第8話:観測網と適応
お読みいただき、ありがとうございます。
しばらくの間は、朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。
少しでも楽しんでいただけたら、とても嬉しいです。
クエイク・ボアの肉の衝撃的な美味さと、その肉が持つ驚異的な栄養価は、俺のサバイバル生活の質を一変させた。それまで非常食と、毒見を繰り返しながら採取した植物で凌いでいた食料事情は、この魔獣肉の登場で一気に豊かになったのだ。
「マスター、本日の調理法は『燻製』を推奨します。魔素の活性がより安定し、保存性も向上します。遠距離探索の際の携行食料として最適です」
ある日は香ばしい煙をまとわせた燻製、またある日は、森で採れた香草と根菜と共に煮込んだとろとろのシチュー。アイの提案する調理法は多岐にわたった。慣れない解体や調理作業も、ナノマシンの補助と、何よりも味の良さに釣られて、次第に苦にならなくなった。
「なあ、アイ。気のせいか……最近、身体が軽い。疲れにくくなった気もする」
焚き火で肉を炙りながら、俺はふと、自身の体の変化について口にした。
「気のせいではありません、マスター。マスターの身体データを分析した結果、筋繊維の回復速度が地球基準の1.3倍に向上しています。魔獣の肉に含まれる微量の魔素が、マスターの体内の医療用ナノマシンと何らかの相互作用を起こし、身体能力を緩やかに最適化している可能性があります」
アイの淡々とした報告に、俺は自分の腕を見つめた。この世界の法則に、俺自身が「適応」し始めている。それは、生存確率の向上を意味すると同時に、俺がもはや純粋な地球人ではなくなっていくことの証でもあった。
だが、そんな変化以上に、俺の心を占めていたのは、あの「設計された生態系」という、あまりにも壮大な謎だった。庭師はどこにいる? その知的探求心が、俺を次の行動へと駆り立てた。
「アイ、結界の構築は可能か? クエイク・ボアとの戦闘で、俺の戦闘能力の低さは証明済みだ。常に防御策を講じる必要がある」
「可能です。マスターの体内に常駐する医療用ナノマシンと、外部の魔素を中継する『触媒』があれば、トラクタービームの原理を応用し、限定的な斥力フィールド――マスターの言う『結界』を形成できます」
「触媒の材料は?」
「船体の残骸、そして……夜間にのみ発光する特殊な苔が必要です。その苔に含まれる物質が、魔素のエネルギー変換効率を飛躍的に高めます」
その夜、俺は自作の小刀を手に、夜の森へと足を踏み入れた。数時間に及ぶ探索の末、洞窟の奥で青白く脈動するように輝く苔を発見し、採取することに成功した。ラボでの数日にわたる苦闘の末、俺はついに掌に収まるほどの大きさの、半透明な結晶体を作り上げた。
「アイ、結界のテストを行う。スティンガーで岩を投下しろ」
スティンガーが抱え上げた巨大な岩が、俺の頭上から落下してくる。アイの脳波信号と共に、腕の触媒が蒼く輝き、目に見えない壁が展開された。だが――。
バキィッ!という、ガラスが砕けるような嫌な音と共に、結界は岩の衝撃に耐えきれずに霧散した。岩の破片が、俺の頬を掠める。
「ダメだ、アイ! エネルギーの指向性が安定しない! これじゃ、クエイク・ボアの突進は防げないぞ!」
「……申し訳ありません、マスター。シミュレーションに、この世界の魔素の『ゆらぎ』が考慮されていませんでした」
俺は、ラボの壁を殴りつけたい衝動を、必死でこらえた。何が足りない? なぜ、魔獣たちは、あれほど安定して魔素を扱えるんだ?
「……待てよ」
俺は、思考を巡らせる。
「魔獣の体内で魔素が安定しているのはなぜだ? 彼らの体内にある何かが、エネルギーを増幅・安定させているんじゃないのか?」
俺は、保存していたクエイク・ボアの解体サンプルへと駆け寄った。心臓の近くにあった、赤黒く脈打つ小さな結晶体。俺は、それを慎重に取り出し、触媒ブレスレットに組み込むことにした。
「再度テストだ!」
今度は、結界が岩の直撃を完全に受け止めた。凄まじい衝撃波が周囲の空気を震わせるが、俺には微かな振動しか伝わってこない。
「……すげえ。これなら、いける」
「はい。魔獣の生体器官を応用することで、エネルギー変換効率が340%向上しました。ただし、エネルギー消費が激しいため、連続使用は3回が限界です」
防御手段は確保した。次は、観測網の拡大だ。
「アイ。広域調査のために、ドローンを量産したい」
「可能です。簡易ラボの機材と、先日採取した金属鉱石を利用すれば、低コストで量産できます」
簡易ラボは、小さなドローン工場と化した。そして、百機ほどの、昆虫サイズで光沢のあるドローンが完成した。だが、ここでも新たな壁が立ちはだかった。完成したドローンを試験飛行させると、数時間で次々と機能停止してしまうのだ。
「原因は、高濃度の魔素による電子回路への干渉です。マスター、このままでは、広域探査は不可能です」
「くそっ……。そうだ、発想を逆転させろ。魔素に弱いなら、魔素に強い素材で覆えばいい。クエイク・ボアの皮だ。あの皮は、魔素の塊である自分自身を守っている。つまり、天然のシールドじゃないか?」
俺は、なめしておいたクエイク・ボアの皮と、先日開発した魔素合金を使い、ドローンの外装を強化した。現地の素材を取り込むことで、俺の科学が、この世界に「適応」していく。
そこからさらに一週間。簡易ラボは、小さなドローン工場と化した。そして、百機ほどの、昆虫サイズで光沢のあるドローンが完成した。
「ナノマシンと言いながら、昆虫サイズか。もうちょっと小さく作りたかったな」
俺が不満げに呟くと、アイは冷静に返してきた。
「マスター。現状でそれ以上を望むのは強欲というものです。量子コヒーレンス・プロセッサを搭載し、自律思考と飛行能力を持つ小型ドローンを、これほどの原始的な環境で生成できるだけでも、奇跡に近いと言えます」
「わかってるよ! お前は時々、俺に手厳しいな」
俺はアルカディア号のハッチを開け、空へと百機の改良型ドローン、第二世代のスティンガーたちを放った。彼らは小さな羽を震わせ、今度こそ、森の奥へと、四方八方へと散っていく。
彼らが送ってくるデータは、この惑星の地理、気候、動植物の分布、そして微弱な魔素の変動パターンなど、多岐にわたった。アイはそれらの膨大な情報をリアルタイムで解析し、俺の脳内に三次元マップとして構築していく。
そうして、クエイク・ボアの肉で身体を強化し、結界で身を守り、現地の素材で強化したドローンで情報を集める日々が続いた。昼間は食料や素材の調達、夜はアイからの報告とデータ解析。一見すると退屈なサバイバル生活だったが、この惑星が持つ奇妙なデータ、そして魔素と科学の融合は、俺の元科学者としての好奇心を常に刺激し続けた。
そんな生活も、何だかんだで一ヶ月が過ぎようとしていた。
この世界での生活リズムにも、すっかり慣れた。日々の探査と研究の中で、俺の技術もまた、この世界に適応し、進化していた。初めは防御一辺倒だった「結界」も、今では出力を調整し、特定の形状に固定することも可能になった。さらに、狩りの必要に迫られ、斥力フィールドの応用で小石を弾丸のように撃ち出す、ささやかな攻撃手段も手に入れた。この世界の人間が見れば「魔法」と呼ぶかもしれない。だが、俺にとっては、全てが計算と理論に基づいた、再現可能な科学技術に過ぎない。
こうした日々の積み重ねの結果、アルカディア号を中心に、半径50キロメートルの詳細なマップが完成した。動植物は相変わらず豊富で、この惑星の自然はどこまでも生命力に満ち溢れている。だが、そのマップをいくら拡大し、分析しても、残念なことに、人類はおろか、文明らしき痕跡は一切発見できなかった。
「結局、誰もいないのか……。あれだけ広大な地球連邦でも、知的生命体は俺たちだけだった。この銀河でも、同じことなのかもしれないな……」
その夜、俺は焚き火の炎を見つめながら、遠い故郷と、この星の深すぎる謎に思いを馳せていた。庭師は、庭だけを造って、どこかへ去ってしまったのか。諦めにも似た感情が、胸をよぎった、その時だった。
《マスター。報告します。ドローン、スティンガー73号機からの通信が途絶しました》
アイの、常とは違う、僅かにノイズの混じった声が脳内に響いた。
「通信途絶? 故障か、何かにやられたか?」
《断定はできません。ですが、通信が途絶する直前、73号機は極めて特異な魔素のパルスを観測していました。自然発生的な地磁気の乱れか、あるいは未知の現象の可能性があります》
メインモニターに、73号機が最後に送ってきたデータが表示される。それは、不規則なノイズの奔流の中に、ほんの一瞬だけ、奇妙なほど規則的なパルスが混じっている、というものだった。人工的な信号と断定するには、あまりにも微弱で、断片的すぎる。
「……何だ、これは。ただのノイズか?」
《解析しましたが、パターンを特定できません。ですが、このパルスは、これまでの観測データには一切見られない、特異なものです》
それは、文明の痕跡と呼ぶには、あまりにも曖昧な手掛かりだった。だが、これまで、完全に「自然」なデータしか見てこなかった俺にとって、その微かな「不自然さ」は、無視できない棘のように心に刺さった。
「……そうか。分かった…」
俺は、モニターに表示されたノイズの海の、その一点を静かに見つめ続けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。
応援していただけたら、とても嬉しいです。