第7話:未知の解析、既知の痕跡
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クエイク・ボアとの死闘から半日、俺は未だ興奮の余韻と、全身を支配する心地よい疲労感の中にいた。アドレナリンが切れ、全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、心は不思議なほど晴れやかだった。簡易ラボの作業台の上には、俺が命がけで持ち帰った二つの戦利品が鎮座している。鈍い金属光沢を放つ鉱石のサンプルと、クエイク・ボアから採取した組織片だ。これらは単なる石や肉ではない。この未知の惑星の法則を解き明かすための、貴重な「データ」の塊だった。
「マスター、あの鉱石の組成解析が完了しました。鉄、ニッケルに加え、地球のデータベースには存在しない未知の合金元素を多数含んでいます。特筆すべきは、その結晶構造です。特定の『魔素』の波長と共鳴することで、分子間結合が飛躍的に強化される特性を持ちます」
アイの報告を聞きながら、俺はラボのマテリアル・プリンターを操作していた。クエイク・ボアとの戦闘で、携帯レーザーガンの出力不足とエネルギー消費の激しさを痛感していた。この危険な森で生き抜くには、信頼できる近接戦闘用の武器と、強靭な素材を切り出せる万能ツールが不可欠だ。この新素材は、その両方を満たす可能性を秘めていた。
「つまり、魔素を流せば、そこらの岩がダイヤモンド以上の硬度になるってことか。面白いじゃないか。まずは、護身用の小刀を一本、試作してみるか」
俺はニヤリと笑い、アルカディア号の残骸から切り出したオリハルコン・セラミックの破片と、粉末状にした未知の鉱石を混ぜ合わせ、マテリアル・プリンターを起動させた。ナノマシンが高熱と高圧で二つの素材を融合させていく。星間飛行も可能なオーバーテクノロジーで、原始的な刃物を作り出す。その行為の滑稽さに、俺は自嘲の笑みを浮かべた。だが、完成した小刀を手にした瞬間、その考えは吹き飛んだ。ずしりとした重み。黒曜石のような、光を吸い込む刀身。試しに船体の装甲片に刃を当てると、まるで熱したナイフでバターを切るように、音もなく滑らかに切り裂いた。
「……すげえな」
これは、ただの刃物じゃない。魔素というエネルギーを纏うことで完成する、超科学の産物だ。
「アイ、クエイク・ボアの組織解析はどうなってる?」
「現在、最終シークエンスです。……完了しました。マスター、信じられない結果が出ました」
アイの声に、初めて「困惑」とでも言うべき響きが混じっていた。
「どうした?」
「対象の遺伝子情報を解析した結果、地球生物の遺伝子コードと、極めて高い類似性を示しています。これは統計的にあり得ない数値です。測定機器のエラーか、サンプルがマスターのDNAで汚染された可能性もあります」
「汚染だと? ありえない。採取から分析まで、万全の隔離措置を施したはずだ」
俺は眉をひそめる。だが、アイの言う通り、銀河の外にある惑星の生物が、地球の生物と遺伝子レベルで似通っているなど、天文学的確率でも起こり得ない。
「再解析しろ。エラーでないなら、徹底的に原因を調べ上げろ」
数時間後、俺が小刀の重心バランスを調整していると、アイが再び報告してきた。その声は、以前にも増して深刻な色を帯びていた。
「マスター。再解析、および自己診断を完了しました。システムにエラーは認められず、サンプルの汚染も確認できませんでした。結論として、この結果は『事実』です。さらに、地球の遺伝子データベースと照合した結果……」
アイは一瞬、言葉を切り、モニターに二つの螺旋構造を表示した。片方はクエイク・ボア。そしてもう片方は――。
「……地球のユーラシアイノシシの遺伝子と、99.1%一致しました」
「なっ……!?」
俺は、思わず手にしていた小刀を取り落としそうになった。物理法則の壁、時間の壁だけでなく、生命の起源にまつわる、あまりにも深遠な謎が、俺の目の前に提示されたのだ。
「馬鹿な……。そんなことがあり得るのか!? ここは天の川銀河ですらないんだぞ! それが、地球のイノシシと遺伝子が99.1%も一致するなんて!」
俺は、それまで聞いたどの情報よりも激しく動揺していた。収斂進化という言葉が頭をよぎる。異なる環境で、異なる種が、似たような姿に進化する現象だ。だが、それはあくまで外見上の話。遺伝子コードそのものがここまで酷似するなど、偶然では絶対に説明がつかない。
「この事実は、二つの可能性を示唆します」と、アイは冷静に続ける。
「一つは、我々の知らない超光速の『種子散布』現象が、銀河規模で発生している可能性。そしてもう一つは……」
「……何者かによる、人為的な介入」
俺は、アイの言葉を引き継いだ。そうだ。それしか考えられない。遥かな太古、何者かが、地球から生命の種を持ち出し、この惑星に植え付けた。この星は、自然発生した世界などではない。誰かが造り上げた、巨大な実験場なのかもしれない。
「……あぁ…、そうか……」
俺は、目の前の組織片と、アイが提示したデータを交互に見つめ、茫然としていた。俺が迷い込んだのは、ただの未知の惑星ではなかった。地球の、そして人類の、失われた過去に繋がる、壮大な謎の中心だったのだ。
「マスター。ですので、このクエイク・ボアは、生物学的に見て、マスターが摂取しても問題ないということになります。徹底的な分析の結果、毒性物質は一切検出されず、地球生物のそれと比較しても、非常に高い栄養価と、特異な旨味成分が含まれていることが判明しています。非常に食用に適していることは保証できます」
アイのあまりに無感情な言葉に、俺は逆に冷静さを取り戻した。そうだ。謎に圧倒されている場合じゃない。俺は、今を生きなければならない。
「……分かったよ。だが、調理なんてどうするんだ? 臭そうだぞ、正直言って」
「ご安心ください。簡易ラボ区画に残された機材と、ナノマシンを利用すれば、簡単な調理器具はすぐに生成できます。また、先ほどのスティンガーの探査で、この惑星の植物の中にも、地球の香辛料と類似した成分を持つものが複数発見されています。それらを組み合わせれば、臭みは消え、芳醇な香りに変化するでしょう」
半信半疑のまま、俺はアイの指示に従い、クエイク・ボアの肉を解体し、即席の鉄板で焼き始めた。動物の解体など初めての経験で、初めは見た目のグロテスクさに食欲が全く湧かなかったが、火が通るにつれて、確かに香ばしい匂いが漂い始めた。
そして、一口。
「……う、美味い……!」
想像を絶する味だった。適度な弾力がありながらも驚くほど柔らかく、噛むほどに、口いっぱいに深い旨味が溢れ出す。まるで、地球で最高級とされたジビエ料理のようだ。いや、それ以上かもしれない。その味に、俺はこれまでの警戒心を忘れ、夢中で魔獣の肉を平らげた。不思議と、身体の倦怠感が薄れ、力がみなぎってくるような気がした。
こうして、紆余曲折しながらも、俺とアイは着実に生活基盤を整えていった。地球連邦の進んだ科学と、見知らぬ惑星の「魔素」が交錯する、そんな一風変わったサバイバル生活を始めて、一週間が経とうとしていた。
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