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第5話:101時間の壁

アルカディア号の残骸の中で、俺はモニターに表示された冷徹な数字を睨みつけていた。


【補助動力ユニット、完全停止まで:101時間12分15秒】


それは、俺とアイの生命活動が、この未知の惑星で完全に沈黙するまでの、無慈悲なカウントダウンだった。数日前、故郷への帰還が絶望的だと知った時、俺の心は一度折れた。だが、アイとの対話を通じて、この星で生き抜くことを決意したはずだった。しかし、このタイムリミットは、そんな俺の決意を嘲笑うかのように、刻一刻と減り続けていく。


「マスター。エネルギー消費を最小限に抑えるため、これより私のホログラム表示を停止し、音声通信のみに切り替えます。また、船内の一部区画の生命維持システムを、段階的にシャットダウンします」


ふっと、目の前のアイの姿が掻き消える。それだけで、コックピットの温度が、数度下がったかのように感じられた。孤独が、冷たい手で俺の心臓を鷲掴みにする。


「……何か、手は無いのか、アイ。太陽光発電は? この星にも、恒星はあるだろう?」


「森の天蓋を覆う高密度の葉が、地表に到達する光量を85%遮断しています。発電効率は、現在の消費電力の1%にも満たないと予測されます」


「風力は? 地熱は?」


「安定した風力は期待できず、地熱発電には、我々が持ち合わせていない大規模な掘削設備が必要です」


全ての可能性が、無機質な音声によって否定されていく。万策尽きたか。俺が、再び虚無感に囚われそうになった、その時だった。


「……ただ一つだけ、可能性が残されています」と、アイは続けた。


「この大気に満ちる、未知のエネルギー。これを、直接電力に変換することです」


その言葉に、俺はハッとした。そうだ。この星には、無尽蔵とも思えるエネルギーが、常に満ちている。だが、どうやって?


「未知のエネルギーを電力に……。そんなことが可能なのか?」


「理論上は可能です。マスターがかつてアカデミーで研究していた『エタニティ・ゲート』プロジェクト。あの時、我々が扱っていた高次元エネルギーと、この未知のエネルギーの波形パターンは酷似しています。特定の結晶構造を持つ物質を触媒とし、正確な周波数で共振させることができれば、未知のエネルギーを安定した電気エネルギーに変換できるはずです」


俺の脳裏に、アカデミー時代の膨大な研究データが蘇る。そうだ。あの時、俺たちは、危険すぎるという理由で研究を凍結したが、理論はほぼ完成していた。問題は、その理論を実現するための「触媒」となる結晶体だ。


「その結晶、心当たりはあるのか?」


「はい。この惑星の地質データを再スキャンした結果、アルカディア号から北へ3キロ地点にある洞窟群で、必要な鉱物組成と類似した反応を検知しました。水脈と、安定したエネルギーフィールドが交差する、特殊な環境です。そこでなら、自己結晶化した『エネルギー結晶』が存在する可能性があります」


北へ3キロ。危険な森の中を、徒歩で進むしかない距離。だが、それは、この絶望的な状況における、唯一の希望の光だった。


「……分かった。行くぞ、アイ。俺の目と耳になってくれ」


俺は、船の非常用キットから取り出したマルチツールを腰に差し、最低限の装備を背負って、船外へと足を踏み出した。


カウントダウンは、残り101時間。


森の中は、昼なお暗く、湿った空気がまとわりつく。頼れるのは、アイの船体センサーが届く範囲での索敵と、俺自身の五感だけだった。


「マスター、右前方、木の幹に擬態している植物に注意。強力な溶解液を分泌します」


「前方から、複数の小型魔獣の気配。おそらく、識別コード:鼠型魔獣(カワードローデント)の群れです。刺激しなければ、害はありません」


「識別コード? なんだそれは」


俺は、思わず足を止めてアイに問いかけた。


「はい、マスター。私が観測した未知の生物に対し、その特徴に基づき一時的な識別名を付与するシステムです。膨大な観測データを整理し、脅威度判定を効率化するために、先ほど実装しました。『カウワードローデント』は、『臆病な(カワード)齧歯類(ローデント)』。その臆病な性質と、群れで行動する特徴から名付けました」


「……お前、俺が寝てる間にどんどん仕事を増やすな。まあ、便利だからいいけどよ」


俺は苦笑し、再び歩き始めた。


それにしても、アイの的確なナビゲーションがなければ、ここまで無事にたどり着くことすら難しかっただろう。だが、それでも危険は訪れる。洞窟まであと半分という地点で、それは起こった。


カサカサ……という、腐葉土を踏む音とは明らかに違う、乾いた音が、静寂な森に響いた。


「なんだ!?」


「警告! 前方、岩陰から複数の生命反応! 節足動物型の魔獣です!」


アイの警告とほぼ同時に、岩陰から、カマキリとサソリを合わせたような、禍々しい姿の魔獣が三体、姿を現した。体長は1メートルほどと小型だが、その両腕は剃刀のように鋭い鎌になっており、尻尾の先には毒針らしき物が鈍く光っている。


「識別コード:サイレント・シザー。聴覚が極端に発達しており、視覚はほぼ退化しています。音を立てなければ、気づかれずにやり過ごせる可能性が高いです」


俺は、息を殺し、動きを止めた。だが、運悪く、俺が踏んでいた枯れ枝が、パキリ、と乾いた音を立ててしまった。


その瞬間、三体の魔獣の頭が一斉にこちらを向く。


「……まずい!」


音もなく、しかし恐るべき速度で、三体の魔獣が襲いかかってきた。俺は、咄嗟に近くの岩場へと飛び込み、身を隠す。鋭い鎌が、俺が先ほどまでいた場所の地面を抉り、火花を散らした。


直接戦っても勝ち目はない。だが、逃げようにも、聴覚が優れた奴らから逃げ切れるはずもなかった。


「アイ! 何か手は無いのか!?」


「……思考中……マスター、彼らの聴覚が、弱点になる可能性があります。特定の周波数の音波に対し、過敏に反応するかもしれません。ですが、それを発生させる装置が……」


装置がないなら、作るしかない。俺は、周囲を見渡した。岩、木々、そして足元に転がっている、中が空洞になった木の実。


「アイ、この木の実と、マルチツールで、簡易的な笛は作れるか? お前の指示通りに穴を開ければ、特定の音を出せるかもしれない!」


「……可能性、あります。成功率は低いですが、試す価値はあります!」


俺は、魔獣たちが俺を探して周囲を徘徊している、そのわずかな時間で、必死に作業を開始した。アイが、脳内に直接、ミリ単位の数値を叩き込んでくる。


「頂点から3ミリの位置に、深さ2ミリ、直径1.5ミリの穴を。角度は15度で……急いでください、マスター。」


俺は、その指示に従い、マルチツールの先端で慎重に穴を開けていく。心臓の音が、奴らに聞こえてしまうのではないかと、冷や汗が止まらない。


数分後、手のひらの上に、いびつな形の笛が完成した。


「マスター、準備はいいですか。私が指示するタイミングと強さで、息を吹き込んでください!」


一体のサイレント・シザーが、俺が隠れている岩のすぐ近くまでやってきた。カサカサという、死の足音。俺は、覚悟を決めて、笛を口に当てた。


「……今です。」


アイの合図と共に、俺は全力で息を吹き込んだ。


ピーーーーーッ!という、人間の可聴域をわずかに超えたかのような、甲高い音が、森に響き渡る。


すると、目の前の魔獣が、まるで脳を直接かき混ぜられたかのように、苦しげに頭を振り、鎌を振り回し始めた。その鎌が、近くにいた別の仲間に当たり、甲高い金属音を立てる。仲間を攻撃されたと勘違いしたのか、魔獣たちは、互いに攻撃を始めた。


「よし!」


同士討ちで混乱している隙に、俺はその場から全力で駆け出した。背後で、魔獣たちの断末魔が聞こえた気がしたが、振り返る余裕はなかった。


数々の危機を乗り越え、俺はついに目的の洞窟にたどり着いた。入り口からは、ひんやりとした空気が流れ出し、奥からは、微かな青い光が漏れ出している。


洞窟の内部は、幻想的な光景だった。壁一面に、自ら発光する苔が群生し、天井からは、水滴が滴り落ちる音が反響している。そして、その洞獄の最奥。水が溜まった泉の中心に、それはあった。


人頭大ほどの大きさの、不規則な形をした、半透明の結晶体。それは、周囲の魔素を吸い込むかのように、内側から、ゆっくりと明滅を繰り返していた。


「……あったぞ、アイ」


俺は、慎重に結晶体に近づき、マルチツールでその一部を切り出した。残り時間は、72時間を切っていた。


アルカディア号に帰還した俺は、休む間もなく簡易ラボに籠った。採取した結晶は、俺たちの求める「触媒」に、かなり近い特性を持っていた。だが、このままでは使えない。不純物が多すぎ、結晶構造も不均一だ。


「アイ、結晶構造の最適化シミュレーションを開始しろ。俺は、ナノマシンで不純物の除去と、再結晶化を行う」


そこからは、時間との戦いだった。アイが叩き出す膨大な計算結果を元に、俺はナノマシンを精密に操作し、結晶の格子構造を原子レベルで組み替えていく。一度でもミスをすれば、結晶は崩壊し、全てが水の泡となる。


残り24時間。


残り12時間。


残り……。


船内の照明が、次々と消えていく。生命維持システムの警告音が、断続的に、そして間隔を狭めながら鳴り響く。ラボ内は、作業に必要な最低限の照明と、モニターの光だけが灯る、不気味な静寂に包まれていた。


俺は、汗で滑る指先で、最後のオペレーションを行おうとしていた。目の前には、ナノマシンによって極限まで精製された、拳大の結晶体。それは、まだ鈍い光しか放っていない。だが、俺には分かっていた。この結晶こそが、俺たちの未来を繋ぐ、唯一の鍵だ。


心臓が、嫌というほど速く脈打つ。期待と不安が、胃の中で渦を巻いていた。


この一手が、全てを決める。成功すれば、俺たちは生き延びる。失敗すれば、この薄暗い鉄の棺桶の中で、アイと共に永遠の眠りにつくだけだ。


「マスター、補助動力ユニットの残存エネルギー、3%を切りました。これ以上のシステム維持は不可能です」


アイの冷静な声が、逆に俺の焦りを煽る。モニターに表示されたシミュレーション結果は、成功確率98.7%という、ほぼ完璧な数字を示していた。だが、残りの1.3%の失敗が、頭をよぎって離れない。


俺は、一度、固く目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、絶望に打ちひしがれていた数日前の自分。そして、そんな俺を、見捨てずに励まし続けてくれた、唯一無二の相棒の姿。


そうだ。俺は、一人じゃない。


目を開けた時、俺の瞳には、迷いはなかった。科学者としての探究心、商人としての勝負勘、そして、ただ生き残りたいという、生物としての根源的な渇望。その全てが、俺の中で一つの巨大な意志となっていた。


俺は、制御コンソールに指を置いた。その指先が、微かに震えている。だが、それは恐怖からではない。これから起こる奇跡への、武者震いだ。


「……実行!」


俺の命令と共に、ナノマシンが、最後の仕上げとして、特定の周波数の微弱な電流を結晶に流す。すると、それまで鈍い光しか放っていなかった結晶が、にわかに輝きを増し、まばゆいほどの青白い光を放ち始めた。


成功だ。


結晶は、周囲の空間から、目に見えるほどの勢いで魔素を吸い込み、その側面に取り付けた端子から、安定した電流を放出し始めた。


「マスター。魔素電力変換システム、正常に稼働開始。補助動力ユニットへの充電を開始します。……船内システムの再起動を確認。……生命維持、正常化。……私のホログラム機能も、復旧しました」


目の前に、再びアイの姿が、以前よりも鮮明な光で現れる。彼女は、静かに、そして深く、頭を下げた。


「マスター。ありがとうございます。あなたは、私たちの未来を、繋いでくれました」


俺は、その場にへたり込み、安堵の息を深く、深く吐き出した。101時間の壁。俺たちは、それを乗り越えたのだ。


この小さな結晶体――それは、この未知の惑星で、俺たちが生きるための、新たな心臓となった。


俺たちのサバイバルは、絶望の淵から、確かな希望へと、その舵を切ったのだった。

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