第62話:未知の紋章
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襲撃の翌日、俺は薬師ギルドの一室、ギルド長であるアルケムの執務室を訪れていた。窓から差し込む朝の光が、部屋に舞う微細な埃を照らし出している。しかし、その穏やかな光景とは裏腹に、俺の心は重く沈んでいた。
「……昨夜、何者かに襲撃されました」
俺の言葉に、薬草の分類をしていたアルケムの手がぴたりと止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、その鋭い目で俺を捉える。
「場所は宿屋へ帰る途中の裏路地。人数は六名。装備からして、ただの盗賊ではありません。おそらく、その道のプロです」
俺は、昨夜の出来事を淡々と、しかし正確に伝えた。アルケ-ムは息を呑み、その顔から普段の温和な表情が消え失せた。
「なんと……!良からぬ輩が出てくるとは思っておったが、これほど早く、しかも直接的な実力行使に出るとは……。愚かなのか、あるいは、よほど行動が早いのか……」
アルケムは、こめかみを押さえ、苦々しげに呟いた。彼の心配は、俺の身だけでなく、俺の知識がもたらす波紋が、このヴェリディアの街全体に及びかねないことにも向けられているのだろう。
「で、どうするつもりじゃ?」
アルケムの問いに、俺は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「奴らの持ち物に、このような紋章がありました」
そう言って、俺は昨日見た紋章のスケッチをアルケムに見せた。それは、昨夜、アイの記録データを元に、俺が描いたものだ。
「……うむ。初めて見る紋章じゃな」
アルケムは、そのスケッチを手に取り、眉間に深い皺を寄せた。彼は、ギルドに保管されている様々な紋章の資料と照合してくれたが、やはり該当するものは見つからなかった。
「ギルドの古文書や紋章の記録をくまなく調べさせたが、このような紋章は見たことがない。これほど特徴的な意匠でありながら、どの記録にも残っていないとは……」
「それにしても、精密な図柄じゃな。まるで専門の絵師が描いたようだ。お主が描いたのか?」
「ええ、まぁ」
俺は適当に誤魔化す。この絵は、昨夜、アイの記録データを元に描いたものだ。と言っても、俺一人の力ではない。アイから送られてくる正確な三次元情報を元に、俺の腕の神経系に微弱な電気信号を送り、その動きを補助させながら描いたものだ。だからこそ、これほど精密なスケッチが可能になった。
その時、俺はふと思った。
(あれ? 連邦のメインコンピューターから解放されて、リミッターがない今のアイなら、俺の身体を操り人形のように動かすことも可能なんじゃないか?)
その思考は、背筋に冷たいものを走らせた。これまでも、アイに身体の精密な制御を任せることはあったが、それは常に俺の意思のもと、俺の望んだ結果を得るための共同作業だった。だが、もし……もしアイが、俺の判断を『非合理的』と断じ、俺の意思とは全く異なる動きをこの身体に強制したとしたら?それは、俺がこの身体の主ではなく、アイの操り人形に成り下がることを意味する。俺が、俺でなくなる……。
《どうしましたか?マスター》
アイの、感情の読めない声が脳内に響く。
「……いや、いい。なんでもない」
俺は、頭を振ってその不吉な考えを打ち消した。今は、目の前の問題に集中すべきだ。
◇
薬師ギルドではこれ以上の情報は得られないと判断した俺は、次なる目的地、知識院へと向かった。
もちろん、紋章のことを調べるためだが、もう一つ、気になることがあった。
『星の…秩序を乱す…偽りの奇跡……。我らが神は…汝を…異端と…断罪なさる…』
昨夜の襲撃者の一人が遺した、あの言葉。「神」を持ち出すということは、何らかの宗教団体が関わっている可能性が高い。俺は、紋章と共に、この国や周辺地域における宗教についても調べることにした。
知識院の静寂の中、俺はそれらしい書物のページを、ひたすらめくり続けた。もちろん、実際に読んでいるわけではない。俺の目を通して、アイが高速でページをスキャンし、その内容をデータとして蓄積していく。
〈アイ、例の紋章に関する情報はあったか?〉
《いいえ、マスター。歴史的、あるいは公的に記録されている紋章の中に、該当するものは存在しません。やはり、秘密結社か、あるいは公になっていない新興宗教の類である可能性が高いです》
〈宗教、か。この地の主要な宗教体系について教えてくれ〉
《了解しました。このフォルトゥナ王国で最も広く信仰されているのは、太陽神ソリスを主神とする『ソリス正教会』です。その教義は、光と秩序を重んじ、混沌と異端を排斥することにあります》
〈光と秩序、ね。襲撃者の言葉と、どこか通じるものがあるな。しかし、国教であるソリス正教会が闇討ちをするかな〉
《マスターの推察は妥当です。ソリス正教会のような巨大組織が、公式な手続きを経ずに非合法な手段に訴える可能性は低いでしょう。しかし、組織内部に急進的な派閥や、独自の思惑で動く分派が存在する可能性は否定できません。知識院の公開情報のみで、その内部事情までを把握するのは困難です》
〈確かにそうだな……。他には?〉
《周辺諸国ではソリス正教会が優勢ですが、隣国のローディア騎士王国では、戦乙女信仰という独自の信仰が根付いているようです》
〈戦乙女信仰か。それは、ソリス正教会とは全く別の系統なのか?〉
《はい。その教えは騎士道精神の根幹を成しているようですが、起源や具体的な神話体系は謎に包まれており、ソリス正教会とは異なる思想体系を持つと推測されます》
なるほどな……。隣国にまで話が及ぶと、情報の整理が追いつかなくなってくる。そんな俺の思考を読んだかのように、アイが新たな情報を差し込んできた。
《マスター。一つ、懸念すべき記述を発見しました。公の記録からは抹消されているようですが、書庫の片隅に『聖理教』という宗教に関する断片的な記録が残されています。》
〈聖理教?〉
《はい。どうやら彼らは、正教会から別れた宗派らしく。ソリス正教会が説く『光と秩序』とは異なる、独自の理を信仰しているようです》
〈聖理教……か。独自の理、ね〉
《はい。彼らの教義によれば、『世界は神聖な理によってのみ成り立ち、それ以外の不純な力による奇跡は、世界の調和を乱す偽りの光である』とされています。正教会からは、その教義の排他性から異端と見なされ、徹底的に弾圧された過去があるようです。そのため、現在は表向きにはその存在は確認できません》
〈偽りの光、か。昨夜の連中の言葉と符合するな。俺の力は、彼らにとってまさに『偽りの奇跡』に見えるだろうな〉
《肯定します。マスターの行いは、彼らの教義において最も排除すべき『不純な力』と見なされる可能性が極めて高いです》
〈なるほどな……。もし、この『聖理教』とやらがまだ水面下で活動していて、昨夜の連中がその一味だとすれば……。理屈の通じない相手ほど、面倒なものはないな〉
《そうですね。その可能性も考慮して、引き続き、関連情報を検索します》
〈ああ。それと、アイ。念のため、ソリス正教会の聖典も記録しておけ。この世界の価値観の根底を知っておく必要がある〉
《承知いたしました》
俺は、アイとの対話を続けながら、次々と書物をスキャンさせていく。創世記、英雄譚、古代文明の記録……。その全てが、この世界の謎を解くためのピースになるかもしれない。
調べ物を終え、知識院の外に出ると、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。西の空が燃えるような茜色に染まり、一番星が瞬き始めている。街の家々には温かい光が灯り始め、人々の営みの音が、遠くから聞こえてくる。その穏やかな光景が、昨夜の出来事とはあまりにも対照的で、俺の胸を締め付けた。
〈アイ、今日のデータで、紋章について何か手がかりは?〉
《現在、全力で解析中です。しかし、既存のデータとの一致は見られません。未知の因子が多すぎます》
そうか……。俺は、夕暮れの空を見上げながら、深く息を吐いた。一人で抱え込むには、この問題はあまりにも根が深い。
「辺境伯にも、報告に行くべきだろうな。明日にでも行ってみるか……」
俺は、誰に言うでもなく、そう呟いた。この件を俺一人で抱え込み、事態が悪化すれば、いずれ辺境伯やクゼルファたちにまで迷惑がかかるかもしれない。それだけは、絶対に避けなければならない。
夕闇が、ゆっくりと街を包み込んでいく。俺は、その夜の闇の中に、まだ見ぬ敵の、冷たい視線を感じているような気がした。
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