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第6話:最初の観測者

お読みいただき、ありがとうございます。

しばらくの間は、朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、とても嬉しいです。

電源の確保に成功した俺たちのサバイバル計画は、まず「目」と「耳」の確保から始まった。アルカディア号の簡易ラボ区画に引きこもり、俺は残骸と化した探査ドローンとの、孤独で根気のいる格闘を続けていた。オゾンと焼けた金属の匂いが混じり合うラボの床には、無惨に砕けた回路基板、ひび割れた光学レンズ、あらぬ方向にねじ曲がったアームが散乱している。これらを前に、俺は久しく忘れていた感覚――アカデミー時代の、不可能に挑む研究者の、あの狂気じみた興奮を覚えていた。


「アイ、ナノマシンの作業効率が7.3%低下。エネルギー配分を最適化しろ。それと、顕微鏡モードの解像度をもう一段階上げられないか?このマイクロチップの断線箇所が判別しづらい」


俺は、額に滲む汗を腕で拭いながら、作業台の上の小さな残骸に集中していた。


「了解。ナノマシン・コロニーB群の活動レベルを12%引き上げます。ですがマスター、これ以上の解像度向上は、電源に深刻な負荷をかけます。それに、これ以上の連続作業は、マスターの神経系統に回復不能なダメージを与える可能性があります。10分間の休息を強く推奨します」


「うるさい。今がいいところなんだ。俺の脳が焼き切れるのが先か、こいつが直るのが先か、勝負と行こうじゃないか」


俺はアイの警告を半ば無視し、磁気ピンセットで米粒よりもさらに小さい量子チップを慎重に摘まむ。指先から放たれたナノマシンの群れが、銀色の霧となってチップを包み込み、断線した回路を分子レベルで再接続していく。まるで、外科医が神経を繋ぎ合わせるような、ミリ単位以下の精密作業。これを数日間、俺は食事も睡眠も忘れ、ほとんど強迫観念に取り憑かれたように続けた。


そして――。二日目の夜、ついにその時が来た。最後の配線をナノマシンが繋ぎ終えた瞬間、チップが微かな青い光を放った。


「……システム、オンライン。カメラ、正常。浮遊ユニット、安定。……よし、飛ばすぞ」


俺の手のひらの上に、一機の探査ドローンが、小さなモーター音を立てながら静かに浮かび上がった。墜落の衝撃で傷だらけになった黄色いボディ。その蜂のような姿から、俺はそいつを「スティンガー」と名付けた。この未知の惑星における、俺たちの最初の観測者だ。


「スティンガー、発進。外部の映像をメインモニターに送れ。解像度は最大だ」


ドローンは、応急修理したハッチの隙間から、静かに未知の森へと飛び立っていく。コックピットのメインモニターに、高解像度の鮮明な映像が映し出された。光を吸収する漆黒の葉を持つ巨木、自ら青白い光を放つ苔、螺旋を描きながら成長するシダ植物。その全てが、俺の知る地球の生態系とはあまりにも異質で、グロテスクでありながらも、神々しいほどの美しさを湛えていた。


「マスター、前方300メートルに大型の生命反応。急速に移動しています」


アイの声と同時に、モニターの映像が激しく揺れた。森の奥から、一体の獣が姿を現す。黒鉄色の硬質な毛並みを持つ、巨大な猪。だが、その動きは尋常ではなかった。


ゴッ! という地響きのような鈍い音と共に、獣は直径1メートルはあろうかという巨木に体当たりする。物理法則を完全に無視したかのような、爆発的な突進力。巨木は、まるでマッチ棒のように、いとも簡単にへし折れた。


「何だ、今の動きは!? アイ、映像を解析しろ! あの質量であの加速はあり得ない! 慣性の法則はどうなってやがる!」


「解析中……対象の周囲に、極めて高密度のエネルギー反応を検知。墜落時に観測された、この惑星特有のエネルギーです。対象は、このエネルギーを体内で何らかの器官を用いて変換し、運動エネルギーとして利用していると推測されます」


モニターに、アイによる解析データがオーバーレイ表示される。猪の周囲に、熱量を示す赤いオーラのようなものがまとわりつき、突進の瞬間、それが進行方向へと強く収束しているのが見て取れた。


「……まるで魔法だな。このエネルギー、俺たちの世界にはない概念だ。便宜上、名前を付けよう。『魔法の素』……略して『魔素』だ」


「マスター。そのネーミングは、科学的厳密性に欠け、論理的飛躍を含みますが、データベースに登録します」


「うるさい。で、あの猪みたいなやつは?」


「識別コードを提案します。『クエイク・ボア』。その衝撃的な突進力が、小規模な地震クエイクを彷彿とさせるためです」


魔素と、魔獣。俺はこの星のルールを、ほんの少しだけ理解した。この世界では、俺が常識としてきた物理学だけでは生き残れない。


その数時間後、スティンガーの地質探査センサーが、船から1キロほど離れた崖地で、高硬度の金属鉱脈を発見した。チタンやタングステンに似た特性を持つ、未知の金属。ドローンの装甲強化や、船体の応急処置に使えるかもしれない。俺は、迷わずサンプル採取を決意した。


「よし、俺が出てサンプルを採取する。アイ、スティンガーで上空から援護しろ。周囲の警戒を怠るな」

「危険です。マスターの現在の身体能力、戦闘経験では、クエイク・ボアに遭遇した場合、生存確率は2.3%未満です。再考を要求します」


「だから、お前がいるんだろ。俺の頭脳と、お前の分析能力があれば、その確率を覆せる。それに、この船の中でじっとしていても、いずれは死ぬだけだ。リスクを取らなきゃ、リターンは得られない。商売の基本だろ?」


俺は最低限の武装と採取ツールを腰に提げ、意を決して船外に出た。湿った土の匂いと、これまで嗅いだことのない濃厚な花の香りが混じり合い、肺を満たす。鉱脈は、切り立った崖の下にあった。足場の悪い岩場を慎重に進む。


サンプルを採取しようと、マルチツールを岩肌に当てた、その時だった。


《マスター。 後方よりクエイク・ボア、急速接近。距離150。》


アイの切迫した警告が、脳内に直接響き渡る。振り返ると、あの黒鉄の巨体が、木々をなぎ倒しながら、土煙を上げてこちらに突進してきていた。


絶体絶命。全身の血が凍りつくような恐怖。だが、俺の頭は、その恐怖よりも先に、活路の計算を始めていた。


「アイ! スティンガーで奴の注意を右に引け! 陽動だ! 俺はあの岩場まで走る!」


「了解! 実行します!」


スティンガーが、クエイク・ボアの頭上をかすめるように高速で飛行する。その一瞬の隙に、俺は目的としていた、身を隠せそうな岩が乱立するエリアまで全力で走った。肺が張り裂けそうだ。


「奴の突進パターンをリアルタイムで分析しろ! 弱点はどこだ!」


《パターン解析完了。直進的な攻撃に特化。旋回性能は極めて低いと予測。弱点は、魔素を集中させる額の角、あるいは運動の起点となる後脚の関節部と推測されます!》


クエイク・ボアが、再び俺に狙いを定める。俺は、岩場の影に身を潜めながら、周囲を素早く観察した。足元に生えている、気味の悪い紫色のツタ植物。スティンガーの事前調査で、強力な神経毒を持つことが分かっている。


「アイ! あのツタの毒、奴に効くか!? 魔獣の生体防御システムを突破できるか!?」


《成分データベースと照合……対象の神経系に作用する可能性、87%! ただし、効果発現までにはタイムラグが発生する可能性があります!》


「87%か……賭ける価値は、あるな!」


クエイク・ボアの巨体が、地響きと共に迫る。俺はその突進を、紙一重で岩の裏へと飛び込んで躱す。すれ違いざま、持っていたサバイバルナイフで紫のツタを切りつけ、粘着性の高い毒液を奴の通り道に撒き散らした。クエイク・ボアは、毒液を踏みつけながら俺を追い、そして……数歩進んだところで、その巨大な足の動きが、明らかに鈍くなった。一瞬の硬直。


「今だ!」


その千載一遇の隙を見逃さなかった。俺は、奴の側面から、狙いを定めていた後脚の関節部めがけて、携帯していたレーザーガンの最大出力を叩き込む。

ギャインッ!


肉の焼ける音と、甲高い悲鳴。レーザーは、硬い毛皮を貫通し、関節の腱を焼き切った。クエイク・ボアは体勢を大きく崩し、止まりきれずに崖に激突した。動かなくなったのを確認し、俺はその場にへたり込んだ。心臓が、警鐘のように激しく鳴り響いていた。


息も絶え絶えになりながらも、俺は鉱物のサンプルを確かに手にしていた。この世界で生きていくことの過酷さと、知識こそが最大の武器であることを、全身の細胞に刻み込んだ瞬間だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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