第50話:クゼルファの休日…
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クゼルファ視点です。
朝、自室で目を覚ますと、窓の隙間から差し込む柔らかな光が、部屋の床に細長い光の帯を描いていた。枕元のランプは消え、部屋全体が穏やかな明るさに包まれている。普段であればとうに身支度を終え、ギルドへ向かう喧騒の中に身を置いている時間だ。しかし、今日は違う。カガヤと取り決めた、初めての「休息日」であった。
私は、ベッドからゆっくりと身を起こし、大きく伸びをした。身体の節々が軽く音を立てる。疲労感よりも、むしろ心地よい解放感に満たされていた。
最近、カガヤ様と行動を共にするようになってから、日々が驚くほど充実している。これまでの冒険では味わえなかったような、未知への探究と、確かな成果が常にそこにあるように感じるのだ。特に、カガヤ様の「奇跡」としか思えないお力は、私の常識を幾度となく覆し、この世界の可能性を広げてくださった。
身支度を整えながら、ふと、カガヤ様のことを思う。昨日、休日の過ごし方についてお話しした時、彼は「特に予定はない」とおっしゃっていた。その横顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、私の思い過ごしだろうか。そんなことを考えていると、頬がわずかに熱くなるのを感じた。
街の食堂で簡単な朝食を済ませると、私は一人、街へと繰り出した。本日の私用は、他でもない、エラルのお見舞いに行くことだ。
まずは、薬草店へ向かった。エラルの病に直接効く薬は、聖樹の雫以外にない。それでも、彼女の苦痛を少しでも和らげるような、あるいは、心を安らげるような薬草がないか、店主に相談した。店主は私の事情を察し、いくつか穏やかな効能を持つ薬草や、心を落ち着かせるハーブティーの材料を勧めてくれた。
「これならば、少しはエラルの助けになるかもしれない」
そう思いながら、丁寧に包まれた薬草を受け取る。
カガヤ様が魔牙の蝕蔓の解毒薬を虚空から取り出してくださったあの奇跡の瞬間、私は彼ならばエラルをも救ってくれるのではないかと、そう強く願ってしまった。だが、聖樹の雫を必要とする魔力枯渇症と、魔獣の毒は全くの別物。いくらカガヤ様のお力でも、全てを解決できるわけではない。
しかし、以前のように絶望的な気持ちになることはなくなった。カガヤ様との出会いが、私の心に希望の光を灯してくださったのは間違いない。彼の持つ、常識では考えられない「力」と、それを冷静に、そして合理的に使いこなす「知性」。カガヤ様がいらっしゃれば、きっとエラルも……。そう、信じたいのだ。
だが、あれから一週間。エラルから何の連絡も来ていないのが、気がかりだった。普段であれば、定期的に様子を知らせてくれる手紙が届くはずなのに。私を気遣って連絡を控えているのか。あるいは、何か良くないことが……。不安が、心の奥底でチクリと疼く。
薬草店を出て、次に立ち寄ったのは、活気あふれる街の市場だった。色とりどりの野菜や果物が並び、人々の声が飛び交う。エラルは甘いものが好きだったから、珍しい果物でも買ってあげようか。そう思いながら、市場の賑わいに身を任せた。
◇
午後になり、私は街の中心から少し離れた高台にある、ヴェリディア辺境伯邸へと足を運んだ。門番に来訪を告げ、重厚な石造りの門をくぐり、広大な庭園を進むと、見慣れた執事のゼドラス殿が玄関に立っていた。
「クゼルファ様、ようこそお越しくださいました。エラル様も、お待ちかねでございますよ」
ゼドラス殿は、深々と頭を下げ、私を労ってくれた。
「ゼドラス殿、本日はお見舞いに参りました。エラルの容態はいかがですか?」
私の問いに、ゼドラス殿は複雑な表情を見せた。
「聖樹の雫は手元にございますものの、いまだその利用方法が解明されておりませんで……。残念ながら、エラル様の病状は、そのままの状態が続いております。カルネウス様とアルケム様も、日々その利用方法を模索してはおりますが……予断を許さない状況にございます」
言葉を詰まらせるゼドラス殿に、胸が締め付けられる思いがした。聖樹の雫は、確かに届けた。でも、まだ使えていないのなら……。早く意識を取り戻してほしい。私の祈るような気持ちを察したのか、ゼドラス殿は静かに頷き、私をエラルの病室へと案内してくれた。
エラルの病室は、日当たりが良く、清潔に保たれていた。ベッドに横たわるエラルは、以前よりは多少顔色が良くなっただろうか。今は眠っているようだ。その細い腕に、あの痛々しい治療の跡を見つけると、胸が苦しくなる。彼女の隣に座り、そっと手を握った。温かい、確かに生きている感触。
「エラル……」
小さな声で呼びかけたが、返事はなかった。
私は、買ってきた薬草と果物をテーブルに置いた。これらは、今、私が彼女にしてあげられる精一杯のことだ。
エラルの寝顔を見つめながら、私は改めてカガヤ様への思いを巡らせる。
カガヤ様は、本当に不思議な方だ。彼の大きく多彩な魔法も、彼の知性も、そして、不思議な力も。私には全く理解が及ばない。だが、彼の力が本物であることだけは確かだ。そして、彼は決してその力をひけらかすことはない。必要な時に、必要なだけ、冷静に、そして的確に行使なさる。それがまた、彼を一層神秘的に見せるのかもしれない。
彼に対する信頼は揺るぎない。しかし、彼の底知れない部分に触れるたび、畏敬の念と共に、ほんのわずかな、しかし確かに存在する「畏れ」のようなものも感じるのだ。彼は一体何者なのだろうか。
エラルの手を握りながら、私は決意を新たにした。私はもっと強くならなければ。カガヤ様の隣に立つにふさわしい存在に。そして、いつか、エラルを完全に救う道を、この手で見つけ出したい。
その時だった。エラルの病室のドアが勢いよく開かれた。
「クゼルファが来ていると聞いたのだが!」 そう言いながら入ってきたのはエラルの父君、ヴェリディア辺境伯、カレム・ンゾ・ヴェリディア様だった。
「お館様、いかがなさいました」
ゼドラス殿が、厳しい目を辺境伯様に向けた。
「ゼドラス。今は許せ」
そう、辺境伯様が仰ったとき、その後ろから我が家の筆頭魔術師カルネウス様と薬師のアルケム様が部屋へと入ってこられた。 「クゼルファ様。是非あなたのお力が必要なのです」
カルネウス様が口を開いた。 すると、辺境伯様が手でカルネウス様を遮り、私に直接向き直った。
「クゼルファよ。聖樹の雫の件、感謝する。だが、聞きたいことがあるのだ」
辺境伯様は一度、ベッドに眠るエラルの顔に悲痛な目を向け、そして、再び私へと視線を戻した。その瞳には、領主としての厳しい光と、父としての藁にもすがるような切実な色が混じり合っていた。
「どうかなさいましたか?」
辺境伯様は私の問いには答えず、一歩、私ににじり寄った。その威圧感に、私は思わず息を呑む。彼は、領主としての威厳と、娘を想う父としての焦燥がない混ぜになった、複雑な表情で、低い声で問い詰めるように言った。
「この聖樹の雫は一体どうやって採取したのだ」
辺境伯様の、領主として、そして父としての気迫に、私は一瞬、気圧されて言葉に詰まった。だが、この聖樹の雫は、カガヤ様が苦心して、これ以上ないほどの完璧な状態で持ち帰ってくださったものだ。問題などあるはずがない。そう思い直し、私は毅然として顔を上げた。しかし、私の反論を待たずして、アルケム様が堰を切ったように話し始めました。
「クゼルファ様。この聖樹の雫は異常なほどの魔力を帯びているのです。文献に書かれた聖樹の雫は、そうではない。これほどの物ではないのです。これでは……」
「クゼルファ様。おそらくですが、皮肉なことに、この聖樹の雫は状態が良すぎるのです。完璧な魔力を保ちすぎて、その利用方法が我々の理解を超えています。この聖樹の雫を扱う術を、私どもは持ち合わせておらんのですよ」
アルケム様の言葉を引き継ぐようにカルネウス様がそう仰った。
私は、衝撃を受けた。まさか、カガヤ様の努力がこんなことになるとは夢にも思っていなかったのだ。そう、当然のことだ。考えてみれば分かることだった。カガヤ様ほどの技術がなければ、太古に持ち帰られたとされる聖樹の雫が、これほど完璧な状態で維持できるはずがなかったのだから。私たちが手にした聖樹の雫は、文献にあるものとは、全く異なる別物なのだと。 私は、脱力のあまり膝から崩れそうになるのを留めるのが精一杯だった。何も言えずに立ちすくむ私に、辺境伯様が言いました。
「クゼルファよ。この聖樹の雫を採取した者、その状況を詳しく知る者に会わせて欲しい。其方の他にもいるのだろう?この聖樹の雫の採取に関わった者が」
私は一瞬ためらい、視線を伏せました。そして…
「申し訳ございません、辺境伯様。採取のことについては、私の一存ではお話しできません」
私の断固とした態度を感じたのか、辺境伯様の眉がぴくりと動いた気がしました。
「やはり、誰か他の者が関わっているのだな」
私は、小さく頷きました。
「どうか、少しお時間を頂けませんか?明日には必ず、お返事をさせていただきますので……。」
私は深く頭を下げ、辺境伯様に懇願いたしました。 辺境伯様は無言で私を見つめ、やがて小さく頷かれました。
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