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第69話:王都の影、辺境の鐘

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

月明かりだけが頼りの、王城の一室。豪奢な調度品が並ぶその部屋は、主の不在を示すかのように静まり返り、ただならぬ緊張感を漂わせていた。闇に溶け込むような黒衣をまとった人影が、音もなく主の前に膝をついている。


「様子はどうだ?」


窓の外に広がる王都の夜景に背を向けたまま、椅子に深く腰掛けた男が、静かに問いかけた。その声は若く、しかし、底知れないほどの冷徹さと威厳を宿している。


「状況は悪化。邪神教の工作で街は二分。薬師ギルドと商会の一部が同調、対象への敵意を煽っています」


影の者は、感情を一切排した声で淡々と報告する。


「まぁ、予想通りだな。鼠どもは、光が強ければ強いほど、その影でよく繁殖する。で、教会は?」


「異端審問局が、動きました」


「……ほう。異端審問局が動いたか。教皇も、過激派である原典派の独走を止めきれんとは、教会も一枚岩ではないらしい。いや、あの老獪な狐のことだ。今はただ、嵐が過ぎ去るのを待っているだけやもしれんな。…面白い。ならば、こちらも少し興を添えてやるとしようか」


男は、楽しむように、それでいてどこか冷ややかに呟いた。彼の指が、椅子の肘掛けをゆっくりと撫でる。


「『賢者』の称号はこのまま与える。王命は絶対だ。それに、異端審問ごときでどうにかなるような男なら、それまでということだ。利用価値もない」


「……」


「引き続き、対象を観察しろ。奴が王都に来るまでに、周囲の駒を整理しておく必要がある。特に、邪神教の動きは徹底的に洗え。奴らの目的は、単なる異端狩りではあるまい」


「御意に」


影の者は、静かに頭を下げると、まるでその場に存在しなかったかのように、音もなく気配を消した。


一人残された部屋で、男はゆっくりと振り返る。その若々しい顔に、初めて月光が当たり、冷たい笑みが浮かび上がった。


「理術か、魔法か、あるいは神の御業か。カガヤか…、お前の力が本物なら、この国の停滞した水に、面白い波紋を広げてくれるやもしれん。せいぜい、異端審問官の茶番を楽しませてもらうとしよう。……そして、その先にある『真実』を、この手で掴み取る」


その独り言は、王都の夜の闇に、静かに溶けていった。



その頃、ヴェリディアの薬師ギルドでは、俺とアルケムが、今後の対策について話し込んでいた。


「ヴァレリウスと金獅子商会のバルタザールが密会、か。やはり、裏で手を組んでいたか」


俺の報告に、アルケム殿は深くため息をついた。


「ヴァレリウスめ、あれにも困ったもんじゃな。薬師としての腕は確かじゃが、いかんせん自己顕示欲が強すぎる。自分の地位を脅かす者への嫉妬心が、商人の甘言に耳を貸させてしまったか」


「敵は、俺の知識を金に換えたい商人と、俺の存在を快く思わない同業者、そして、俺を異端と断じる狂信者、か。全く、人気者は辛いな。見事にバラバラだが、目的は『俺の排除』という一点で一致している。実に厄介ですね」


「うむ。奴らは、それぞれが自分たちのやり方で、貴殿を社会的に抹殺しようと動き出すじゃろう。我々も、手をこまねいているわけにはいかん」


俺とアルケムが、今後の対策について具体的な話し合いを始めようとした、まさにその時だった。


ゴォーン……ゴォーン……


ヴェリディアの正門から、荘厳な鐘の音が鳴り響いた。それは、通常の来訪者を告げるものではない。王家の人間か、あるいはそれに準ずるほどの高位の人物が訪れたことを示す、特別な鐘だ。


街の誰もが何事かと空を見上げ、道行く人々は足を止める。やがて、整然とした馬蹄の音と共に、一団の行列が街の大通りを進んできた。


先頭に立つのは、純白のローブに身を包んだ騎士たち。彼らが掲げる旗には、フォルトゥナ王国の国教である「正教会」のシンボルが厳かに描かれている。その後ろには、助祭服をまとった数人の神官たち、そして、その中心にいる一人の男を護るように、重厚な鎧に身を固めた神殿騎士たちが続く。


しかし、一団の中心でひときわ目を引くのは、正教会のそれとは異なる、もう一つの御旗であった。裁きの剣と天秤、そして神の真理を示す太陽が描かれたその旗は、見る者に「神の光のもとにおける正義の執行」を無言で突きつける、異端審問局の象徴だ。


その御旗の下、一人の男が馬上で背筋を伸ばし、一切の感情を排した無表情で前を見据えていた。歳は四十代ほどだろうか。痩せこけた顔には頬骨が浮き出ており、身にまとっているのは華美な装飾の一切ない、質素だが上質な黒の法衣のみ。だが、その瞳だけが、まるで凍てついた湖の底のように冷たく深い光を宿していた。


男から放たれる人を寄せ付けぬ威圧感と絶対的な権威のオーラは、物理的な圧力となって沿道の人々を沈黙させていた。


「…王都の、教会本部からだ」


「異端審問……」


「なんて威圧感だ…。一体、誰なんだあの方は…」


ひそひそと交わされる声も、恐怖によってか細い。


その行列の噂は、すぐに薬師ギルドにも届いた。


俺とアルケムは顔を見合わせ、執務室の窓へと向かった。眼下の大通りを進む行列を認め、アルケムの顔には苦々しいものが浮かんでいた。


「…やはり、来てしまったか」


「アルケム殿。彼らは?」


「王都中央教会の、異端審問局じゃ。そして、あの一団を率いておるのは…」


アルケムは、忌々しげにその名を口にした。


「筆頭異端審問官、サルディウス。ここ数十年で、数えきれんほどの『異端者』を断罪し、火刑台へ送ってきた男じゃ。『教会の浄化者』などと呼ばれておるが、その実態は、自らの正義を疑わぬ、冷酷無比な狂信者よ」


その言葉に、俺は息を呑んだ。ついに、この国の宗教的権威の、最も過激で危険な部分が、直接介入してきたのだ。


サルディウスの、感情のない瞳が、まるで俺のいるこの部屋を正確に見抜いているかのように、一瞬だけ、こちらに向けられた気がした。


面倒事の、本丸の登場だ。俺は、静かに、しかし確かな覚悟と共に、その冷たい視線を受け止めた。

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