第53話:理の診断
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執事のゼドラスに案内され、俺たちはエラルの病室へと向かった。辺境伯、筆頭魔術師のカルネウス、薬師のアルケム、そしてクゼルファ。一行は静かに廊下を進む。館全体が重苦しい空気に包まれているかのようだ。豪華絢爛な装飾品や壁のタペストリーも、今はその華やかさを失い、ひっそりと佇んでいるように見えた。
廊下の壁には、歴代のヴェリディア辺境伯の肖像画が並んでいた。彼らの厳粛な眼差しは、この館の歴史と、そこに住まう人々の背負う責任の重さを物語っている。足元に敷かれた厚い絨毯は、俺たちの足音を吸い込み、ただ静かな歩行音だけが響く。まるで、これから始まる何かの重大な儀式を前に、世界が息を潜めているかのようだった。
やがて、廊下の突き当たりにある、ひときわ大きな扉の前で立ち止まった。扉は上質な木材で作られ、精緻な彫刻が施されている。その前に立つと、ぴりぴりとした緊張感が肌を刺した。ここが、エラルの病室か。
ゼドラスが静かに扉を開くと、わずかに隙間から光が漏れ、かすかな薬の匂いが漂ってきた。部屋の中は、昼間だというのに薄暗く、窓から差し込む光も厚いカーテンに遮られている。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、その上で少女が静かに横たわっていた。
彼女がエラル。ヴェリディア辺境伯の愛娘。
俺が目にしたエラルの第一印象は、「繊細なガラス細工」だった。白いシーツに埋もれるように横たわるその身体は、驚くほどか細い。肌は透けるように白く、薄い唇は生気を失っている。豊かな栗色の髪が枕に広がり、その間から覗く睫毛が、健やかな眠りではなく、深い倦怠を示していた。呼吸は浅く、胸の上下もわずかだ。確かに、魔力枯渇症の症状は深刻だと感じた。
部屋には、既に数名の侍女と、恐らくは交代の医師であろう人物が控えていた。彼らもまた、顔に深い疲労の色を浮かべ、心配そうにエラルを見守っている。
辺境伯はエラルの元に歩み寄ろうとしたが、その手前で立ち止まり、俺に振り返った。
「カガヤ殿。まずは、この者たちが長年診てきた文献に目を通してほしい」
辺境伯の言葉に、カルネウスが小さな木箱を差し出した。中には、古びた羊皮紙の束が収められている。
俺はそれを受け取り、カルネウスに尋ねた。
「この文献は、聖樹の雫について書かれたものですか?」
カルネウスは頷いた。
「うむ。太古の時代から伝わる、聖樹の雫に関する唯一の文献じゃ。しかし、内容は古語で書かれており、解読にはこれまで多くの先達が心血を注いできた。完全に理解するには、相応の知識と時間が必要だろう。大丈夫か、カガヤ殿?」
カルネウスは、俺の顔を注意深く見つめた。その表情には、若干の不安と、そして僅かな期待が入り混じっているように見えた。隣のアルケムも、いぶかしげな表情で俺を見ている。
俺は文献の束を手に取り、一番上にある羊皮紙に目を向ける。確かに、文字は古く、見慣れない記号や図形も混じっている。だが、それはアイにとっては問題ないはずだ。
〈アイ、解析できるか?〉
俺は脳中で問いかけた。
《幾分か古い単語と文法のようですが、問題ありません。現在の言語体系との照合を開始します》
アイの冷静な声が脳内に響いた。その瞬間、俺の視界には、文字や図形が高速で解析されていく光の線が走った。瞬く間に情報が整理され、脳内に俺の知る言語として意味が流れ込んでくる。
俺は顔を上げて、カルネウスとアルケムに向かって言った。
「大丈夫です」
俺のその言葉に、アルケムとカルネウスは目を見開いて驚いた。
「何と?! 古語の文献じゃというのに……」
アルケムが呆然としたように呟いた。カルネウスも口を閉じたまま、俺を凝視している。
俺は彼らの反応を気にせず、文献をパラパラとめくり始めた。ページが高速で流れていく。
暫くすると、俺は静かに文献の束を辺境伯様に手渡した。
一行は、いぶかしげな表情で俺を見つめている。
「分かりました」
俺は静かに言った。
その言葉に、アルケムが信じられないといった様子で声を荒げた。
「なっ!もう読んだというのか!これまでの先達がどれ程その文献の解読に苦心したと思っているのじゃ!」
アルケムの抗議に、カルネウスは黙って首を振った。彼もまた驚きを隠せないようだが、アルケムのように感情を露わにはしなかった。
沈黙の中、辺境伯が静かに問うた。
「して、どうだ? カガヤ殿。この文献に記された聖樹の雫の特性と、その使用法について、貴殿の見解を述べよ」
俺は一呼吸置いて、言葉を選びながら話し始めた。
「確かに、この文献に記されている聖樹の雫は、私の持ち帰ったものとは性質が異なっています。この文献では、聖樹の雫は『万能の治癒薬』として記されていますが、同時に『極めて不安定な物質であり、僅かな魔力の変動でもその効力を失う』と述べられています」
アルケムが大きく頷く。
「その通りじゃ!ゆえに、この文献は、聖樹の雫を扱うには細心の注意が必要であると説いておる。我々が、貴殿の持ち帰った雫の扱い方に戸惑っているのもそのためじゃ!」
俺はアルケムの言葉を聞き流し、続けた。
「また、文献には、聖樹の雫は特定の条件下でしか純粋な状態を保てず、採取後も極めて限定された環境で保存しなければならないとされています。しかし、その条件は極めて曖昧で、現代の技術では再現不可能と読み取れます。ゆえに、ここに記された聖樹の雫の性質と、私が持ち帰った雫の性質には、決定的な隔たりがあります」
俺の言葉に、カルネウスが深く頷いた。
「やはりそうか。貴殿が持ち帰った聖樹の雫は、我々の常識を遥かに超えた純度を保っている。まるで、採取された瞬間から時が止まったかのようだ」
《マスターの持ち帰った聖樹の雫は、エーテルチャンバーによって、元の生育環境が完璧に再現された状態で保存されています。彼らの文献に記された『不安定さ』は、このエーテルチャンバーに使われた技術が存在しないが故の未解明な現象と解釈できます》
アイが脳内で補足情報を送ってくる。
俺は一呼吸置き、エラルへと視線を向けた。
「では、エラル様の容態を診察させていただきます」
俺はそう告げ、エラルの元へゆっくりと歩み寄った。侍女たちが緊張した面持ちで道を開ける。
改めて見たエラルの病状に、俺は眉をひそめた。予想以上に深刻だ。
全身の魔力回路は細く弱り、その流れは滞っている。生命維持に必要な最低限の魔力しか循環しておらず、肉体そのものが崩壊寸前といった状態だ。まるで、燃え尽きる寸前のロウソクの火を見ているようだった。このままでは、長くは持たないだろう。
俺はエラルの手を取り、その脈を測るように、指先をわずかに震わせた。
〈アイ。頼む〉
《了解しました。マスター。生体情報スキャンを開始します》
アイが俺の目を通してエラルの全身をスキャンする。そのデータは直ぐさまアルカディア号の統合医療モジュールへと転送され、多次元複合センサーアレイ「ヘイムダル」で高速に解析される。数秒と経たないうちに、脳内に診断結果が提示された。
《診断結果:エラル・ンゾ・ヴェリディア、魔力枯渇症末期。魔力器官及び全身の魔力回路の機能不全、細胞レベルでの魔力欠乏が進行。生命維持に必要な最低限の魔力供給も困難な状況。肉体崩壊まで約72時間と予測》
《治療方針:医療用ナノマシンの接種による魔力回路の再構築と細胞活性化を最優先。同時に、聖樹の雫の直接的な魔力供給によって、恒常的な魔力循環を確立させる必要あり。更に、……》
アイから治療方針が俺に伝えられる。それを俺は一行に伝える。ただし、この惑星の住人にも分かるように、簡潔な言葉を選んで話す。
「エラル様の病状は、極めて深刻です。全身の魔力回路が弱りきっており、このままでは数日と持たないでしょう」
俺の言葉に、辺境伯の顔が苦痛に歪む。カルネウスとアルケムも、息をのんだ。
「治療には、大きく分けて二つの段階が必要です。まず、エラル様の身体の内部から魔力を受け入れる準備を整えること。そのためには、私が用意した特殊な薬を飲んでいただく必要があります。これは、身体の奥深くにある魔力の通り道を修復し、身体を活性化させるためのものです」
アルケムが前に乗り出す。
「特殊な薬とは、どのようなものだ? 我々の知る薬ではないようだが…」
「ご心配には及びません。副作用は最小限に抑えられます。もし、必要であれば私が先ず飲んでみましょうか?」
俺は、辺境伯を見ながらそう言った。
「いや。必要ない。其方を信じると決めたのでな」
辺境伯は、一切ぶれのない口調でそう言った。
「分かりました。信頼感謝いたします」
そう言って、説明の続きを話す。
「そして、その薬で身体の準備が整った後、聖樹の雫を体内に取り込みます。この聖樹の雫は、生命の源となる膨大な魔力を含んでおり、エラル様の枯渇した魔力回路に直接、その活力を注ぎ込みます」
俺は辺境伯に視線を向けた。
「この治療には、清潔な水が必要です。ご用意いただけますか?それから、聖樹の雫をここに準備していただけますか?」
辺境伯はすぐにゼドラスに指示を出した。
「ゼドラス! 清潔な水を、そしてクゼルファが持ち帰った聖樹の雫を直ちに持ってこい!」 「御意に、お館様。」
ゼドラスは一礼すると、すぐに部屋を出ていった。その足音は、これまでになく速かった。
数分後、ゼドラスが戻ってきた。彼の手に持たれた透明な瓶には、透き通った水が満たされている。そして、もう片方の手には、俺たちが持ち帰った、あの聖樹の雫が入ったエーテルチャンバーが慎重に抱えられていた。
改めてみるエーテルチャンバーは、まさに生命の輝きを閉じ込めたかのようだった。その透明なガラスの向こうには、淡く青白く輝く光がゆらめき、まるで宇宙の星雲のように微細な光の粒子を放っている。その光は、神秘的でありながら、同時に計り知れない生命のエネルギーを秘めているように感じた。周囲の空気がわずかに振動し、清らかな魔力の波動が部屋中に満ちていくのを感じる。
俺はまず、用意された水を吸い飲みに注ぎ、そこに医療用ナノマシンを数滴加えた。それはごく微量で、水の色も匂いも全く変化させない。
「この水を、エラル様に飲ませてください」
俺は侍女に促し、彼女は震える手で吸い飲みをエラルの口元へと運んだ。エラルの喉がわずかに動き、水が飲み込まれていく。
《医療用ナノマシンの接種完了。体内での魔力回路再構築プロセスを開始します》
アイの報告が脳内に響く。
次に、俺は聖樹の雫の容器を受け取った。その重みと、そこから放たれる圧倒的な魔力に、思わず息をのんだ。
「では、治療を始めます」
俺がそう告げると、部屋にいた一堂が固唾をのんで見守った。辺境伯、カルネウス、アルケム、そしてクゼルファ。彼らの視線が、一斉に俺と聖樹の雫に集中する。その眼差しには、希望と不安、そして絶望的な状況を打破しようとする、切実な願いが込められていた。
俺は静かに集中し、意識を聖樹の雫へと向けた。
ここにいる者たちの希望と祈りの中、俺は全意識をエラルの治療に集中させる。
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