第68話:光と影の揺らめき
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薬師ギルドの大講堂での公開証明から数日。街の空気は、熱病のように奇妙な熱を帯びていた。俺は、そんな外の喧騒から逃れるように、薬師ギルドの研究室で、顕微鏡のような自作の観察器具を覗き込み、この世界の微生物の生態に没頭していた。
俺の公開証明の後、ギルド内の空気は一変した。以前のどこか腫れ物に触るような雰囲気は消え、今では誰もが俺を「先生」と呼び、尊敬と熱意に満ちた視線を向けてくる。特に若い薬師たちの探究心は凄まじく、俺の元には連日、新たな発見や改良案の相談が持ちかけられ、ギルド全体が活気に満ち溢れていた。
アルケム殿も、俺の研究環境を全面的にバックアップしてくれており、高価な素材や希少な文献も、申請すればすぐに手に入る。純粋に知を探求する者にとって、これほど恵まれた環境はなかった。
だが、光が強ければ、影もまた濃くなる。
俺の生み出す革新的な技術は、知の探求者たちだけでなく、別の種類の嗅覚が鋭い者たちをも惹きつけていた。
その日、アルケム殿の執務室に、一人の男が訪れていた。
男の名はバルタザール。王都に本拠を置く、フォルトゥナ王国最大の「金獅子商会」のヴェリディア支部長だ。恰幅の良い体に上等な衣服をまとい、指にはこれみよがしに宝石の指輪が光っている。柔和な笑みを浮かべてはいるが、その目の奥には、獲物を見定めるような鋭い光が宿っていた。
「いやはや、アルケム様。カガヤ様の『分離薬学』、実に見事なものでしたな。あれほどの技術があれば、これまで薬効が弱く見向きもされなかった薬草からも、高純度の薬が精製できる。我が商会が持つ流通網に乗せれば、王国中に安価で良質な薬を届けることができ、多くの民を救えるでしょう。これは、まさしく『黄金』を生む技術ですぞ」
バルタザールは、朗々とした声で捲し立てる。
「つきましては、我が金獅子商会に、カガヤ様の技術の独占契約権をいただけないでしょうか。もちろん、ギルドへの寄付は惜しみません。カガヤ様個人にも、一生遊んで暮らせるだけの報酬をお約束いたします」
その言葉に、アルケムは静かにお茶をすすると、穏やかに、しかしきっぱりと首を横に振った。
「お気持ちはありがたいが、お断りいたします、バルタザール殿。カガヤ殿の知識は、金で縛られるべきものではない。あれは、この世界の薬師学そのものを発展させるための、公共の財産となるべきものじゃ」
「しかし…!」
「それに」 アルケムは、バルタザールの目を真っ直ぐに見据えた。
「カガヤ殿は、金や名声で動くような男ではない。彼の目的は、もっと別の、高潔な場所にある。商人の物差しで、あの男を測ろうとなさるな」
アルケムの揺るぎない態度に、バルタザールは一瞬だけ不快な色を顔に浮かべたが、すぐにいつもの笑みに戻すと、深々と頭を下げて執務室を後にした。
だが、諦めたわけではないことは、その背中が雄弁に物語っていた。
そして、もう一つの影もまた、ギルドの内部で静かに蠢き始めていた。
「分離薬学」の登場は、若い薬師たちに希望を与えたが、それは同時に、旧来のやり方に固執し、その権威の上にあぐらをかいてきた一部の古参薬師たちのプライドを、深く傷つけることにもなった。
「…けしからん。あの若造、少しばかり才があるからといって、増長しおって」
ギルドの一室で、数人の年配の薬師たちが、苦々しい表情でテーブルを囲んでいた。中心にいるのは、ヴァレリウス。ギルドでも指折りの家柄の出身で、長年、伝統的な調薬法の第一人者として尊敬を集めてきた男だ。
「アルケム様まで、あの男にすっかり肩入れしてしまわれて。蒸留だの分離だの、小賢しい理屈ばかりを並べ立てて、薬師が代々受け継いできた経験と勘、そして薬草への敬意というものを軽んじている」
「その通りです、ヴァレリウス先生。あれはまやかしにございます。そもそも、素性の知れぬ流れ者が、あれほどの知識を持っていること自体が不自然。何か、よからぬ手段で手に入れたに違いありません」
彼らの不満と嫉妬は、日増しに膨れ上がっていた。そんな彼らの元に、一人の男が声をかけた。金獅子商会のバルタザールだった。
「皆様方のお悩み、お察しいたします。伝統と秩序を重んじる皆様が、得体の知れない新参者によってないがしろにされている。嘆かわしいことです」
バルタザールは、彼らの心を巧みに読み取り、同情的な言葉をかける。
「しかし、ご安心を。皆様のような見識ある方々こそ、このギルドの中心に立つべきです。もし、皆様が『分離薬学』の危険性をギルド内で訴え、あの若者の影響力を削いでくださるのであれば、我が金獅子商会は、皆様の研究と地位を、物心両面から支援することをお約束いたしましょう」
その甘い囁きは、彼らの心に燻っていた嫉妬の炎に、油を注ぐのに十分だった。ヴァレリウスとバルタザールの間に、密約が交わされた瞬間だった。
その頃、俺は自分の研究室で、奇妙な出来事に首を捻っていた。
注文しておいたはずの希少な鉱石が「発注ミスで届かない」と言われたり、まとめていたはずの研究ノートのページが、数枚だけ「風で飛ばされて紛失した」と報告されたり。些細だが、明らかに不自然な妨害が、ここ数日、立て続けに起きていた。
〈アイ、ここ数日のギルド内での妨害行為と思われる事案をリストアップし、関連性を分析しろ〉
《了解しました。…分析完了。妨害行為は、物資管理室および資料室の一部の職員によって行われており、彼らはヴァレリウス派閥の薬師と接触頻度が高いことが確認されています。また、ヴァレリウスは昨日、金獅子商会のバルタザールと密会しています》
アイの淡々とした報告を聞きながら、俺は静かに目を閉じた。
点と点が繋がり、一つの線になる。噂という外からの攻撃に加え、今度は内部からの切り崩しが始まったというわけだ。利権を狙う商人と、嫉妬に駆られた同業者。実に古典的で、そして厄介な組み合わせだ。
どうやら、俺の戦うべき敵は、路地裏に潜む狂信者だけではないらしい。
光の当たる場所で、社会的な地位と権威を盾に、もっと狡猾なやり方で俺を潰そうとする者たち。
次なる戦いの舞台は、薬師ギルドという、俺のホームグラウンドそのものになりそうだった。
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