずお引き取り願おう』
ライオス王子は、そう言って一方的に話を打ち切ったようだ。音声はそこで途切れていた。
《マスター。第一王子の発言にあった『ゼノン』という名は、第二王子を指します。状況から判断するに、彼が例の黒装束の主である可能性が極めて高いと推測されます》
〈第二王子ゼノン、か。確かに、黒装束の言っていた『盤を覆す駒を好む』という主人の人物像と、第一王子の話が一致するな。なるほど、面白い〉
スティンガーは、別の場所での会話も捉えていた。王城の一室で、宰相と思しき人物が、他の公爵家の者たちと議論を交わしている。
『教会の暴走は好ましくない。だが、カガヤという男の出現で、ヴェリディア辺境伯が力をつけすぎるのも、また然り……』
四大公爵家。フォルトゥナ王国を支える四本の柱。彼らの思惑もまた、一枚岩ではなかった。
北のドラクシア家は、異端審問官サルディウスの側近と密会を重ね、俺という存在を利用して、政敵である南のゼラフィム家を貶める策謀を練っている。
東のラゼルナ家は、巨大な富を持つ商人貴族らしく、今回の騒動でどの陣営につけば最大の利益を得られるか、天秤にかけているのが見て取れた。
西のハトラム家は、ただ嵐が過ぎ去るのを待つかのように沈黙を守っている。だが、その静けさは他の三家とは異質で、真意が最も読めない。水面下では現体制への不満を募らせ、思想や情報の操作によって影響力を行使しようとしているという噂も絶えない。
全ての情報が、俺の頭の中で一つの巨大な盤上へと集約されていく。
王家、正教会、そして四大公爵家。彼らはそれぞれが駒であり、プレイヤーでもある。複雑に絡み合った利害と権力闘争。その中心に、俺はいる。
俺は、その盤上に突然放り込まれた、イレギュラーな駒だ。俺の動き一つで、この危うい均衡は、どちらにでも傾く。
恐怖よりも先に、かつて商人として、幾多の交渉や駆け引きを乗り越えてきた血が騒ぐのを感じた。
俺は、もはやただの「異端の嫌疑者」ではない。この盤上の、キャスティングボートを握る存在になりうるのだ。
俺は、懐からエラルがくれたロケットを取り出し、その滑らかな感触を確かめた。中庭で交わした、彼女の笑顔と涙。そして、ヴェリディアの門で見送ってくれた、クゼルファの、あの力強い誓い。
そうだ。俺は、ただの駒ではない。ヴェリディアで、守るべきものを手に入れた。彼らの想いが、俺をただの駒で終わらせることを許さない。
この無力な状況こそが、俺に教えてくれている。知識や技術だけでは不十分なのだと。それを活かすための仲間、そして自らが動ける自由。ここから出た後は、二度とこのような状況に陥らないために、あらゆる準備をしなければならない。それこそが、今の俺がすべき、未来への投資だ。
俺の戦いは、俺自身の無実を証明するためだけのものじゃない。この世界の、歪んでしまった理そのものに、挑むための戦いだ。
その時、アイが冷静な声で問いかけてきた。
《マスター。脱出を試みますか? 既に脱出経路や警備の巡回ルート及びそのタイミングは把握しています》
「いや、まだだ」
俺は、静かに首を横に振った。
「ただ脱出するだけでは、ヴェリディアの皆に迷惑がかかる。それでは意味がない。俺が動くのは、今じゃない。この盤上で、俺という駒を最も有効に使える場所と、その時が来る。それまでは、ひたすら情報を集め、分析し、来るべき時に備える」
《了解しました。では、情報戦の継続ですね》
「ああ。そうだ」
俺は、口の端に、不敵な笑みを浮かべた。
サルディウスは、俺を鳥籠に閉じ込めたと思っているだろう。だが、彼はまだ知らない。
籠の中の鳥が、盤上全ての駒の動きを、その目でつぶさに見ているということを。
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