第66話:二分される街
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薬師ギルドの大講堂で行われた俺の公開証明は、一夜にしてヴェリディアに二つの、全く異なる波紋を広げることになった。
翌朝、俺が薬師ギルドに足を踏み入れると、昨日までとは比較にならないほどの熱狂と歓迎で迎えられた。すれ違う薬師たちは皆、興奮した面持ちで俺に駆け寄り、昨日の「分離薬学」に関する質問を矢継ぎ早に浴びせてくる。
「カガヤ先生! あの蒸留装置の構造、もっと詳しく教えていただけませんか!」
「あの酸性の液体は、一体どの植物から? 配合の比率は!」
「先生の理論を応用すれば、私が長年研究してきた難病の薬も、突破口が開けるかもしれません!」
彼らの瞳は、もはや俺を「特異な魔法使い」としてではなく、新たな知識の扉を開いた「偉大な先駆者」として見ていた。アルケムギルド長の部屋には、俺の研究に出資したいという貴族や商人からの手紙が山のように届き、ギルドの資料室からは、俺の理論を裏付ける古文書を探そうと、若い学者たちが一日中出てこなくなった。 理性と知性を重んじる人々にとって、俺の証明は、暗闇を照らす希望の光として受け入れられたのだ。
このギルドという建物の中だけは、間違いなく、未来への期待と知的な興奮に満ち溢れていた。
だが、一歩ギルドの外に出ると、空気は違った。
街の雰囲気は、明らかに昨日までと違う。昨日までの、どこか戸惑いがちだった視線は、今や二種類の色合いをはっきりと帯びていた。
一方は、純粋な畏敬と崇拝。俺の姿を見つけると、道端でひざまずき、祈りを捧げる者まで現れ始めた。
「賢者様」「聖なる薬師様」と、彼らは俺を神聖視し始めている。
そしてもう一方は、剥き出しの恐怖と、侮蔑を含んだ敵意だった。俺が通りかかると、あからさまに道を避け、忌々しげに舌打ちをする。子供を背中に隠し、「禍憑きが来た」と囁きながら、家の扉を固く閉ざす者もいた。
論理的な証明は、彼らにとっては全くの無意味だったのだ。
いや、むしろ逆効果だった。
俺が披露した、彼らにとって理解不能なガラス器具や化学反応は、「あれは我々の目を欺くための、巧妙で邪悪な魔術だ」という、新たな恐怖の根拠となってしまったのだ。人の心とは、実に厄介なものらしい。
その日の夕方、俺は冒険者ギルドの酒場で、クゼルファと向かい合っていた。彼女は、昼間の依頼の帰りだというのに、ひどく疲れた顔をしていた。
「…聞きました、カガヤ様。昨日の公開証明のこと」
彼女は、テーブルの上のエールの泡を、力なく指でなぞりながら言った。
「街の東側では、カガヤ様を讃える新しい歌が流行っているそうです。でも、西側の職人街では…その、逆の噂が、昨日よりも酷くなっています」
「どんな噂だ?」
「『毒を消したのではなく、黒魔術で別の場所に移しただけだ』とか、『あの鶏は、カガヤ様が魔法で作り出した幻で、本当は死んでいる』とか…。それに…」
クゼルファは、辛そうに顔を歪めた。
「私の家の隣に住んでいるおばさんも、昔は私にとても優しかったのに、今日は『お前もあの異端者とつるんで、魂を売ったのかい』と…。信じられません。どうして、皆…」
彼女の声は、悔しさと悲しさで震えていた。長年信じてきた隣人が、根も葉もない噂を信じ、自分に冷たい言葉を投げかける。その事実は、彼女の心を深く傷つけているようだった。
俺は黙って彼女の話を聞いていた。
これが、敵のやり方なのだ。俺自身を攻撃するだけでなく、俺の周りにいる大切な人間関係を、内側から破壊していく。疑心暗鬼を生み、人々を分断させ、孤立させる。実に狡猾で、効果的な戦術だ。
「…クゼルファ。それは違う」
俺は、静かに、しかしきっぱりと言った。
「皆が、じゃない。一部の人間だ。そして、彼らが悪いわけじゃない。彼らはただ、知らないだけだ。知らないことは、怖い。その恐怖心に、悪意ある誰かが付け込んでいるに過ぎない」
「でも…!」
「俺は大丈夫だ」
俺は、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、俺のやるべきことをやるだけだ。噂に心を乱される必要はない。お前も、気に病むな。お前の隣人がいつか本当のことを理解できるように、俺が証明し続ければいいだけの話だ」
俺の言葉に、クゼルファはハッとしたように顔を上げた。彼女の瞳に、わずかに光が戻る。
俺は彼女に、力強く頷いてみせた。
だが、その実、俺の内心は穏やかではなかった。
ギルドを出て、宿屋へと向かう夜道。
耳を澄ませば、街のあちこちから、俺に関する口論が聞こえてくるようだった。
「彼は救世主だ! 多くの命を救ったじゃないか!」
「いいや、あれは禍憑きだ! 見ろ、彼が現れてから、街の空気がおかしくなった!」
信奉者と、懐疑派。
光と、影。
俺の存在が、このヴェリディアという街を、真っ二つに引き裂き始めていた。
理性ある者たちからの絶対的な信頼と、無知なる者たちからの絶対的な拒絶。その両方を、俺はたった一日で手に入れてしまった。
「なるほどな…」
部屋に戻り、窓から分断された街を見下ろしながら、俺は静かに呟いた。
論理や事実だけでは、人の心は救えない。恐怖という病は、理屈の薬だけでは治せないらしい。
ならば、次の一手は、もっと直接的で、もっと分かりやすい「結果」を見せつけるしかない。
俺の戦いは、新たなフェーズに入った。
それは、薬師として、冒険者として、この街に住む一人の人間として、噂という幻想を、揺るぎない現実で殴り倒す戦いだ。
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