幕間2-1:奇跡の代償と理の対価
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エラルの治療から数日が過ぎた。ヴェリディアの空は、まるで祝福するかのように青く澄み渡っている。俺とクゼルファは、再び辺境伯邸に招かれていた。
通された応接間は、前回訪れた時とは打って変わって、温かな陽光と、安堵の空気に満ちていた。部屋の中央には、この領地の主、ヴェリディア辺境伯カレムが、穏やかな表情で俺たちを待っていた。
「カガヤ殿、クゼルファ。よく来てくれた」
その声には、領主としての威厳よりも、一人の父親としての温かみが滲んでいる。
「エラルのこと、心から感謝する。まだ静養が必要で、直接会わせることはできんが、おかげさまで、日に日によくなっておる。もう、ベッドの上で笑顔を見せるまでになったのだ」
そう語る辺境伯の目元は、わずかに潤んでいた。その姿に、俺は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。俺がしたことは、この世界の理を少しだけ捻じ曲げた、異邦人の科学者としての行いだ。だが、その結果、こうして一つの家族に笑顔が戻った。その事実は、何物にも代えがたい手応えを俺に与えてくれた。
「いえ、私はできることをしたまでです。エラル様がご無事で、何よりです」
俺がそう答えると、辺境伯は深く頷き、傍らに控えていた執事のゼドラスに目配せをした。ゼドラスは、恭しく一つの豪奢な木箱を俺の前に差し出す。
「これは、私からの心ばかりの礼だ。受け取ってほしい」
箱の中には、ずしりと重い金貨の袋と、そして、ヴェリディア家の紋章が刻まれた、一枚の金属製の通行証が収められていた。
「その通行証は、ヴェリディア領内での貴殿の自由な活動を保証するものだ。多くの場所で、それは私の許可と同じ意味を持つだろう。関所も顔パスだ。私の名において、貴殿の身分を保証しよう。何かの役に立つはずだ」
これは、破格の申し出だった。商人として、この通行証が持つ価値は計り知れない。金銭的な価値以上に、この地で活動するための「信用」と「自由」を与えてくれる、最強の切り札だ。
「……ありがたく、お受け取りします」
俺は、一人の父親としての彼の感謝の重みを、その通行証と共に、確かに受け取った。
◇
辺境伯との面会が終わると、俺は別室で、筆頭魔術師のカルネウスと薬師のアルケムに、文字通り捕まった。彼らの目は、もはや俺をただの冒険者として見ていない。未知の知識体系をその身に宿す、学術的な探求の対象として、爛々と輝いていた。
「カガヤ殿!単刀直入に聞く!あの治癒の光は、一体いかなる魔法理論に基づいているのだ!?詠唱も魔法陣もなく、あれほど精密に生命の魔力を活性化させるなど、我々の知るどの古代魔術にも記述がない!」
カルネウスが、興奮を隠しきれない様子で捲し立てる。
「そして、聖樹の雫じゃ!あれをどうやってあの純度で維持し、あまつさえ、エラル様の身体に合わせて加工したというのだ!?我々が数日かけても解明できなかった魔力構造を、貴殿は一瞬で見抜き、最適化した。あれは、もはや錬金術の域を超えている!」
アルケムも、薬師としてのプライドをかなぐり捨てるかのように、俺に詰め寄る。
〈アイ、どう答える?〉
《マスター。彼らの知識体系に合わせ、「古の秘術」、あるいは「一子相伝の家伝の知識」といった、検証不可能な概念で説明するのが最も合理的です。具体的な理論には触れず、あくまで結果から類推させるに留めてください》
「……私の力は、皆さんが知る魔法とは、少しだけ理が違うのかもしれません。古くから、私の一族に伝わる、生命そのものの流れを読み解き、それを整えるだけの、ささやかな技です」
俺は、アイの助言通り、曖昧な言葉で煙に巻いた。だが、その言葉が、かえって彼らの探求心に火をつけたようだった。
「生命の流れを……!やはり、そうか!あの光は、ただの治癒魔法ではない。生命の根源に直接干渉する、神聖な領域の力……!」
「聖樹の雫の加工も、その『流れ』を読み解くことで……。なんと、羨ましい……いや、畏怖すべき力だ……」
二人は、俺の言葉をそれぞれに解釈し、勝手に納得して、さらに深い思索の海へと沈んでいった。どうやら、この世界の専門家を相手にするには、下手に科学を語るより、神秘のベールを被っていた方が都合が良いらしい。
そんなやり取りがしばらく続いた後、アルケムが、ふと真剣な表情で俺に向き直った。
「カガヤ殿。一つ、頼みがある」
その瞳には、薬師ギルドの長としての、そして一人の医療人としての、真摯な願いが宿っていた。
「この偉大な治療法を、このまま貴殿一人の知識として、失わせてはならない。どうか、後世の者たちのためにも、その手順を記録として残させてはいただけないだろうか」
それは、予想外の、しかし、断るにはあまりにも真摯な申し出だった。
〈アイ、どうする?〉
《マスターの判断に従います。ですが、もしレシピを提供するのであれば、この世界の技術レベルで解読・再現が不可能であり、かつ、理論上の可能性だけは示唆する、というレベルに留めるべきです。我々の技術の核心に触れさせるのは、時期尚早です》
「……分かりました。完全なものではありませんが、私の知識を、皆さんが理解できる形にまとめてみましょう」
俺の承諾に、アルケムは顔を輝かせた。
数日後、俺はアイが作成した羊皮紙の束を、アルケムに手渡した。そこには、アイがこの世界の魔術理論や錬金術の用語を巧みに使い、それでいて核心部分は巧妙にぼかした「レシピ」が記されていた。タイトルは、アイがご丁寧に命名した『魔力枯渇症:生体魔素回路再構築療法』。
そのレシピを一読したアルケ-ムは、感動と興奮で打ち震えていた。
「素晴らしい……!なんと論理的で、そして革新的な理論だ!これを完全に理解し、再現するには、我々も数世代の研究が必要になるやもしれん。だが、これは、間違いなく未来への道標となる!カガヤ殿、改めて礼を言う!」
そして、アルケムは、薬師ギルド長としての顔で、俺にこう切り出した。
「カガヤ殿。これほどの知識を持つ貴殿を、一介の冒険者にしておくのは、世界の損失だ。どうか、我々の薬師ギルドの特別顧問、いや筆頭研究員として、その力を貸してはくれまいか?」
熱烈な勧誘。だが、俺はまだ、一つの組織に縛られる気はなかった。
「お気持ちはありがたいですが、私はまだ、この世界で見ておきたいものがたくさんありますので」
俺が丁重に断ると、アルケムは少し残念そうな顔をしたが、すぐに薬師ギルド長としての顔に戻り、抜け目のない笑みを浮かべた。
「そうか……。ならば、こうしよう。この画期的な治療法の『レシピ』。これを薬師ギルドが公式に利用する権利をいただきたい」
「権利、ですか?」
「そうだ。この知識は、貴殿だけのもの。それを我々が独占的に使うのだから、相応の対価を支払うのは当然のこと。……カガヤ殿なら、このような場合、どうするのが筋だとお考えかな?」
アルケムは、俺の知恵を試すように、それでいて純粋な興味を込めた目で尋ねてきた。ここで未来の概念を話すべきか……?いや、商人として、これは絶好の交渉機会だ。
「……私の故郷のやり方ですが、こういった独自の知識や技術には『権利』が発生します。その権利の対価として、利用者は提供者に対し、継続的に利益の一部を支払う。これを『特許料』と呼びます」
「特許料……継続的に、か。面白い!実に合理的だ!よろしい、その条件、飲もう!」
アルケムは、その場でギルドとの契約書を作成させ、俺はその「特許契約」にサインした。
その日の午後、俺のギルドカードに、天文学的な数字のギルが振り込まれた。その額を見て、俺は思わず、自分がまだ夢を見ているのではないかと、頬をつねったほどだった。
こうして俺は、一人の少女の命を救った代償として、この世界で生きていくための、圧倒的な「自由」と、そして「新たな繋がり」を、その手に掴んだのだった。
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「ギル」は、この国の通貨の単位です。
賤貨 1ギル 約10円
銅貨 10ギル 約100円
銀貨 100ギル 約1,000円
金貨 1,000ギル 約10,000円
大金貨 10,000ギル 約100,000円
白金貨 100,000ギル 約1,000,000円
この世界ではギルドカードを使った決済が普及していますが、同時に貨幣経済も残っています。
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