第74話:薬師の矜持
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俺の決意を受け取ったクゼルファは、一瞬だけ息を呑んだ後、迷いのない力強い瞳で頷いた。
「分かりました。すぐにアルケム様にお伝えします!」
彼女はそれだけを言うと、夜の闇の中を、薬師ギルドへと駆け出していった。その背中には、以前のような不安や無力感の色はもうない。為すべきことを見出した戦士の、確かな覚悟が満ちていた。
俺は部屋に戻ると、すぐにアイと共に「灰降病」の治療法の構築に取り掛かった。
クゼルファがもたらしてくれるであろう、より詳細な患者のデータ。それがあれば、治療の精度は格段に上がる。だが、時間は限られていた。ティトゥスという若い神官の命は、刻一刻と失われつつある。
〈なあ、アイ。現状のデータだけで、治療法を構築できるか?〉
《憶測で薬を調合しても、期待する効果が得られるとは限りません》
「やはり、病理サンプルがないと難しいか……」
《肯定します。病理サンプルがあれば、原因の特定とそれに対する特効薬の分子設計も、より高い精度で実現可能です》
「だが、そのサンプルが手に入らなければ…」
俺がそう呟き、思考の袋小路に陥っていた、まさにその時、部屋の扉が慌ただしくノックされた。
息を切らしたクゼルファが、一枚の羊皮紙と、小さなガラス瓶を手に飛び込んできた。
「カガヤ様! アルケム様からです!」
羊皮紙には、アルケム殿の震えるような筆跡で、詳細な情報が記されていた。
『ティトゥス神官、二十の刻時点での容態。体に触れると火傷しそうなほどの高熱。呼吸は浅く、喉からは湿った喘鳴音。痰には血と、微細な灰色の粒子が混じる。意識は混濁。なお、患者から排出された物質の標本も添付しておく。教会内部の協力者より、命懸けで提供された情報なり。一刻の猶予もなし』
やはり、アルケム殿は動いてくれていた。教会内部の、サルディウスの非道なやり方に疑問を抱いた誰かが、危険を冒して情報をリークしてくれたのだ。
「…間に合うか」
俺はガラス瓶を手に取った。中には、ティトゥスの痰に混じっていたという、微細な灰色の粒子が封入されている。
〈アイ。このサンプルを解析する。ナノマシンで、内部構造から組成、考えられる全てのデータを収集するんだ〉
《了解です、マスター》
俺は、ガラス瓶の蓋を慎重に開ける。そして、腕のブレスレットを操作し、瓶の中へナノマシンを投入した。肉眼では見えないほどの微細な機械たちが瓶の内部で灰色の粒子と接触し、その分子構造、化学的特性、そして周囲に存在するであろう未知の微生物の情報を、瞬時にスキャンしていく。俺の視界に、網膜インプラントを通して、アイが構築する三次元の解析データがリアルタイムで映し出されていった。
数分後、アイが冷静な、しかし確信に満ちた声で報告を完了した。
《解析完了。マスター、原因が特定できました。灰降病は、2つの要因が複合したものです。第一に、ヴェリディア山脈の特定区域で産出される、微細な結晶構造を持つ鉱物『灰晶石』。そして第二に、その灰晶石を宿主として繁殖する、未知の腐食性胞子です》
「腐食性胞子だと?」
《はい。この胞子は単体ではほぼ無害ですが、灰晶石の表面に付着し、肺内部の環境で活性化します。そして灰晶石を触媒として、肺組織を急速に線維化させる毒素を放出します。これが、短期間で重症化する直接的な原因です。通常の身体機能では、この複合体を分解・排出することは不可能です》
「なるほどな…。灰晶石そのものが直接的な原因というより、胞子の『培地』兼『触媒』になっているわけか。問題は、肺胞の奥深くに癒着したその複合体を、どうやって安全に除去するかだ」
俺は思考を加速させる。外科的な手術はこの世界の技術では不可能。強力な溶解液を使えば、肺そのものが致命的なダメージを受ける。
ならば、方法は……。
〈アイ。医療用ナノマシンを今回の症状に合わせて再設計しよう。目的は、対象の肺組織へのダメージを最小限に抑えつつ、灰晶石の粒子のみを選択的に分解・中和すること。できれば、ナノマシンは霧状にして、患者に吸入させる形で投与したい〉
《了解。ナノマシンの設計を開始します。灰晶石の結晶構造にのみ反応する、特殊な酵素を生成するプログラムを組み込みます。アルカディア号の医療ユニットで、精製は可能です》
「問題は、どうやってそれをここに運ぶか、だ」
俺は羊皮紙を握りしめた。情報が揃った。治療法の方針も固まった。だが、問題は、どうやってナノマシンをここに送るかだ。アルカディア号で精製はできても、届ける手段がない。
…アルカディア号の転送装置は?
一瞬、その考えが頭をよぎる。だが、すぐに打ち消した。
駄目だ。万が一にも見つかるようなことがあればそれこそ……。
転送装置は、この世界のあらゆる常識を超えた、まさに「神の御業」そのものだ。もし、俺が今この状況で、どこからともなく薬を出現させるような真似をすればどうなる? サルディウスは、狂喜して俺を断罪するだろう。「見よ、これが異端者の使う禍つ者の術だ」と。俺がこれまで積み上げてきた論理や証明は全て吹き飛び、俺は問答無用で「異端者」として確定してしまう。
転送装置は、使うとしても最後の切り札だ。こんなところで、敵に塩を送るような形で使うわけにはいかない。
…と、なると……。
俺は、静かに目を閉じた。
この世界の者として、この世界の技術の延長で、この問題を解決するしかない。
そうだ。これは、ただの人命救助じゃない。 サルディウスが俺に突きつけてきた、挑戦状なのだ。
これも、俺の『試練』か。俺の口元に、自嘲と、そして確かな闘志が入り混じった笑みが浮かんだ。
面白い。サルディウスが言う『神の試練』とやら、受けて立ってやろうじゃないか。
俺が決意を固めた、その瞬間だった。
《マスター。代替案を提示します》
まるで俺の思考の結論を待っていたかのように、アイが冷静な声を響かせた。
《ナノマシンによる根治療法と同等の結果は不可能ですが、その『機能の一部』を代替する方法であれば、マスターの手持ちの機材と素材で実行可能です》
「何だと?」
《はい。二段階の治療を提案します。第一に、音波振動による灰晶石の除去。以前、特定の魔石を用いて薬草に『微弱な魔素振動』を与えたように、患者の喉に特殊な音波を発生させる装置を当て、その振動を液体金属の薬で肺全体に伝播・増幅させ、灰晶石の粒子を共振させて肺組織との癒着を剥がします》
〈それだけでは、胞子が残る〉
《はい。そこで第二に、腐食性胞子の無力化です。この胞子は灰晶石を触媒としなければ毒素を生成できません。使用する液体金属には、胞子の活動を一時的に抑制する効果があります。灰晶石が体外へ排出されれば、胞子は無力化され、あとは患者自身の免疫機能で自然に消滅します》
それは、二つの問題を同時に解決する、極めて精密な治療法だった。まず、音波で物理的に病巣の足場を破壊する。そして、その振動を伝える薬液が、同時に病巣の毒性を抑え込む。ナノマシンのように、すべてを穏やかに分解するわけではない。だが、原因となっている鉱物を物理的に引き剥がし、体外へ排出させると同時に、胞子の活動を封じる。患者には多大な苦痛を強いるだろうが、この世界の技術の延長線上で実行可能な、唯一の道と思われた。
〈よし、それに賭けよう。アイ、すぐにこの治療法に見合った音波発生装置の設計を。俺は薬の調合に入る。〉
俺は研究室に駆け込むと、携帯マテリアルプリンターを起動させた。クゼルファは、俺のただならぬ気配に、何も言わず、しかし強い意志を宿した瞳で、じっと俺の作業を見守っていた。
数時間後、夜が最も深くなった頃。
俺の手元には、二つのものが完成していた。
一つは、手のひらに収まるほどの、複雑な金属と魔石で構成された円盤状の装置。そしてもう一つは、銀色に鈍く輝く、粘性の高い液体が満たされた小瓶。
これが、俺の矜持。
科学者として、薬師として、そして一人の人間としての、サルディウスの冷酷な非情に対する、俺の答えだった。
「クゼルファ」
俺は、振り返り、彼女の名前を呼んだ。
「すまないが、ここからは俺一人の仕事だ。この薬と装置を、教会にいるティトゥス神官に届ける」
俺は、彼女を危険に晒すまいと、あえて一人で向かうことを告げた。だが、クゼルファは静かに首を横に振った。
「いいえ、カガヤ様。私も行きます」
その声には、以前のような遠慮や戸惑いはない。ただ、揺るぎない決意だけがあった。
「私は、もう守られるだけではいたくないのです。あなたの剣となり、盾となる。そう、自分で決めました。それに…二人の方が、成功する確率も上がるはずです」
彼女は、真っ直ぐに俺の目を見つめ返してきた。その瞳に宿る光の強さに、俺は言葉を失う。彼女はもう、俺がただ守るだけの少女ではない。共に戦う覚悟を決めた、一人の戦士だった。
「…分かった。行こう、一緒に」
俺は短く答えると、彼女に頷き返した。
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