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第82話:盤上の駒

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都アウレリアの中央、王城と対峙するように聳え立つ、正教会の大聖堂。その一角にある「悔悟の塔」と呼ばれる場所に俺が軟禁されてから、数日が過ぎた。


「悔悟」とは名ばかりで、俺に与えられた石造りの部屋は質素だが、決して牢獄ではなかった。罪人が己を省みるための静寂というには、あまりに無機質だったが、思考を巡らせるにはかえって好都合だった。窓には鉄格子こそ嵌められてはいるが、そこから見える手入れの行き届いた中庭が、ここが単なる監獄ではないことを示していた。


食事は日に三度、無言の修道士によって運ばれてくる。メニューは質素だが、栄養バランスは考えられているようだった。それ以外に、俺の部屋を訪れる者は誰もいない。筆頭異端審問官サルディウスは、俺を社会的に、そして物理的に完全に隔離することで、精神的に追い詰め、自白を引き出そうという魂胆なのだろう。


だが、彼にとって残念なことに、俺は一人ではなかった。


〈なあ、アイ。サルディウスの奴、俺が孤独で発狂でもすると本気で思ってるのかね?だとしたら、随分と想像力に欠けると思うんだが……〉


俺はベッドに寝転がりながら、脳内で唯一無二の相棒に語りかけた。


《彼の思考パターンから分析するに、その可能性は高いです、マスター。信仰心の篤い人間ほど、他者の精神構造を、自らの価値観の延長線上でしか理解できない傾向にあります。彼にとって、孤独とは神との対話、あるいは悪魔の誘惑に苛まれる時間なのでしょう》


〈なるほどな。俺にとっては、お前とのんびり作戦会議ができる、絶好の機会なんだが〉


《肯定します。この静寂は、我々にとって有利に働いています》


この数日間、俺たちは決して無為に過ごしていたわけではない。ヴェリディアを出立した時からアイが放っていた、昆虫サイズの探査ドローン「スティンガー」は、すでに王都の隅々にまで潜入し、リアルタイムで情報を送り続けてきていた。


〈アイ。現状報告を頼む〉


《はい、マスター。現在、王都アウレリア及びその近郊に展開しているスティンガーⅢ型は187機。アルカディア号のオート・マニピュレーターでは、ステルス性能と情報収集能力を強化した新型機『スティンガーⅣ型』の量産が進行中。そのうち、先行部隊である第一陣50機はすでにこちらへ向かっており、明日の未明にはこの空域に到達する見込みです》


頼もしい報告だ。俺がこの塔に閉じ込められている間にも、俺の「目」と「耳」は、着実にこの王都を網羅しつつある。


《王都内の情勢ですが、まず教会内部は、マスターの処遇を巡って意見が割れている模様です。サルディウス審問官が所属する原典派は、マスターを即刻『異端者』として断罪すべきだと主張。しかし、教皇猊下を中心とする探究派は、事を急ぐべきではないと慎重な姿勢を崩していません》


〈やはり、サルディウスの独断専行気味だったか。教皇は、俺という存在をどう見ている?〉


《断定はできませんが、教皇は極めて老獪な政治家でもあるようです。マスターの持つ技術と知識が、教会にとって有益か、あるいは脅威となるか。その価値を、慎重に見極めている段階かと。サルディウス審問官の動きを黙認しているのも、マスターという未知の駒が、盤面にどのような影響を与えるかを見定めるための、一種の観測期間と推測されます》


〈俺を天秤にかけてるってわけか。で、王家の方は?〉


《国王は、依然としてマスターに『賢者』の称号を与えるという意思を変えていないようです。しかし、教会の権力は王権と拮抗、あるいはそれ以上に強大であり、国王と言えども、教会の正式な決定には逆らえないようです。現在、王宮と教会の間で、水面下での激しい政治的駆け引きが繰り広げられています》


厄介な状況だ。だが、俺にとっては、時間があればあるほど情報が集まり、打てる手も増える。サルディウスが俺をここに閉じ込めているのは、むしろ好都合とさえ言えた。


夜も更け、俺はベッドに横になりながら、脳内でアイとスティンガーの運用について最終的な打ち合わせをしていた。その時だった。


ふと、部屋の空気にごく微かな揺らぎを感じた。それは、風の流れでも、温度の変化でもない。もっと根源的な、空間そのものの「気配」の乱れ。


〈アイ、何かいるか?〉


《……いえ、マスター。私のセンサーには、いかなる物理的な侵入も検知されていません。熱源、音、魔素の流れ、すべて正常です》


アイが捉えられない? だが、俺の、この星に来てから研ぎ澄まされた直感は、確かに告げていた。この部屋にいるのは、俺一人ではない、と。


俺は、ゆっくりと身を起こした。


そして、息を呑んだ。


部屋の隅、窓から差し込む月明かりが届かない、最も深い闇の中に、一つの人影が立っていた。


音も、気配も、魔力の揺らぎさえも感じさせずに、まるで最初からそこにいたかのように、黒装束の人物が静かに佇んでいる。


この出で立ちには見覚えが……たしか、ヴェリディアでクズマンとかいう奴の件に介入してきた……。


《マスター、警戒してください。過去の記録データと照合……99.8パーセントの確率で、ヴェリディアで接触した所属不明の人物と同一です》


俺は、いつでも斥力フィールドを展開できるよう、全身の神経を研ぎ澄ませながら、ベッドからゆっくりと降りた。


「何の用だ」


俺の問いに、黒装束の人物は動かない。ただ、フードの奥の闇が、じっとこちらを見つめているようだった。俺がさらに一歩踏み出そうとした時、その人物から、性別も年齢も判別できない、抑揚のない声が発せられた。


「敵意はない」


その声は、まるで空間に直接響くかのように、俺の鼓膜を震わせた。


「私は、とある方から、お前と連絡を取るように言われてきた」


「とある方、ね。随分と持って回った言い方だ。その『とある方』とは誰だ?」


俺の問いに、黒装束の人物は答えなかった。沈黙が、肯定とも否定ともつかない、重い意味を持って部屋に満ちる。


〈アイ、こいつの正体、何か掴めそうか?〉


《……駄目です、マスター。対象は、何らかの特殊な魔道具、あるいは術式によって、あらゆる情報的探査を遮断しています。まるで、この空間に存在する『穴』のようです》


アイをもってしても正体不明。ますます怪しい。だが、不思議と、殺気や敵意は感じられない。むしろ、その佇まいは、極めて事務的な用件を伝えに来ただけの、ただのメッセンジャーにさえ見えた。


俺は、思考を巡らせた。この正体不明の人物は、一体誰の差し金なのか。教会か? 王家か? あるいは、全く別の第三勢力か。


分からない。だが、この接触は、閉塞した状況を打破するための、千載一遇の機会かもしれなかった。俺は、一つの賭けに出ることにした。


「……分かった。あんたの主人が誰かは、今は問わない。だが、あんたが本当にただの連絡役なら、俺からあんたの主人に、届け物を頼みたい」


俺は、懐から二通の羊皮紙を取り出した。ヴェリディア辺境伯と、アルケムギルド長から託された、紹介状だ。


「これを、あんたの主人に渡してくれ。そして、この手紙に書かれている人物に、確実に届けるように、と伝えてほしい」


黒装束の人物は、俺が差し出した手紙を、無言で受け取った。その指先が、一瞬だけ俺の指に触れる。氷のように冷たかった。


手紙を受け取ると、その人物は後ずさり、再び部屋の闇の中へと溶け込もうとする。


「待て。一つだけ聞かせろ。あんたの主人は、俺の敵か? 味方か?」


俺の最後の問いに、黒装束の人物は、闇に消える直前、ほんの一瞬だけ足を止め、そして、こう答えた。


「我が主は……盤を覆す者を好む」


その言葉を残し、黒装束の人物は完全に気配を消した。まるで、最初から誰もいなかったかのように。


俺は一人、静まり返った部屋で、自らの行動を反芻していた。


この行動が吉と出るか、凶と出るか。それは、まだ誰にも分からない。


だが、盤上の駒は、確かに動いた。俺は、この閉ざされた塔の中から、反撃の狼煙を上げたのだ。


あとは、俺が託した二通の手紙が、この膠着した盤面をどう動かすか。それを待つだけだ。俺は、窓の外に広がる王都の夜景を見つめながら、静かに、しかし確かな手応えを感じていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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