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第42話:内なる声(後編)

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

クゼルファは深呼吸を一つすると、ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で話し始めた。


「ありがとうございます。では……私の相談……というか、…それをお話しさせていただく前に、私の身の上について聞いておいて欲しいのです。……幼い頃からの話を」


彼女の言葉には、決意にも似た響きが混じっていた。俺は静かに頷き、次の言葉を待った。

クゼルファは、伏し目がちに、静かに語り出した。


「私の名は、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィム。フォルトゥナ王国の4大公爵家の一つ、南の公爵、ゼラフィム家の末子です。私の母は、第二夫人で、その長女にあたります」

俺は既にその事実を知っていたが、彼女自身から語られることで、その言葉の重みが改めて胸に迫った。


「幼い頃から、私は公爵家に必要のない存在だと感じていました。本当はそんなことは誰も思っていなかったのは、今となってみれば分かりますが……、その時はそんな風に感じていました。ゼラフィム家には年の離れた兄が二人おり、末の妹である私は、それはもう蝶よ花よと育てられました。兄たちはとても優しかったのですが、私には貴族社会特有の、腹の探り合いや時代遅れの慣習、そして中身のない体裁ばかりを気にする世界が、どうしても好きになれませんでした。もともと活発な性分だったこともあり、息が詰まるような閉鎖的な環境に、ずっと息苦しさを感じていたのです。父は頑なに反対しましたが、私はその反対を押し切って、家を出て冒険者になりました」


彼女の声は淡々としていたが、その奥には抑えきれない感情の澱が沈んでいるように感じられた。


「冒険者になって、最初は順調でした。いくつかのパーティーに所属し、前衛として大剣を振るう日々は、貴族社会にいた頃とは比べ物にならないほど充実していました。王都では私が貴族の出であることは知られているので、私は辺境の地であるここヴェリディアで活動していました。ギルドでは若手ながらも、それなりに実力と統率力を認められていたと思います。ヴェリディア領主家とは旧知の仲で、領主の娘であるエラルとは幼なじみです。今も活動を共にしているパーティーのメンバーは、私が貴族であることは知っていますが、敢えてそのことには触れず、ただ一人の仲間として接してくれています」


クゼルファはそこで一度言葉を切った。彼女の瞳は、遠い過去を見つめるかのように揺れていた。そして、ゆっくりと、今の彼女が抱える問題へと話を進めた。


「ですが……エラルが魔力枯渇症に冒されてからは、状況が変わりました。治療には、幻の薬草と言われる『聖樹の雫』が必要だと分かり、私はそれを手に入れるために、単独で動くことを決意しました。パーティーのメンバーには迷惑を掛けたくなかったんです。それに、貴族であるという事実を、これ以上冒険者としての活動に持ち込みたくありませんでした。私が公爵家の人間だと知られれば、何かと動きづらくなるでしょうから」


彼女の表情が、一瞬、苦痛に歪んだ。エラルへの深い友情と、仲間を巻き込みたくないという責任感が、彼女を突き動かしたのだろう。


「あの時は、自分一人で何とかできると、そう思い上がっていました。これまでの経験と実力があれば、どんな困難も乗り越えられると。しかし、現実は甘くありませんでした……。『魔乃森』で、私は死にかけました。あの時、カガヤ様に助けていただかなければ、今頃私はこの場所にいなかったでしょう」


クゼルファは、そこで初めて、自嘲気味に口元を歪ませた。その鳶色の瞳には、悔しさと自己嫌悪の色が浮かんでいる。


「それからも、私はカガヤ様に助けてもらってばかりです。聖樹の雫も……結局、私一人では何もできていません。むしろ、カガヤ様にご迷惑ばかりおかけしている。自分は何もできない、何の役にも立たない人間なのではないかと……」


彼女の声は、次第に震えを帯びていく。普段の毅然としたクゼルファからは想像できないほど、脆く、傷ついた声だった。そして、彼女はさらに苦しそうな表情で言葉を絞り出した。


「そして、一番情けないのは……いざとなったら、自分が嫌いだと思っていた貴族の力を使おうとしている自分もいる、ということです。ゼラフィム家の力を使えば……そう考えてしまう自分が、本当に浅ましく感じます。結局、自分の信念も、誇りも、何もかも中途半端だと……」


そこまで言って、クゼルファは言葉を詰まらせた。彼女の頬に、薄らと光るものが見えた。鳶色の瞳が潤み、視線が揺れる。


「私ったら一体何を言っているんでしょうね……」


彼女は小さく呟き、顔を伏せた。その肩が、微かに震えている。


その時、俺の意識の奥で、アイの声が響いた。


《マスター。クゼルファ様の精神状態は、極めて不安定です。自己肯定感の低下が顕著で、強い自責の念と無力感に苛まれています》


アイの冷静な分析は、クゼルファの苦しみを明確に示した。彼女が抱える苦悩は、単なる失敗によるものではなく、自己存在そのものに対する深い問いかけに繋がっているのだ。


〈アイ、治療方法……いや、彼女を救うための対策は何かあるのか?〉


俺は心の中で問いかけた。目の前で苦しむクゼルファを、ただ見ていることしかできないのは辛い。


《はい、マスター。このような精神状態の改善には、まず肯定的な言葉による励ましと、彼女の行動や努力を認めることが重要です。そして、何よりも目標への具体的な手助けを提示し、一人ではないという安心感を与えることが効果的です。彼女は現在、孤独感と無力感に陥っています。その感情を取り除くことが、回復への第一歩となるでしょう》


アイの言葉が、俺の心に強く響いた。肯定的な言葉、具体的な手助け、そして一人ではないという安心感――。


その時、コンコン、と控えめなノックの音がした。個室の扉がゆっくりと開き、オーナーが顔を覗かせた。


「クゼルファ様、カガヤ様。お食事をお持ちしても構いませんでしょうか?」


オーナーの声は、張り詰めていた個室の空気を、ほんの少しだけ和らげた。


クゼルファはハッと顔を上げ、濡れた瞳を慌てて拭った。 俺はクゼルファに向き合い、できる限り穏やかな、しかし力強い笑顔を浮かべた。


「クゼルファ、一先ず、食事をしよう」

そして、オーナーに静かに頷き返した。

「ええ、お願いします。食事を始めてください」


オーナーは心得たように深々と頭を下げ、扉を閉めた。数分もしないうちに、部屋のドアが再び開き、美味しそうな香りを漂わせた料理が次々と運ばれてきた。彩り豊かな前菜、熱々のスープ、そしてメインディッシュの肉料理からは、食欲をそそる香りが立ち上る。


「さぁ、まずは食べよう。ゆっくりと、落ち着いて」


俺は努めて明るく、クゼルファにそう言った。彼女の目にはまだ涙の跡が残っていたが、料理の香りが、少しだけ彼女の表情を和らげたように見えた。まずは、目の前の温かい食事からだ。


運ばれてきたのは、猪の肉を赤ワインでじっくり煮込んだシチューだった。湯気と共に立ち上る芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。付け合わせには、バターでソテーされた茸と、こんがりと焼かれたパンが添えられていた。


俺たちはしばらく無言で食事を進めた。カチャリ、と銀食器が皿に当たる音だけが、静かな個室に響く。クゼルファは俯きがちに、小さな口でゆっくりとシチューを運んでいた。その姿は、まるで壊れ物を扱うかのように慎重で、見ていて胸が痛んだ。


しかし、温かい食事が胃に収まるにつれて、彼女の強張っていた肩から少しずつ力が抜けていくのが分かった。張り詰めていた緊張の糸が、ほんの少しだけ緩んだのかもしれない。

俺は自分のシチューを食べ終えると、パンで皿を綺麗に拭い、静かにワイングラスを傾けた。そして、彼女が顔を上げるのを焦らずに待った。


やがて、クゼルファも食事を終え、ナプキンで口元を拭うと、ぽつりと呟いた。


「……美味しい、ですね」


「ああ、ここの料理は絶品だ。特に煮込み料理がな」


俺は頷き、彼女の目を見た。まだ少し潤んでいるが、先程のような絶望の色は薄れていた。今なら、俺の言葉も届くかもしれない。


「クゼルファ」


俺は静かに呼びかけた。


「君が、エラルのために一人で行動したこと、それは決して間違いじゃない。大切な友人を救いたい一心で、危険な森にさえ一人で飛び込んでいった。その勇気と優しさは、誰にも非難できるものじゃない」


俺の言葉に、クゼルファは驚いたように目を見開いた。


「仲間を巻き込みたくないと思ったのも、君が一人の人間として、仲間一人ひとりを大切に思っている証拠だ。それは責任感の強さであって、決して独りよがりなんかじゃない」


「……でも、私は、何もできなくて……」


「そんなことはない」


俺は、彼女の言葉をきっぱりと遮った。


「君は『魔乃森』で、あの状況で生き延びた。それは、君自身の強さがあったからだ。俺が駆けつけたのは、ほんの少し手助けをしたに過ぎない。君が諦めずに戦い続けたからこそ、今、君はここにいるんだ」


俺は一度言葉を切り、彼女の反応を窺った。


彼女は黙って俺の言葉を聞いている。その鳶色の瞳が、真実を探るように俺を捉えていた。


「俺に助けられたことを、迷惑だとか、自分は役立ずだとか、そんな風に思うのはやめてくれ。俺の方こそ、君に助けられているんだからな」


「私が……カガヤ様を?」


「ああ。ヴェリディアに来てから、俺は君にどれだけ助けられたか分からない。この街の情報も、ギルドのことも、君がいなければ何も分からなかった。それに、戦闘だってそうだ。俺の結界が完璧に機能するのは、君がその隙を逃さず、確実に敵を仕留めてくれるからだ。君は、俺にとって最高のパートナーだ」


それは紛れもない本心だった。彼女の存在が、この街での俺の活動をどれだけ円滑にし、精神的な支えになってくれていたことか。


「だから、自分を無力だなんて言わないでくれ。君は、俺が認めた、強くて誇り高い冒険者だ」


そして、俺は彼女が最も気に病んでいるであろう核心に触れた。


「貴族の力を使うことに、罪悪感を覚える必要はない」


クゼルファの肩が、ぴくりと震えた。


「それは君が生まれ持った力で、君がこれまで生きてきた証の一部だ。それを否定することは、君自身を否定することになる。嫌いだと思っていた世界かもしれないが、それもまた、君を形作ったものなんだ」


「……」


「大事なのは、その力を何のために使うか、じゃないか? 君は、私利私欲のために使おうとしているわけじゃない。たった一人の、かけがえのない友人の命を救うために、その力を使おうとしている。その思いが、どうして浅ましいことになる? 俺には、それがとても気高いことのように思えるがな」


俺は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて言った。そこには、何の偽りもなかった。家柄や身分、そんなものは関係ない。友を想う心に、貴賤などあるはずがない。 クゼルファの瞳から、堪えていた涙が、一筋、また一筋と頬を伝って流れ落ちた。しかし、それは先程までの悲しみや自己嫌悪の涙ではなかった。固く閉ざされていた心の扉が、ゆっくりと開かれていくような、温かい涙に見えた。


「だから、もう一人で抱え込むな」


俺は、そっと彼女の手に自分の手を重ねた。彼女の手は、少し冷たかった。


「聖樹の雫は手に入ったが、まだ終わりじゃないんだろ?エラルが元気を取り戻すまで、俺も一緒に見守らせてくれ。君は一人じゃない」


「カガヤ様……」


「君のパーティーの仲間にも、君の気持ちを正直に話すべきだ。彼らは、君が思っている以上に、君のことを信頼しているはずだ。君が一人で背負い込もうとしていることを知ったら、きっと悲しむぞ。彼らは、君の『仲間』なんだから」


「……仲間……」


「そうだ。もし君がゼラフィム家の力を頼ることを決めたなら、俺は全力で君を支える。俺にできることなら、何だってする。君の友人は、俺の友人でもあるんだからな」


重ねた手に、少しだけ力を込める。温もりが伝わるように、安心感が伝わるように。 クゼルファは、しばらく黙って俯いていた。やがて、しゃくりあげるような嗚咽が漏れ、彼女は重ねられた俺の手を、もう片方の手でぎゅっと握りしめた。


「……う……っ、……ありがとう、ございます……っ」


途切れ途切れの、しかし、心の底からの感謝の言葉だった。 俺は何も言わず、彼女が落ち着くまで、ただ静かにその手を握り続けた。


どれくらいの時間が経っただろうか。ようやく涙が収まったクゼルファは、濡れた顔を上げると、恥ずかしそうに目を伏せた。


「……お見苦しいところを、お見せしました」


「いや。君の本当の気持ちが聞けて、俺は嬉しかった」


俺がそう言うと、彼女は少しだけはにかんだように笑った。それは、俺が初めて見る、彼女の素顔の笑顔だった。


「ありがとうございます、カガヤ様。……私、少し、分かったような気がします」


彼女はそう言うと、自分の手を握りしめ、そして俺の目をまっすぐに見つめ返した。その瞳には、もう迷いはなかった。


「私が嫌っていたのは、貴族という立場そのものではなくて、その立場に甘えて、誇りも信念もなく生きることだったのかもしれません。……自分の力を、誰かのために使う。それが冒険者としての私であり、貴族家の娘としての私でもある。どちらか一つを選ぶのではなく、その両方を受け入れて、前に進むべきなんですね」


「ああ、その通りだ」


「私、もう少しだけ、自分の力を信じてみます。そして、仲間たちのことも。カガヤ様が言ってくれたように、彼らは、私にとってかけがえのない仲間ですから」


彼女の声には、かつての力強さが戻っていた。いや、以前よりもっとしなやかで、折れることのない強さを秘めているように感じられた。


「明日、パーティーの皆に、全てを話します。そして、これまでの感謝と、これからの私の進む道を、きちんと伝えようと思います」


「それがいい」

俺は心から頷いた。


「もちろん、俺も協力する。いつでも声をかけてくれ」


「はい!」


クゼルファは、力強く返事をした。その顔は、涙の跡が嘘のように晴れやかだった。 俺たちは、残っていたワインを飲み干し、今後の具体的な計画について話し始めた。


一人で抱え込んでいた重荷を下ろし、仲間という光を見出した彼女は、もう以前の彼女ではなかった。 夜の帳が下りたヴェリディアの街で、二つの影は、確かな希望に向かって、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

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