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第54話:理の奇跡

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「では、治療を始めます」


俺は全意識をエラルの治療に集中させ、その胸元にそっと手を添えた。


手のひらに、温かくも冷たくもない微かな振動が伝わってくる。それは、エラルのわずかな心臓の鼓動と、体内で微弱ながらも流れている魔力の脈動だった。その脈動は、あまりにも弱く、今にも途絶えそうに見えた。部屋の空気は張り詰め、辺境伯、カルネウス、アルケム、そしてクゼルファの視線が、俺の一挙手一投足に集中している。彼らの眼差しには、不安と、それでも消し去れない一縷の希望が入り混じっていた。


《魔力回路の再構築、開始》


アイの宣言とともに、俺の身体を巡る魔力が、エラルの体内へと流れ込んでいくのを感じた。それは、俺自身の魔力というよりも、アルカディア号から供給される調整されたエネルギーが、俺の体を触媒としてエラルへと送られている、そんな感覚だった。俺の体を通して送られる魔素は、エラルの体内にある医療用ナノマシンによって精緻に調整され、魔力回路の中を流れていく。


すると、俺の手から淡い光が徐々に広がり、エラルの体を包み込んだ。それは、微かな青白い光のオーラとなり、まるで彼女の体に薄いヴェールをかけたかのようだ。その光は、エラルの透けるような白い肌を透過し、まるで内側から輝いているかのように見えた。


〈アイ。これは予定通りか?〉


《マスター。想定外の現象ですが、観測される数値に異常はありません。治療を続行しましょう》


俺とアイの脳内でのやり取りなど知る由もない一行は、その様子に息をのんだ。


「これは、治癒魔法か?」


筆頭魔術師のカルネウスが、驚きを隠せない声で呟いた。彼の長い経験と知識をもってしても、目の前の現象は理解の範疇を超えていた。


「しかし、このような魔法は見たことがない……魔力の流れが、あまりにも複雑で、それでいて淀みがない……」


薬師のアルケムもまた、その現象に目を奪われている。彼らの知る魔術や薬学の範疇を超えた、まさに「奇跡」としか形容しがたい光景だった。彼らの間には、驚愕と、魔術師として、また薬師としての純粋な探求心が渦巻いていた。


《細胞活性化36パーセント……46パーセント……細胞活性化………80パーセントを超えました。順調です、マスター》


アイの報告が脳内に淡々と響く。俺はそのまま動かない。エラルは変わらず淡い光に包まれたままだ。その光は、まるでエラルの全身を繭のように包み込み、ゆっくりと、しかし確実に彼女の生命の息吹を呼び覚ましているようだった。それはまさに、枯れかけた花に生命の水が与えられ、再び瑞々しさを取り戻していくかのようだった。室内に漂う緊張感の中、時だけがゆっくりと、しかし確実に流れていく。辺境伯は固く拳を握りしめ、クゼルファは祈るように手を合わせていた。


《細胞活性化が充分な状態になりました、マスター》

アイが報告する。


俺はエラルから手を離した。光のオーラがゆっくりと消えていく。エラルの体は光を失ったが、その寝顔は先ほどよりもわずかに穏やかになったように見えた。


「魔力回路の修復は順調です。次の工程に移ります。聖樹の雫をここへ」


俺はゼドラスから聖樹の雫が入ったエーテルチャンバーを受け取った。その重みと、そこから放たれる圧倒的な魔力に、思わず息をのんだ。


俺がエーテルチャンバーの封印を解くと、聖樹の雫から放たれる膨大な魔力が、瞬く間に部屋中に充満した。そのあまりの魔力の強さに、辺境伯もカルネウスもアルケムも、そしてクゼルファさえも、息苦しささえ感じるほどだった。彼らは、まるで深海に沈んだかのように、重苦しい魔力の圧力に耐えている。彼らの顔には、魔力の奔流に対する畏敬と、圧倒的な力への恐怖が混じり合っていた。


《マスター。聖樹の雫は魔乃森で採取したときよりも、魔力及び未知のエネルギー共に増幅しています》


〈え?なんでだ?〉


《詳しく分析しないと分かりませんが、おそらくエーテルチャンバーとの相互作用の結果だと思われます》


〈それで、こんなに魔力が大きいのか……中止するか?〉


《いえ。マスター。寧ろ良い状態と言えます。このまま続けましょう。これから、聖樹の雫から放たれる魔素を、マスターの触媒の力を使って、エラルの生体構造に適合するよう加工します》


アイの指示に従って、俺は聖樹の雫をエーテルチャンバーから取り出し、腕に付けている触媒の力を使って、その魔素を加工し始めた。それはまるで、熟練の職人が精緻な宝石を研磨するように、あるいは錬金術師が究極の秘薬を調合するように、微細な魔力の流れを調整し、エラルの繊細な魔力回路に合うように整えていく作業だった。淡く蒼白い光の粒子が、俺の手の中で細かく踊り、やがて淀みなく一つにまとまっていく。聖樹の雫の持つ本来の力が、今、俺の手の中で、エラルのために再構築されている。


そして、その光が、一つの纏まった球体になる。


《マスター。その球状の聖樹の雫の魔力をエラルに移します》


俺はアイの指示に従って、再びエラルの胸元に手を置いた。淡く蒼白い光の塊となった聖樹の雫の魔力が、エラルの胸の中へと吸い込まれていくのを感じた。それは、乾いた大地に恵みの雨が染み渡るように、あるいは枯れた魂に生命の糧が与えられるように、その光の球はゆっくりと、しかし確実にエラルの体内へと消えていった。


一瞬の静寂。


その直後、エラルが一際眩い光に包まれた。全身から溢れ出すような蒼白い輝きが、部屋全体を照らす。それは、生命の躍動、魔力の奔流を象徴する光だった。辺境伯の目が見開かれ、アルケムは驚愕に言葉を失い、カルネウスは静かにその光景を見守っていた。クゼルファは、顔を覆い、ただ涙を流しながらその光を見つめていた。その光景は、あたかも太古の聖典に記された奇跡が、今、目の前で再現されているかのようだった。


数秒後、光がゆっくりと収まった。


「ふぅ」


俺は深く息をついた。全身に集中していた意識が、ゆっくりと解放されていく。治療の緊張感と、成功への安堵が混じり合った吐息だった。


部屋にいる一堂は、息をのんで俺の一挙手一投足を見守っていた。彼らの視線は、まるで世界が俺の一言に懸かっているかのように、俺の顔に釘付けになっている。それは、まさに奇跡を目撃した者たちの、純粋な驚きと、そして途方もない期待が入り混じった眼差しだった。


「終わりました」

俺は静かに、彼らにそう告げた。


「おぉ……」


なんとも言えない、感嘆とも安堵ともつかない声が、一行から漏れる。


辺境伯が、恐る恐る、しかし震える声で尋ねた。


「カガヤ殿。エラルは……」


俺はエラルを見つめ、そして辺境伯に視線を戻した。


「はい。施術は成功です。おそらく大丈夫かと……。後は、彼女自身の回復力と、適切な休養が必要です。魔力回路は完全に修復され、聖樹の雫の魔力が循環しています。意識が戻るまで、もう少し時間がかかるかもしれませんが、命の危険は去りました」


俺の言葉に、部屋にいた全ての者の顔に、安堵と喜びに満ちた表情が広がった。辺境伯は、その場に崩れ落ちるように膝をつき、嗚咽を漏らした。カルネウスとアルケムは、互いに顔を見合わせ、信じられないといった様子で頷き合う。


「カガヤ様……」


クゼルファは、顔を覆い、むせび泣いていた。その涙は、これまでの苦しみと絶望、そして今目の前で起こった奇跡に対する、純粋な喜びの涙だった。


この瞬間、俺は、この世界で初めて、魔力枯渇症という難病の治癒に成功した。それは、俺が銀河系から持ち込んだ科学技術と、この世界の神秘的な魔力が融合した、まさに奇蹟の瞬間であった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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