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第65話:理屈の証明

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌日の早朝、俺は薬師ギルドの長であるアルケムの部屋の扉を叩いていた。夜のうちにアイと練り上げた、噂に対する反撃計画を実行に移すためだ。


「…入れ」


部屋の中から、やや疲れたような声が聞こえた。俺が中に入ると、アルケムは机に山と積まれた古文書に囲まれながら、こめかみを押さえていた。俺の顔を見るなり、彼は深いため息をついた。


「カガヤ殿か。君の周りで、良からぬ噂が流れておるそうじゃな。わしの耳にも入っておる。ギルドとしても看過できん問題じゃ」


どうやら、彼もすでに事態を把握していたらしい。話が早くて助かる。


「ええ。ですので、その噂を払拭するために、一つご提案が」


俺は単刀直入に切り出した。


「この薬師ギルドで、私の調薬方法を公開する場を設けていただきたい。誰の目にも明らかな形で、私の薬が何からできているのか、その安全性を証明してみせます」


俺の提案に、アルケムは驚いたように目を見開いた。


「正気か、カガヤ殿。その技術がどれほどのものか、分かっておるのか。我々が数世代を費やしても辿り着けるかどうかという、まさに門外不出の秘儀じゃ。それを、無償で公開するなどと……。その知識を秘匿すれば、計り知れない富と名声が君の物になるのじゃぞ?」


「富や名声のために、この知識を使っているわけではありませんので」


俺は静かに答えた。


「私は物事の(ことわり)を探究する者です。そして、今は薬師でもある。ならば、根拠のない迷信や恐怖に、事実と道理で立ち向かうのが私のやり方です。それに、見せるのはあくまで()()()()()だけですよ」


俺の瞳に宿る決意を読み取ったのだろう。アルケムは、しばらくじっと俺の顔を見つめた後、ふっと笑みを漏らした。それは、呆れと、そして確かな信頼が入り混じった、賢者の笑みだった。


「…面白い。面白い男よのう貴殿は。分かった、よかろう。このアルケム、貴殿のその酔狂な提案、全面的に支援しよう。ギルドの大講堂を使い、ヴェリディア中の薬師、いや、望む者すべてに公開を許可する。貴殿の『理屈』とやらが、この街の蒙昧の霧を晴らせるか、この目で見届けてやろうではないか」



その日の午後、薬師ギルドの大講堂は、異様な熱気に包まれていた。

アルケムギルド長の名で出された告知は瞬く間に街中を駆け巡り、講堂にはギルド所属の薬師たちはもちろん、噂の真偽を確かめようとする一般市民、護衛を連れた貴族や商人、果ては腕利きの冒険者たちまで、身分も職業も様々な人々が詰めかけていた。


好奇、懐疑、期待、そして不安。あらゆる感情が渦巻く中、講堂の壇上に、俺は一人立っていた。


壇上には、俺が持ち込んだいくつかのガラス器具――フラスコやビーカー、そして冷却管を組み合わせた、この世界では見慣れない蒸留装置――と、数種類の薬草、そして毒々しい紫色の液体が入った小瓶が並べられている。


講堂が静まり返るのを待ち、俺はゆっくりと口を開いた。


「集まってくれた皆さんに感謝する。私はカガヤ。冒険者であり、このギルドでは特任研究員として薬の研究をしている者だ」


俺は聴衆の顔を一人一人見渡しながら、続けた。

「近頃、私の作る薬について、良からぬ噂が流れていると聞いている。『魂を代償にしている』…だったか? 今日は、その馬鹿げた噂が、いかに事実無根であるかを、皆さんの目の前で証明したい」


俺のきっぱりとした口調に、場内がざわめく。


「まず、大原則を話そう。私の調薬は、何かを()()()魔法ではない。むしろ逆だ。不要なものを()()()()技術だ」


俺はそう言うと、テーブルの上に置かれた薬草の一つを指し示した。

「例えばこの薬草。これには、痛みを和らげる成分と、腹を下す弱い毒の成分が両方含まれている。これをただ煎じて飲めば、痛みは和らぐかもしれないが、腹も下す。当たり前のことだ」


聴衆の中から、数人がこくりと頷く。


「私の技術は、この薬草から『腹を下す成分だけ』を正確に取り除き、『痛みを和らげる成分だけ』を純粋な形で取り出すことができる。それだけだ。魔法でもなければ、悪魔の所業でもない。ただの、精密な『分離』の技術だ」


言葉だけでは信じられない、という顔をしている者も多い。俺は、本題に入った。


「では、実際にやってみせよう。ここに、猛毒として知られる『魔蠍(まかつ)の尾』の毒液がある」


俺が紫色の小瓶を掲げると、客席から「ひっ」という悲鳴が上がった。数滴で人を殺すと言われる強力な神経毒だ。


「この毒がなぜ恐ろしいか。それは、人の体の動きを司る部分に、鍵と鍵穴のようにぴったりとはまり込み、体の自由を奪ってしまうからだ。だが、この毒液の中にも、実は微量だが、特定の病に効く有益な成分が含まれている。問題は、どうやって毒の『鍵』を壊し、有益な成分だけを取り出すか、だ」


俺は毒液をビーカーに移すと、そこに別の、無色透明な液体――特定の植物から抽出した、ただの酸性の液体だ――を数滴加えた。


「この液体には、毒の『鍵』の、ほんの一部だけを溶かす性質がある。鍵全体を壊さず、鍵穴にはまらなくなる部分だけを、だ」


次に、俺はその液体をゆっくりと加熱し始めた。ガラスの蒸留装置の中を、気体になった液体が通り、冷却管で冷やされて、再び別のフラスコへと滴り落ちていく。


「これは蒸留という。液体の中の、沸騰する温度が違うものを分けるための、ごく基本的な技術だ。この操作で、毒の残骸と、我々が必要な成分とを分けていく」


講堂の誰もが、ガラス器具の中を移動する液体を、固唾を飲んで見守っている。彼らの目には、これが未知の魔法か錬金術のように映っているのかもしれない。だが、やっていることは、中学の理科の実験レベルだ。


数十分後、分離の作業は終わった。最初のビーカーには、ドロリとした黒い沈殿物が残っている。そして、最後のフラスコには、ごく少量の、澄み切った液体が集まっていた。


「これが、分離されたものだ。黒い沈殿物が、無力化された毒の残骸。そして、この透明な液体が、我々が必要としていた薬効成分だ。この過程のどこかで、私は魂とやらを『加えた』ように見えたか?」


俺の問いかけに、誰も答えることができない。


最後に、俺は壇上の袖から、一羽の鶏が入った籠を持ってきた。そして、分離した黒い沈殿物を、鶏の餌に一滴だけ混ぜて与えた。鶏はそれを啄んだが、何の変化もない。


「見ての通り、毒は完全に無力化されている」


次に、透明な薬効成分の液体を、別の餌に混ぜて与える。鶏は、やはり何事もなかったかのように餌を啄んだ。


「そしてこちらが、本来この毒が持っていた、ごく微量の薬効成分だ。これ自体に毒性はない。もちろん、魂も入っていない。ただの、物質だ」


俺がそう宣言し終えた瞬間、講堂は万雷の拍手に包まれた。


いや、正確には、薬師や学者、そして知的な装いの貴族や商人たちが、興奮した面持ちで立ち上がり、惜しみない賞賛の拍手を送っているのだ。彼らの目には、畏怖ではなく、新たな知識への探究心と、理性が蒙昧に打ち勝ったことへの純粋な喜びが輝いていた。


その輪の中心で、アルケムギルド長が満足げに頷きながら、ゆっくりと立ち上がった。


「皆の者、静粛に!」


彼の威厳に満ちた声が響き渡ると、講堂の拍手は次第に収まっていった。


「今、我々は歴史の転換点に立ち会った! カガヤ殿が示したのは、古の経験と勘に頼る我々の薬師学とは一線を画す、新たなる学問の夜明けじゃ! これは『分離薬学』とでも呼ぶべき、論理と事実に裏打ちされた、偉大なる一歩じゃ! 薬師ギルドは、カガヤ殿のこの功績を最大級に評価し、彼の研究を全面的に支援することを、ここに宣言する!」


アルケムの力強い宣言に、薬師たちは再び熱狂的な拍手で応えた。


だが、俺はその熱狂の中心にいながら、客席の後方で、何が起きたか分からず戸惑っている一般市民たちの顔も、はっきりと見ていた。彼らの目には、まだ拭いきれない疑念と、理解できないものへの漠然とした不安が浮かんでいる。


(なるほどな…)


理性ある者たちの信頼は、勝ち取れた。

だが、人の心に根付いた恐怖や迷信は、一度の公開実験で消え去るほど、単純なものではないらしい。


俺の戦いは、まだ始まったばかりだ。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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