幕間3-1:王家の使者
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カガヤ・コウと異端審問官サルディウスを乗せた一団が、ヴェリディアの東門から王都へと旅立っていった、まさにその日の午後。
まるで計ったかのように、今度は南門から、街に入る別の一団がいた。
揃いの銀の鎧に、王家の紋章である「天翔ける獅子」を刻んだ盾。その整然とした隊列と、一糸乱れぬ馬蹄の音は、彼らがただの兵士ではない、王家に仕える近衛騎士であることを示していた。その集団こそ、王都アウレリアより、カガヤの賢者授与を正式に布告するために遣わされた、国王の使者一団であった。
彼らは街の喧騒に目もくれず、一直線に辺境伯邸へと向かう。その報は、瞬く間にヴェリディアの権力の中枢を駆け巡った。
◇
辺境伯邸の執務室。重厚な黒鉄木の机を挟み、ヴェリディア辺境伯カレム・ンゾ・ヴェリディアは、静かに客人を迎えていた。
客人は、近衛騎士に護衛されてきた壮年の文官だった。その顔には貴族特有の傲慢さはなく、かといって卑屈さもない。ただ、磨き上げられた鏡面のように、一切の感情を映さない無表情が張り付いている。
「辺境伯様にはご健勝のこと、お慶び申し上げる。王の勅命を携え、参上つかまつった」
「うむ。…それにしても、随分と遅い到着であったな」
カレムの言葉には、棘があった。それは、この数日間の混乱と心労を凝縮したかのような、鋭い棘だった。
「は。道中、いろいろとありましてな」
使者は、表情一つ変えずに答える。その「いろいろ」という一言に、どれほどの政治的な駆け引きが隠されているのか。カレムは、その真意を探るように、鋭い視線を男に向けた。
「貴殿らが来る前に、招かれざる客の方が、先にこの街を引っ掻き回してくれたぞ」
「…異端審問官ですな」
使者の言葉は、疑問形ではなかった。まるで、そうなることを知っていたかのような、確信に満ちた響き。
「やはり、知っていたか」
カレムの問いに、使者は答えなかった。ただ、その無表情のまま、静かにカレムを見返すだけだ。その沈黙が、何よりも雄弁に「肯定」を物語っていた。王家は、教会の動きを完全に把握していながら、あえて静観していたのだ。
カレムの眉間に、深い皺が刻まれる。
「…で、王宮の意見は? この状況で、まだあの男に賢者の称号を与えると申すのか」
「無論。王家の決定に揺るぎはございません。カガヤ殿には、予定通り『賢者』の称号を授与いたします」
「それも、審問の行方次第では難しくなるぞ。万が一、彼が『異端者』として断罪されれば、王家は教会と真っ向から対立することになる。その覚悟がおありか?」
カレムの言葉は、もはや単なる確認ではなかった。それは、王家の真意を問いただす、領主としての詰問だった。
使者は、そこで初めて、その唇の端に、ごく微かな笑みを浮かべたように見えた。
「辺境伯様。異端審問ごときに阻まれるような脆弱な輝きならば、そもそも『賢者』の名には値しますまい。…と、ある御方は仰せでした」
「…ゼノン殿下か」
カレムの口から、第二王子の名が漏れた。あの、快活で、野心的で、そして底の知れない若き王子の顔が脳裏に浮かぶ。
「ご想像にお任せいたします」
使者は、肯定も否定もせず、ただ深々と頭を下げた。だが、その答えは、カレムにとって十分すぎるほど明確だった。
これは、王家、いや、第二王子ゼノンが仕掛けた、壮大な盤上遊戯なのだ。カガヤという規格外の駒を盤上に投じ、教会という巨大な敵の陣形を崩そうとしている。そして、このヴェリディアでさえ、その大きな盤の、ほんの一マスに過ぎない。
やがて、使者は形式的な挨拶を終えると、再びあの無表情に戻り、執務室を辞去していった。
一人残された部屋で、カレムは深く、長く息を吐いた。
「さて、王家はカガヤ殿をどう扱うつもりなのか。教皇も、このまま原典派の好きにさせるつもりもなかろうが…」
権力と信仰、そして利権。様々な思惑が、カガヤという一人の男を中心に、巨大な渦となって巻き起こり始めている。その渦は、やがてこの国全体を飲み込む嵐となるだろう。
「お父様…」
いつの間にか、扉の前にエラルが立っていた。その顔には、父を気遣う色が浮かんでいる。
「エラルか。入るならノックくらいせんか」
「申し訳ありません。ですが、お父様のお顔があまりに険しかったものですから」
彼女はそう言うと、静かに父の隣に寄り添った。
「カガヤ様は…大丈夫でしょうか」
その声には、隠しきれない不安が滲んでいる。カレムは、娘のその純粋な問いに、すぐには答えられなかった。大丈夫か、と問われれば、大丈夫ではない、としか言えない。だが、そんな絶望を、この娘に聞かせるわけにはいかなかった。
「…どうかな。お前は、あの男をどう思う?」
カレムは、逆に問い返した。この娘が、あの異邦人に何を見出したのか。それを、知りたかった。
エラルは、少しの間、窓の外に広がる庭園を見つめていた。そして、ゆっくりと、しかし、確かな光をその瞳に宿して、父に向き直った。
「カガヤ様は、嵐のような方です。ですが、その中心は驚くほど静かで、澄み渡っています」
「ほう…」
「多くの方は、その力の大きさや奇跡に目を奪われますが、わたくしが見たのは、ただ目の前の命を救おうとする、一人の誠実な薬師の姿でした。そして、ご自身の行いが招くであろう困難から、決して目を逸らさない、強いお方です」
彼女はそこで一度言葉を切り、父の目を真っ直ぐに見つめた。
「教会が彼を異端と呼ぶのなら、わたくしは喜んでその異端の側に立ちましょう。父上が命を懸けて守ってこられたこのヴェリディアの民も、きっと同じ想いのはずです。真の賢者とは、称号ではなく、その行いによって証明されるもの。わたくしは、そう信じております」
娘の、令嬢としての柔らかな物腰の奥に隠された、鋼のような意志。その言葉に、カレムは息を呑んだ。そして、自らの迷いが、この娘の確信によって晴れていくのを感じていた。
そうだ。小賢しい政治の駆け引きなど、今はどうでもいい。守るべきは、この娘が信じる「理」であり、この街が受けた恩義だ。
「…そうか」
カレムは、短く、しかし、万感の想いを込めて頷いた。
ヴェリディアの空は、どこまでも青く澄み渡っている。だが、その遥か先、王都アウレリアでは、巨大な嵐が、その胎動を始めていた。
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