第52話:辺境伯の眼差し
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クゼルファとの話が終わると、彼女はすぐさま辺境伯邸へと連絡を取りに向かった。俺は、この日、もうクエストを受ける気にはなれなかった。気持ちが落ち着かず、「古木の憩い」に一旦戻って、クゼルファからの連絡を待つことにした。
自室に戻った俺は、椅子に深く腰掛け、再びアイと相談を始めた。
〈アイ、辺境伯邸ではどんな話になると思う?〉
《マスター。辺境伯邸での具体的な会話内容は、現時点での情報では推測の域を出ません。聖樹の雫の並外れた活性化度合いという事実だけでは、彼らの真の意図や具体的な懸念事項を正確に特定することは不可能です》
〈まぁ、そうだろうな。エラルの治療方針はどうなると思う?〉
《実際に患者の状態を見なければ、現時点では正確な予測は困難です。可能であれば、辺境伯邸が保管している聖樹の雫に関する文献や、エラルの過去の病状記録も得てください。より詳細な解析と最適な治療法の立案が可能になると予測します》
〈それは俺もそう思う。できるだけ協力してもらおう〉
部屋にいても落ち着かないので、俺は食堂へ降りて昼食をとることにした。今日の定食は、肉と野菜がたっぷりの煮込み料理だ。味は悪くないが、食欲はあまりわかない。これから辺境伯邸で何が起こるのか、エラルの容態、色々な思考が頭の中を巡っていた。
昼食が終わりそうな頃、食堂の入り口にクゼルファの姿が見えた。彼女は駆け足でこちらに向かってくる。その表情は、先ほどよりは幾分か明るい。
「カガヤ様! お待たせいたしました! 辺境伯様から、今からでもよろしければ、ぜひお越しいただきたいとのことです!」
クゼルファは息を切らせながら報告する。そうか。やはり早めに会いたかったか。
俺は意を決した表情で頷き、席を立った。
「なら、今から向かおう」
「ところで、辺境伯邸に行くのにこの格好でも良いのか?」
俺は自分の冒険者服を見下ろして尋ねた。貴族の屋敷に、こんなラフな格好で乗り込むのは、俺の常識では失礼にあたる。
クゼルファは、少し微笑んだ。
「ご安心ください、カガヤ様。緊急事態ですし、辺境伯様もそんなに狭量な方ではございません。それに、今はエラルのことの方が大切ですから」
彼女の言葉に、俺は少しだけ安心した。
「古木の憩い」を出ると、クゼルファの進言か、辺境伯様の気遣いか、宿屋の店先には瀟洒な馬車が待っていた。
「馬車?」
「はい。できるだけ急いで欲しいとのことでしたので……」
クゼルファの言葉に俺はうなずき、馬車に乗り込んだ。
◇
ヴェリディア辺境伯邸への道は、馬車を使えばそう遠くない。重厚な石造りの門をくぐり、広大な庭園を進むと、正面玄関には、執事らしき壮年の男性が既に待っていた。
その男性は、俺の姿を認めると、一瞬、その細い目で値踏みをするような視線を向けた。だが、すぐに丁寧な笑顔に戻り、深々と頭を下げた。俺は彼の視線に気づいたが、特に気にはしなかった。
「カガヤ様、クゼルファ様、ようこそお越しくださいました。お館様がお待ちでございます」
その執事らしき男性に案内され、俺たちは邸内へと足を踏み入れた。廊下は絨毯が敷き詰められ、壁には豪華な絵画が飾られている。静かで重厚な空気が漂っていた。
やがて、大きな扉の前に案内された。男性が扉を開けると、そこは重々しい雰囲気の応接間だった。
部屋の中には、すでに数人の人物がいた。ソファーの中央には辺境伯らしき壮年の男、その両脇には二人の老人が座っていた。そして、彼らの後ろには、威圧的な体格の男が腕組みをして立っており、その両脇には二人の騎士が控えている。
《マスター。ソファー中央の人物が、ヴェリディア辺境伯、両脇の男性が医師団の人物。後ろに控えているのが高位の騎士、おそらく騎士団の役職ある者とその直属の騎士2人と推測します》
アイが脳内で情報を送ってくる。なるほど、騎士団長あたりかもしれないな。見ず知らずの異質な人間が来るのだ、護衛が付くのも無理はない。俺は内心で納得した。
「辺境伯様、カルネウス様、アルケム様。クゼルファ、ただいま参りました。そして、こちらが先程お話しいたしました、聖樹の雫の採取に同行してくださいましたカガヤ様です」
クゼルファが、一礼し、俺を彼らに紹介した。
俺は、一歩前に出て、彼らに向かって簡潔に自己紹介する。
「カガヤです。冒険者ギルドに所属しております」
簡潔な言葉を選んだ。
すると、辺境伯側の人間もそれぞれ自己紹介を始めた。
中央に座る壮年の男が、威厳のある声で口を開いた。
「私がヴェリディア辺境伯、カレム・ンゾ・ヴェリディアだ。其方がクゼルファが言っていたカガヤ殿か。まずは、聖樹の雫を持ち帰ってくれたこと、感謝する。さて、早速だが、この聖樹の雫を採取し、持ち帰ったのは貴殿で間違いないな?」
「はい。その通りです」
俺は肯定した。
俺の返答を聞くや否や、辺境伯の隣に座っていた薬師のアルケムが、堰を切ったように質問を始めた。
「貴殿は一体、どのような方法でこの雫を採取したのだ?! 我々が知る聖樹の雫は、かくも純粋な、そしてこのように膨大な魔力を保てぬはず! 採取環境は? どのような魔力を込めた? 容器の材質は? その技術は一体どこから…!」
アルケムの興奮した質問攻めに、隣に座る筆頭魔術師のカルネウスが、その手を上げて彼をいさめた。
「アルケム殿、落ち着かんか。貴殿の興奮は理解できるが、まずは順序立てて話を伺うべきだ」
そして、カルネウスは俺に視線を向け、穏やかな口調で尋ねる。
「カガヤ殿。貴殿は冒険者らしいが、我々が知る冒険者とは少し異なるようだが」
その時、後方に控えていた威圧的な体格の男が、低い声で呟いた。
「中々の逸材らしいですよ、カガヤ殿は。先日、ギルドマスターからも報告が上がっていました。彼は一週間で、ギルド内で最も耳にする名になっています」
その男の言葉に、俺はわずかに眉をひそめた。なぜ、俺のことをそこまで知っている?ギルドマスターの報告?
〈いくらなんでも、情報が早すぎないか? 一週間でここまで知られているとは……〉
俺は内心いぶかしんだ。
《辺境伯ですからね、マスター。この都市の最高責任者です。独自の密偵や情報網を持っていると考えるのが妥当です》
アイが冷静に分析を脳内に送ってくる。
なるほどな。確かに、貴族、それも辺境伯という立場であれば、それくらいの情報収集能力を持っていてもおかしくない。この世界では、俺の常識が通用しないことが多すぎる。
俺は、静かに彼らの視線を受け止めていた。その時、辺境伯が居住まいを正し、重々しい口調で口を開いた。
「カガヤ殿。単刀直入に伺う。貴殿は、エラルを救えるか?」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。全ての視線が、一斉に俺に集中する。カルネウス、アルケム、辺境伯、そして後ろに控える騎士。皆が、俺の答えを待っている。
〈アイ。現状で、エラルを救える可能性はどのくらいだ?〉
俺は、最終確認のため、脳内でアイに問いかけた。
《聖樹の雫は既にある程度は解析済みです。後は、エラルの病状の詳細データがあれば、救命確率は飛躍的に向上すると推測されます。しかし、保証はできません。この惑星の魔素の影響を完全に予測することは、現在の私の演算能力では不可能です》
アイは決して断言しない。だが、その声のトーンから、可能性は十分にあることが伝わってきた。
俺は再び、辺境伯の目を見つめた。
「まだ確約はできません」
俺はそう前置きし、言葉を続けた。
「ですが、エラル様の症状を詳しく診察し、文献にある聖樹の雫に関する詳細な情報を共有させていただければ、私にできる限りのことはさせていただきます。……救える可能性は、十分にあると見ています」
俺の言葉は、部屋に静かな波紋を広げた。辺境伯の顔に、わずかな安堵の表情が浮かんだように見えた。
アルケームは驚きと期待の眼差しを俺に向け、カルネウスは思慮深く頷いている。後ろに控える騎士は相変わらず腕組みをしたまま、しかしその目には、確かに変化があった。
「ほう……。ならば、その言葉、信じよう」
辺境伯はゆっくりと立ち上がった。その動きには、まだ病に伏せる娘への深い愛情と、一縷の望みをかける親の覚悟が滲み出ているようだった。
その時、腕組みをしていた騎士が口を開いた。
「お館様。このような得体の知れない者を、そんなにも直ぐに信用しても良いのですか?」
その騎士の疑念のこもった問いかけに、辺境伯は彼に視線を向けた。その目は、静かだが強い光を宿している。
「信用に足る人物なのであろう?」
辺境伯の言葉は、直接その騎士に向けられたものではなく、その傍に控える、先ほどの執事らしき男性への問いかけのようだった。
その男性は、すぐに深々と頭を下げ、辺境伯の問いに迷いなく答えた。
「御意にございます」
〈やっぱり、俺って調査されてるよな〉
そう脳内でアイにつぶやきながら、俺は内心、苦笑した。
《当然です、マスター。クゼルファにマスターのことを聞いた瞬間から、当然の情報収集対象でしょう》
アイが脳内で淡々と語りかける。
「ゼドラス。カルネウス殿、アルケム殿。カガヤ殿をエラルの病室へ案内しろ。必要な情報は全て提供し、彼の望むものには最大限協力しろ」
辺境伯の指示に、先ほどの男性が深々と頭を下げた。カルネウスとアルケムも、真剣な表情で頷く。
「承知いたしました、お館様。では、カガヤ様、こちらへどうぞ」
セドラスと呼ばれた執事が俺に促す。
さて、ここからが本番だ。実際の所、俺にとっては、初めての本格的な医療行為だ。何せ、タダの元研究者で宇宙商人なのだから……。しかし、この世界の人間たちが理解できない「奇跡」を、どうやって説明し、どうやって受け入れさせるか……。
俺の胸には、無謀とも言われかねない挑戦への高揚感と、わずかな緊張が入り混じっていた。しかし、これからやることはただ一つ。エラルを救うこと。それだけだ。
俺は、彼らの先導に従い、エラルの病室へと向かった。
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