第36話:ヴァリディアの散策にて
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朝食を終えた俺たちは、クゼルファの提案通り、ヴェリディアの街を散策することになった。
「では、まずはカガヤ様のお召し物から見に行きましょうか」
宿を出た俺は、クゼルファに案内されて活気あふれる大通りを歩いていた。ヴェリディアの朝は、希望に満ちたエネルギーで満ち溢れている。行き交う人々の顔も様々だ。荷を運ぶ商人、巡回中の兵士、手を繋ぐ家族連れ、そして……やはり、いる。獣人だ。昨日、宿屋『古木の憩い』で初めて猫耳少女のルルンを見たときには度肝を抜かれたが、こうして街を歩いていると、犬や兎の耳を持つ者、尻尾を生やした者たちが、ごく自然に人間と共存しているのが見て取れる。しばらく見ているうちに、その光景を当たり前のものとして受け入れている自分がいる。不思議なものだ。
最初に訪れたのは、街の中でもひときわ大きな衣料品店だった。冒険者ギルドからほど近い場所にあるその店舗は、重厚な石造りで、掲げられている木製の看板には、簡素なシャツとズボンの図柄が描かれていた。
《マスター。少なくともこの国の識字率は、それほど高くはないことが見て取れますね。絵や図像による情報伝達が一般的であると推測されます》
アイに言われずとも、それには何となく気づいていた。店の看板もさることながら、宿屋で出される料理にも、文字で書かれたメニューのようなものはなかったからな。
店の中へ足を踏み入れると、染料と、質感の粗い布の独特な匂いが鼻をかすめた。壁際の棚には、色とりどりの布地が山のように積まれ、店内には、様々なデザインの服が所狭しと並べられている。
「カガヤ様、まずは普段使いできるものを選びましょう。冒険者として活動されるなら、丈夫な服が良いですね。あと、季節に合わせたものも必要です」
クゼルファは、まるで自分の服を選ぶかのように、楽しそうに店内を見て回りながら、あれこれと服を選んでくれる。俺はというと、服選びなど、いつも適当だった。というか、ほとんどの時間を宇宙艦の船内か、気密服の中で過ごすのだ。ファッションに頓着したことなど一度もない。こういったショッピングは全く経験がない俺は、クゼルファの真剣な眼差しに、少しだけ気恥ずかしさを感じた。
《マスター。クゼルファは、服を真剣に選定しています。これは、異性間の一般的な交流における、親密度の向上を目的とした行動、いわゆる『デート』に酷似した状況です》
〈アイ、そういうのはいちいち分析しなくていいから〉
クゼルファは、俺が手に取った服を「こちらの生地の方が丈夫です」「その色合いは、カガヤ様の瞳の色に合っていますね」などと批評し、最終的には数点の候補を選んでくれた。動きやすそうなシンプルな革の上着とズボン、そして肌触りの良い薄手のシャツなど、どれも実用性を兼ね備えながらも、地球連邦の規格品とは異なる、手作り感のある独特の美しさがあった。
「よし、これにするよ」
クゼルファの選んだ候補はどれも甲乙つけがたく、正直どれを選んでも良さそうだったので、俺は一番最初に彼女が勧めてくれたものを選んだ。会計を済ませる際、俺は昨日手に入れたばかりのギルドカードを差し出す。
チリン♪
軽快な電子音が、古風な店内に響き渡る。何度体験しても、このアンバランスな感覚には慣れそうにない。
《マスター。この惑星の経済システムが成り立つには、高度な情報ネットワークによって支えられている必要があります。ですが、地上にも地下にも、それらしい物理的なネットワーク網は見つかっていません。大変興味深いです》
〈ああ、確かにな。まさか、魔法で無線通信でもしてるって訳でもないだろうな〉
《その可能性も、現時点では否定できません。魔法という未知のエネルギー体系が、我々の理解を超える形で、情報伝達のインフラとして機能している……。もしそうなら、この惑星の文明レベルを、根本から見直す必要があります》
本当に、この惑星におけるギルドカードの存在だけは、特異点としか言いようがない。
次に、俺たちは武具店へと向かった。店内には、鈍い光を放つ剣や槍、頑丈そうな盾、そして様々なデザインの防具が整然と並び、金属と革、そして油の匂いが充満していた。職人らしき男が、奥の工房で火花を散らしながら槌を振るっている。
「クゼルファ……」
店の奥から、低く、そして穏やかな声が、クゼルファの名を呼んだ。振り返ると、そこには数人の冒険者らしき者たちがいた。その中心に立つ一人に、俺は思わず目を見張る。人物?いや、あれは人物というより、熊だ。身の丈2メートルはあろうかという大柄で威圧的な体躯。全身を覆う重厚な革鎧と、背中に背負った巨大な盾が、その存在感をさらに際立たせている。
「あら、グスタフ。それに、みんなも。お久しぶりです」
クゼルファは、嬉しそうに彼らに駆け寄っていく。その表情は、魔乃森での緊迫した状況とは全く違う、屈託のない笑顔だった。グスタフと呼ばれた大男は、熊の獣人、熊人らしい。いるのか……熊人。
「いや、ちょうど武器の手入れに来てたんだ。お前こそ、無事だったんだな」
ローブをまとい、腰には使い込まれた木の杖を吊り下げている、魔法使い風の細身の男がそう言った。物静かな印象だが、その目には確かな知性が宿っている。
「クゼルファこそ、こんなところで何してるの?しかも、その……男の人と……」
明るい金色の髪をポニーテールにまとめた、活発な印象の少女が、ちらりと俺に視線を向けながら、意味ありげに言った。背中には、美しい装飾の施された弓が見える。
「シファ。こちらはカガヤ様。私の命の恩人です。今日は、街の案内を兼ねて、お買い物を」
「へぇー、命の恩人、ねぇ。それにしても、クゼルファ、なんだかすごく楽しそうじゃない」
「え?そ、そうですか?いつもと変わりませんよ」
頬を赤らめながらも、必死で取り繕うクゼルファ。
「……いや、このところ、クゼルファのあんな笑顔は見たことないぞ……」とグスタフ。
「……良い雰囲気」と魔法使いの男。
そんな会話が、彼らの間でこそこそと交わされているのが聞こえてくる。俺とクゼルファは、顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
どうやら彼らは、クゼルファのかつてのパーティーメンバーらしい。エラルの病状が悪化したのを機に、クゼルファの方からパーティーを抜けたのだという。その時から、単身で『聖樹の雫』を探しに行くつもりだったのだろう。それでも、彼らとは今なお、良好な関係が続いているようだ。これも、クゼルファの人徳のなせる業なのかもしれない。
彼らとの短い再会を終え、俺とクゼルファは再び街の散策を続けた。
二人で様々な店を覗いたり、広場で繰り広げられる大道芸に見入ったり、時には屋台で、何の肉かは定かではないが、香ばしい匂いのする串焼きを頬張ったりもした。クゼルファは、あらゆるものが初体験である俺の反応を、心から楽しんでいるようで、その度に、花が咲くような柔らかい笑顔を見せる。魔乃森では、死をも恐れぬ勇敢な戦士に見えた彼女が、こんなにも無邪気な表情をするのかと、俺は内心で穏やかな笑みを浮かべた。
この街で過ごす時間は、とても充実していた。時間を共に過ごすうちに、お互いの気心も、随分と知れてきたような気がする。
西の空が、燃えるような茜色に染まり始めた頃、俺たちは夕食を共に摂ることにした。クゼルファが推薦してくれた店は、大通りから少し入った、落ち着いた雰囲気の一角にあった。いわゆる、高級料理店というやつだろう。
クゼルファの説明によれば、ここ『月下の囁き』は、一般市民も利用できないわけではないが、主に下級貴族や豪商など、裕福な者たちが商談や会食に使う場所らしい。店内は、上品な調度品で飾られ、静かな音楽が流れ、落ち着いた雰囲気が漂っている。
「カガヤ様、ここの『星降る森の魚のグリル』は絶品ですよ。ぜひ、試してみてください」
クゼルファが、嬉しそうにメニューを指差す。俺も期待に胸を膨らませて、その料理を注文した。やがて運ばれてきた料理は、見た目も芸術品のように美しく、その香りだけで食欲が最大限に刺激される。
《マスター。この魚は、地球のいかなる生物とも遺伝子情報が一致しません。完全に未知の生命体です。しかし、その身に含まれるアミノ酸組成は、極めて良質です。興味深いですね》
アイの解説に、もはやいちいち驚かなくなった俺は、早速、魚のグリルを口に運んだ。予想を遥かに超える美味だった。ふっくらと焼き上げられた白身は、口の中でとろけるようで、香草と柑橘系のソースが、その上品な味わいを絶妙に引き立てている。
「これは……本当に美味いな!」
二人で、その日の出来事を語り合いながら、楽しく食事をしていた、その時だった。
店の入り口の方から、甲高く、そして不愉快な声が響いてきた。
「おやおや?これはこれは、かの高名なゼラフィム公爵家のご令嬢様ではありませんか。こんな、我々のような下賤の者が使う店でお食事とは。随分と、お立場も変わられたものですなぁ?」
声の主は、いかにも傲慢そうな、派手な装飾の服をまとった若い男だった。その男は、同じように品のない笑みを浮かべた取り巻きを数人従え、にやにやと、嫌味ったらしい笑みを浮かべながら、俺たちのテーブルへと近づいてきた。
「なんだ、こいつは?」
折角の楽しい雰囲気をぶち壊された俺は、地味に苛立ちを感じていた。
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