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第37話:公爵令嬢の矜持

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「これは……本当に美味い!」


俺が『星降る森の魚のグリル』に舌鼓を打っていた、まさにその時だった。店の入り口から、甲高く、そして耳障りな声が響いてきた。せっかくの楽しい雰囲気が、まるで汚泥を投げ込まれたかのように、一瞬にして壊される。


「おやおや?これはこれは、かの高名なゼラフィム公爵家のご令嬢様ではありませんか。こんな、我々のような下賤の者が使う店でお食事とは。随分と、お立場も変わられたものですなぁ?」


声の主は、いかにも傲慢そうな、派手な装飾の服をまとった小柄な男だった。そいつは、同じように品のない笑みを浮かべた取り巻きを数人従え、にやにやと、嫌味ったらしい笑みを浮かべながら、俺たちのテーブルへと近づいてきた。


クゼルファは、その声に一瞬だけ表情を硬くしたものの、すぐにいつもの柔らかな笑みを浮かべ、冷静に対応した。


「これは、クズマン様。いかがなさいましたか?私たちはただ、食事を楽しんでいるだけですわ」


その声は穏やかだが、その奥に、確かな警戒の色が滲んでいた。


だが、クズマンと呼ばれたその男は、クゼルファの冷静な態度が気に食わなかったのか、嘲笑を浮かべ、さらに踏み込んできた。


「ハッ!食事ですって?こんな、どこの馬の骨とも知れぬ粗末な男と!公爵令嬢ともあろうお方が、聞いて呆れますな。それとも、あの魔力枯渇病の姫君の治療費にでもお困りで?このような場所で、素性の知れぬ男と金の匂いを嗅ぎ回っていらっしゃるのですか?ああ、可哀そうに、ゼラフィム家も落ちぶれたものですなぁ!」


〈なんだ、こいつ……!〉


自分の事を侮辱されるのはともかく、クゼルファと、そして会ったこともないエラルまでが侮辱されたことで、俺は、腹の底から、熱い怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。


〈クゼルファが、どれだけの想いで、どれだけの苦労をして、あの『聖樹の雫』を手に入れたと思っているんだ……!〉


俺は、ぐっと拳を握りしめ、思わず椅子を蹴って立ち上がろうとした。その衝動を察知したかのように、俺の脳内には、アイの冷静な声が流れ込んできた。


《マスター。感情的になるのは推奨しません。ここは公共の場です。暴力行為は、マスターとクゼルファの立場を著しく悪化させる可能性があります》


だが、その冷静な声も、俺の怒りの熱には届きそうになかった。科学者としての理性も、商人としての計算高さも、今は燃え盛る怒りの前では無力だった。



その瞬間だった。

俺が、まさに動こうとした、その時。クゼルファが、静かに、しかし、有無を言わさぬ声でクズマンの言葉を遮った。


「分を、わきまえなさい」


その声に、店内の空気が一瞬にして凍り付く。ざわめいていた他の客たちの会話が止み、全ての視線が俺たちのテーブルに集中する。クズマンの嫌味な笑みも、ぴたりと顔に張り付いたまま固まった。


クゼルファは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。その所作は、優雅で、しかし、少しの隙もない。彼女の表情は、いつもの優しい笑顔とは全く違う。そこにあったのは、絶対的な自信と、揺るぎない覚悟に裏打ちされた、上級貴族としての凛とした威厳だった。その視線は、まるで道端の汚れた塵を見るかのように、冷たく、そして鋭く、クズマンを真正面から見据えていた。


「貴方が、私個人に何を言おうと構いません。ですが、私の大切な客人、そして、病に伏せるエラルのことまでその汚れた口で語るのは、看過できません」


クゼルファの声は、低く、しかし驚くほどはっきりと店内に響き渡った。その一言一言に、彼女が背負ってきたであろう血筋の重みが伴う。そして、守るべき存在への揺るぎない愛情が、その言葉に絶対的な力を与え、クズマンを圧倒していた。


「今すぐ、この場から立ち去りなさい。そして、二度と、私の目の前にその醜い姿を現さないでください」


クズマンは、顔を真っ青にして、ごくりと唾を飲み込んだ。口をパクパクさせて何かを言い返そうとするが、言葉が出てこない。完全に、彼女の気迫に呑まれている。

その時、お付きの一人が、周りの客の視線に気づいたのだろう。小声でクズマンの耳元に囁いた。


「わ、若様、周りの客が見ています。これ以上は……」


「う、うるさい!」


クズマンは一度は苛立たしげにそう吐き捨てたが、クゼルファの静かな威圧と、店内の客全員から注がれる好奇と侮蔑の入り混じった視線に、ついに気圧されたのだろう。顔をひきつらせ、最後はなんとか振り絞るような声で、捨て台詞を吐いた。



「お、覚えていろ!この屈辱……いつか必ず、返してやるからな!」

そう言って、彼は連れたちを促し、顔を背けるようにして、そそくさと店を出ていった。その足取りは、まるで追い立てられるネズミのようだった。


〈……まさに、小物のテンプレートのような台詞だったな〉


俺は、アイに脳内で呆れたように語りかけた。

嫌味な男たちが去った後、店の奥からオーナーが血相を変えて慌ててやってきた。


「クゼルファ様!この度は、私の店で、大変申し訳ございませんでした!誠に、面目次第もございません!」


オーナーは、深々と頭を下げ、冷や汗をだらだらと流している。

クゼルファは、まるで先ほどの出来事が嘘だったかのように、いつもの柔らかな表情に戻っていた。


「いいえ、貴方のせいではありませんわ。お気になさらないでください」


「申し訳ございません!以後、二度とこのようなことがないよう、クズマン様の出入りは厳禁といたします!」


オーナーは震える声でそう言うと、さらに深々と頭を下げた。


「せめてものお詫びとしまして、本日は特別にデザートをサービスさせていただけますでしょうか!当店のパティシエが腕によりをかけた、最高級のデザートを、すぐに用意させますので!」


オーナーはそう言って、クゼルファが断る間もなく、すぐさま厨房に指示を出しに行った。


場の空気も落ち着き、俺とクゼルファは、運ばれてきた最高級のデザートを楽しみながら食事を再開した。色とりどりのフルーツと、見たこともないふわふわのクリームが美しく盛り付けられたデザートは、先ほどの不愉快な出来事を忘れさせてくれるかのような、繊細で優しい甘さだった。


クゼルファは、先ほどの威厳に満ちた表情から、すっかりいつもの柔らかな笑顔に戻っている。そのギャップに、俺は改めて彼女の奥深さに気づかされた。魔乃森で見せた戦士としての強さ、エラルの治療を願う献身的な優しさ、そして、今見せた、誇り高き貴族としての矜持。彼女は、本当に様々な顔を持っている。


「まさか、クゼルファがあんな顔をするとはな。すごい迫力だったよ」


俺が素直な感想を述べると、クゼルファは少し照れながら頬を染めた。


「あ、あれは、私も少し頭に血が上ってしまって……。お見苦しいところを。……忘れてください……」


「いやいや、格好良かったぞ。それにしても、あいつ……クズマンとか言ったか?本当に、心底びびってたな」


クゼルファは、照れながら「もう、カガヤ様ったら……」と、いたずらっぽく笑った。


《マスター。クゼルファの貴族としての側面と、個人の感情のバランスが興味深いですね。彼女は、状況に応じて自身の社会的役割と、内なる感情を巧みに使い分けているようです。それにしても、彼女は公爵令嬢だったのですね》

アイの冷静な分析に、俺は静かに頷いた。

〈ああ、確かに、クズマンはクゼルファのことを『公爵家のご令嬢様』と言っていたな。公爵、ということは……〉

《地球の歴史における爵位制度で言えば、王族に連なる最上級の貴族階級に相当します。この国の政治体制にもよりますが、極めて高い地位であることは間違いありません》


アイの言葉に、俺は改めて驚きを隠せないでいた。


「カガヤ様。どうかなさいましたか?」


俺が黙り込んだのを、不思議に思ったのだろう。クゼルファが小首を傾げる。


「い、いや……な、何でもないよ……。それにしても、このデザートも絶品だな」


「はい。とても美味しいですね」


一波乱あった夕食ではあったが、俺とクゼルファは、心から楽しく食事を終えたのだった。


質にも量にも大満足だった俺たちは、高級料理店を出て、夜の街を歩く。時折吹き抜ける夜風が、火照った頬に心地よい。夜のヴェリディアは、家々の窓から漏れる温かい光と、街灯の柔らかな灯りがきらきらと輝き、昼間とはまた違う、幻想的な表情を見せていた。


「こういうのも、悪くないな」


俺は、隣を歩くクゼルファの横顔を見て、自然と笑みがこぼれた。


《マスター。あの街灯は、何のエネルギーを使用しているのでしょうか?送電網が一切見つかりません。魔素を直接光エネルギーに変換しているとすれば、極めて効率的なシステムです》


雰囲気もへったくれもない、相変わらずぶれないアイであった。


この惑星に、この街に、完全に馴染めたなどとは、まだ到底思えない。だが、彼女とこうして歩いていると、不思議と心が穏やかになる自分に気が付いた。この心地よい一時が、いつまでも続けばいい。柄にもなく、そう思った。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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