第78話:それぞれの想い
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王都への出立まで、三日の猶予が与えられた。
筆頭異端審問官サルディウスが支配する教会は沈黙を守り、街には依然として緊張した空気が張り詰めていたが、俺の周りでは、ヴェリディアの守護者たちが静かに、そして力強く動き始めていた。
審問の翌日、俺は三人の守護者……いや、この街の三つの権力の頂点に立つ者たちに、改めて呼び出された。場所は、辺境伯邸の執務室だった。
「カガヤ殿。君の決断、我々は尊重する」
最初に口を開いたのは、カレム・ンゾ・ヴェリディア辺境伯だった。彼の表情に、昨日のような険しさはない。あるのは、統治者としての深い思慮と、俺への静かな信頼だった。
「だが、君を一人で敵の巣に送り込むわけにはいかん。これは、王都にいる我が縁者への手紙だ。万が一の時には、必ず君の力になるだろう。それから、道中の資金も用意させた。遠慮なく使ってくれ」
彼が差し出した手紙と金袋は、ずしりと重かった。それは、単なる物質的な支援ではない。この街の統治者からの、最大限の庇護の証だった。
「わしからは、これじゃ」
次にアルケム殿が、一枚の羊皮紙を差し出した。巻物のように丸められ、厳重な封蝋が施されている。
「王都には、わしの旧知で、この国で最も博識な人物がおる。王立大図書館に、な。これは、その方へのわしからの紹介状じゃ。そして、君がヴェリディアで成し遂げた『分離薬学』に関する詳細な報告書も添えておいた。王都の学者たちの中にも、君の味方となる者は必ずおる。決して、一人で戦おうと思うな」
知のネットワーク。それは、武力や権力とはまた違う、強力な武器となりうる。
最後に、腕を組んで黙って話を聞いていたゴルバスが、無造作に一つの包みをテーブルに置いた。
「俺からはごちゃごちゃ言うことはねえ。死ぬんじゃねえぞ、カガヤ。その装備は、ギルドの特注品だ。無駄死にして、装備まで無くすんじゃねえぞ」
包みを開くと、中から出てきたのは、黒く鞣された、しなやかで頑丈そうな革鎧と、足音を吸収する特殊な素材で作られたブーツだった。冒険者ギルドが持つ最高級の隠密装備だ。
「王都までの道中、何があるか分かったもんじゃねえ。教会の連中が、道中おとなしく護送してくれるとは限らんからな。気休めかもしれねえが、ないよりはマシだろ」
ぶっきらぼうな口調に、彼なりの最大限の気遣いが滲んでいた。
権力、知性、そして武力。この街の守護者たちは、それぞれのやり方で、俺のこれからの戦いを支えようとしてくれていた。俺は、三人が差し出してくれた支援を、一つ一つ、確かめるように受け取った。
「……ありがとうございます。必ず、生きて戻ります」
それが、俺に言える、精一杯の返事だった。
◇
旅立ちの前日、俺は辺境伯邸を訪れていた。エラルが、どうしても会って話したいことがある、と。
中庭で待っていると、彼女は一人で、しっかりとした足取りで現れた。初めて会った時の、儚げな面影はもうどこにもない。
「カガヤ様。この度は、私のことで、あなた様を危険な旅におもむかせてしまうことになり…誠に、申し訳ありません」
彼女は、深々と頭を下げた。その声には、自分を責めるような響きがあった。
「顔を上げてください、エラル様。私が王都へ行くのは、あなたのせいではありません。これは、私が自分で選んだ、私自身の戦いです」
俺がそう言うと、彼女は少しだけ潤んだ瞳で、俺を見上げた。
「…ですが、もし私が病に罹らなければ、カガヤ様がこれほど教会に目をつけられることも…」
「そんな風に思わないでください。もしあなたと出会っていなければ、私はただの一介の冒険者として、この世界の本当の姿に気づずにいたでしょう。あなたの病を治すという経験が、私にこの世界の歪みと、私が向き合うべき課題を示してくれました。だから、あなたは何も悪くない。むしろ、感謝しているくらいです」
俺は、できるだけ優しい声で言った。
「それに、あなたの笑顔が見られたからこそ、私は『この日常を守りたい』と、強く思うことができたのですから」
俺の言葉に、エラルの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。だが、彼女はすぐにそれを指で拭うと、決意を秘めた笑顔を見せた。
「…はい。ならば、私は、カガヤ様が救ってくださったこの命と、この街で、あなた様の帰りをいつまでもお待ちしております」
彼女はそう言うと、手のひらに収まるほどの、滑らかに磨かれた木で作られた小さなロケットを俺に差し出した。
「これは、私からのお守りです。病の床にいた頃、窓からずっと眺めていた、あの中庭の大樹。ヴェリディア家には、あの木にまつわる古い言い伝えがあるのです」
彼女がそっとロケットを開くと、中には一枚の葉が、透明な樹脂のようなもので封じ込められていた。ただの葉ではない。葉脈が、まるで黄金の糸のように、微かな光を放っている。
「百年に一度だけ、あの樹には黄金の葉が芽吹くと。その葉を持つ者は、いかなる絶望の淵に立たされても、必ずや希望への道が示される、と。私が元気になって、初めて庭を歩いた日に、この一枚を見つけました。これはきっと、カガヤ様が私にくださった奇跡のお返しなのだと、そう思いました。どうか、これを持って行ってください」
その小さな、しかし温かいロケットに込められた伝説と想いの重みを、俺は確かに受け取った。
◇
そして、出発の朝。
宿屋「古木の憩い」を出ると、そこにはクゼルファが一人、静かに俺を待っていた。
彼女はいつもの剣を腰に差し、冒険者としての務めを果たすかのように、背筋を伸ばして立っている。
「…もう、行かれるのですね」
彼女が、静かに、しかし覚悟の定まった声で言った。
「ああ」
俺は、短く応えた。
短い言葉の応酬。だが、その間には、これまでのどんな会話よりも濃密な想いが流れていた。
「クゼルファ。エラル様のこと、この街のこと、頼んだぞ」
「はい。お任せください。カガヤ様こそ、ご無事で」
彼女は、俺の目をじっと見つめた。その瞳には、不安や悲しみではなく、戦士としての、誇り高い光が宿っていた。
「私は、ここでさらに腕を磨きます。次にあなた様にお会いする時は、今よりもっと強い剣士になっています。あなたの隣で、どんな敵とも渡り合える、そんな剣士に」
それは、彼女の誓いだった。
俺は、彼女の言葉に、ただ強く頷き返した。
「ああ。楽しみにしている」
「はい」
それが、俺たちの別れの挨拶だった。
さよなら、じゃない。また会うための、約束の言葉だ。
俺は彼女に背を向け、王都からの護送団が待つ、街の門へと歩き出した。
ゴルバスにもらった真新しい革鎧が、体に馴染む。足音を吸収するブーツは、石畳の上でも驚くほど静かだ。
背中に、彼女の視線を感じる。だが、もう振り返らなかった。
ヴェリディアの城門がゆっくりと開いていく。その重々しい音は、俺がこの街で築いた束の間の平穏との決別を告げているようだった。
俺が進む先は、フォルトゥナ王国の心臓、王都アウレリア。だが、それは栄光への凱旋ではない。茨の道行きだ。
懐には、辺境伯の手紙とアルケム殿の紹介状。そして首からは、エラルのお守りのロケットが、確かな温もりを伝えていた。
そして、俺の心には、クゼルファの誓いが。
俺はもう、一人ではない。
ヴェリディアで得た、かけがえのない絆を胸に、俺は敵の本拠地、王都へと向かう。
真実を、掴み取るために。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
これにて第3章、完結となります。
幕間を挟み、第4章へと物語は続きます。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
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