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第80話:隘路の攻防

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

陽が西の岩稜に傾き、街道沿いの森に長い影が落ち始める頃、一行は野営の準備を始めていた。神殿騎士たちは手際よく馬を休ませ、見張りを立て、火を熾す。その中心で、筆頭異端審問官サルディウスは、まるで凍てついた石像のように、揺らめく炎を見つめていた。だが、その視線は炎ではなく、少し離れた場所にいる一人の男に、冷たく注がれていた。


俺は、騎士たちが作る円から少し離れ、道端に転がるごく普通の石を手に取っていた。何の変哲もない花崗岩だ。だが、その結晶構造、長石と石英の混じり具合は、地球のそれとは微妙に異なっている。


「異端者よ。そのような石ころに、神の御業以外の何を見出そうというのか」


静寂を破ったのは、背後からかけられたサルディウスの声だった。いつの間にか、彼は俺のすぐ後ろに立っていた。


「ただの石ではありません。この石一つにも、この世界を形作る『ことわり』の一部が刻まれています。成り立ち、構造、そして、なぜここにあるのか。それを知りたいと思うのは、自然な探究心かと」


俺は石から目を離さずに答えた。


「探究心、か。聞こえは良いが、それは神の領域を侵す傲慢の別名に過ぎん」


サルディウスは、俺の手の中の石を、まるで汚物でも見るかのように一瞥した。


「神が石を石として創られた。それで十分ではないか。それを分解し、成り立ちを探り、人の矮小な知識で分類しようとすること自体が、神への不敬。君の言う『理術』とやらの根底には、その冒涜的な思想が流れている」


彼の言葉は、俺の行動の本質を的確に突き、それを信仰の刃で断罪しようとしていた。


「では審問官殿、一つお尋ねしたい。貴方は、夜空に輝く星々を見て、何を思われますか? 神が創りたもうた完璧な秩序の証とご覧になるか。あるいは、ただ燃え盛る石が無秩序に漂っているだけだとお考えか」


俺は、静かに、しかし鋭く問いを返した。それは、彼の信仰の根幹を問う、危険な刃でもあった。周囲で聞き耳を立てていた騎士たちの間に、緊張が走るのが空気で分かった。


サルディウスは、俺の問いに表情一つ変えず、即答した。


「愚問だな。星々は、神が定められた軌道を寸分の狂いもなく巡る、神聖なる秩序の体現に他ならん。その美しさこそが、神の偉大さの証明だ」


「ならば審問官殿」


俺は続けた。


「その神聖なる秩序、すなわち星々の動きを計算し、未来の天体の位置を予測する『占星術』は、神の領域を侵す傲慢には当たらないのですか? 教会が暦を編纂し、季節の移ろいを民に示すのもまた、その秩序を人の知識で解き明かす行為のはず。私の『理術』も、それと同じく、神が創られた世界の法則を学び、人々の暮らしに役立てようとする試みの一つに過ぎません」


俺の言葉に、サルディウスの眉が、初めて微かに動いた。彼の信仰の盾に、俺の理屈の矛が、確かに届いた手応えがあった。


だが、彼はすぐに冷たい笑みを浮かべ、その矛盾をいともたやすく切り捨てた。


「…やはり、君は何も分かっていない。我らが星を読むのは、神が示された道を、人が謙虚に読み解く行為。だが、君の行いは、神が創られたものそのものに手を加え、作り変えようとする、冒涜的な『創造』の真似事だ。道を読み解く者と、道を勝手に作り変えようとする者。その違いが、君には永遠に分かるまい」


彼は、それきり口を閉ざした。議論の打ち切り。これ以上、俺の言葉に耳を貸す価値はないという、絶対的な拒絶だった。


夜の闇が訪れ、俺とサルディウスの間には、決して交わることのない、決定的な断絶だけが、より色濃く残されていた。



旅は数日続いた。俺とサルディウスの間で、言葉を介した精神戦は繰り返されたが、互いに決定的な隙を見せることはなかった。やがて、護送団は王都へと続く最後の難所、鬱蒼とした森を抜ける隘路に差し掛かった。両側を険しい岩壁に挟まれ、見通しの悪い道が続く。神殿騎士たちの間にも、緊張の色が浮かんでいた。


まさにその時だった。


「――伏せろッ!」


俺が叫ぶのと、アイが脳内に警告を発するのは、ほぼ同時だった。


《マスター! 複数、高速接近! 》


木々の間から、黒装束の集団が音もなく現れた。その手には、不気味な光を放つ剣や短剣が握られている。彼らの動きには一切の無駄がなく、明らかに高度な訓練を受けていた。その胸には、鷲の心臓に炎が纏う紋章が刻まれている。


「なっ…!馬鹿な、あの紋章は…!? なぜ奴らがここに!」


神殿騎士の一人が驚愕の声を上げる。だが、その声はすぐに苦悶の呻きに変わった。狂信者たちの連携は完璧で、騎士団の陣形は一瞬で切り崩される。彼らは、神殿騎士の剣筋や防御の癖を完全に読み切っているかのようだった。


俺は舌打ちし、馬から飛び降りる。ゴルバスから渡された特注の革鎧とブーツは、驚くほど軽く、しなやかに俺の動きに追従する。


《マスター、三時の方向から三人。二人は斬撃、一人は突き。回避後、五時の方向へ二歩》


アイの戦術予測が網膜インプラントにオーバーレイ表示される。俺は、思考よりも速く体が動くのを感じていた。


襲撃者の刃が俺の首筋を掠める。紙一重。俺は身を翻し、腕に巻かれた触媒に意識を集中させる。


「結界!」


大気中の魔素が俺の周囲で急速に圧縮され、目に見えない防御壁を形成する。飛来した数本の矢が、不可視の壁に当たって甲高い音を立てて弾かれた。


「なっ!?」


騎士たちから驚きの声が上がる。


俺は構わず、さらに意識を集中させ、腕を振るう。それは剣を振るう動きではない。まるでオーケストラの指揮者のように、空間そのものを操るかのような滑らかな所作。その瞬間、不可視の力が隘路を薙いだ。


斥力裂刃(スラッシュ)!」


大気を極限まで圧縮して作り出した真空の刃が、複数、同時に襲撃者たちを襲う。それは神殿騎士の鎧を斬り裂くほどの威力はない。だが、狙いは鎧ではなかった。一人の足元を薙いで体勢を崩させ、別の一人の振りかぶった剣の軌道を逸らし、さらに別の一人の盾を弾き飛ばす。一連の動きは、まるで精密な機械が計算し尽くした結果であるかのように、完璧なタイミングで、複数の戦局に同時に介入した。


体勢を崩した襲撃者の喉を、立て直した神殿騎士の槍が正確に貫く。剣の軌道を逸らされた敵は、がら空きになった胴を別の騎士の長剣に抉られた。


「なんなのだ、今の力は…!?」


「詠唱もなしに、これほどの広範囲干渉魔法を…いや、魔法ではないのか…!?」


神殿騎士たちの間に、驚愕と混乱が広がる。彼らが知る魔法は、魔力を練り上げ、呪文を詠唱し、特定の現象を引き起こすものだ。だが、俺の「理術」には、そのどれもが存在しない。ただ、俺がそう「意図」するだけで、物理法則が捻じ曲げられ、戦況が覆っていく。それは彼らにとって、理解不能な、異質の力だった。


最初は戸惑っていた騎士たちも、俺が作り出す絶好の機会を見逃すほど未熟ではなかった。俺が敵の動きを封じ、陣形を乱す。その一瞬の隙を、彼らの鍛え上げられた剣と槍が確実に突く。俺が後衛から戦場全体を俯瞰し、アイの戦術予測と連携して戦局をコントロールする司令塔となり、神殿騎士たちがその鋭い矛となる。攻守の役割が、完璧に噛み合った瞬間だった。


乱戦の中、一人の神殿騎士が敵の連携に足を取られ、背後から別の襲撃者の短剣が迫る。


「ぐっ…!」


騎士が死を覚悟した、その刹那。


「結界!」


俺が掌を突き出すと、騎士と襲撃者の間に、目に見えない衝撃の壁が炸裂した。襲撃者は、まるで巨人に突き飛ばされたかのようにくの字に折れ曲がり、岩壁に叩きつけられて動かなくなった。


助けられた騎士は、何が起こったのか理解できないまま、呆然と俺の背中を見つめていた。


戦いは、もはや一方的だった。俺の的確な支援によって完全に統制を取り戻した神殿騎士団は、熟練の戦士としての地力を存分に発揮し始めた。数分後、隘路に立っているのは、俺たちと神殿騎士団だけとなっていた。


だが、捕らえようとした最後の一人は、追い詰められると、躊躇なく自らの喉を掻き切り、命を絶った。その瞳には、任務を完遂できなかったことへの絶望と、そして、俺という理解不能な存在に対する、畏怖と狂信が入り混じった、異様な光が浮かんでいた。


静まり返った隘路には、血の匂いと、倒れた者たちの呻き声だけが響いていた。


サルディウスが、無傷のままの俺を睨みつけていた。彼の瞳の奥には、先ほどの論戦の比ではない、本質的な恐怖と敵意が燃え上がっていた。俺の力が、彼の理解と信仰の範疇を、完全に超えてしまったのだ。


「カガヤ……貴様……」


彼の言葉は、森のざわめきに掻き消された。だが、俺にははっきりと聞こえていた。


王都での対決は、もはや避けられない。そしてそれは、単なる異端審問では終わらないだろう。


俺は、この世界の、より深く暗い闇に足を踏み入れてしまったのだと、確信していた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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