第31話:冒険者ギルド
本日より、第2章始まります!
新たな物語の一歩を、ぜひご一緒いただければ幸いです。
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「これが、ヴェリディア……」
俺は圧倒的な情報の奔流に飲み込まれた。管理され、最適化された宇宙都市の無機質な空気とは全く違う。不揃いで、無秩序で、それでいて、どうしようもなく魅力的な『生命』の匂いが、そこには満ち溢れていた。
石畳で舗装された道を、多種多様な人々が行き交っている。屈強な鎧を身につけた戦士風の男たちが酒場の前で豪快に笑い、質素だが清潔な衣服をまとった親子連れが露店をのぞき込み、荷馬車を引く商人の威勢の良い声が響き渡る。建物のほとんどは石や木で造られており、その様式は、俺が歴史資料でしか見たことのない、中世ヨーロッパのそれに酷似していた。
だが、ここはただの過去の再現ではない。店の軒先では淡い光を放つ魔石らしきものがランプとして使われ、大道芸人が火も使わずに掌から小さな炎を生み出しては子供たちの喝采を浴びている。耳に届くのは、人々のざわめき、荷馬車が石畳を叩く音、どこか遠くから聞こえる鍛冶師の槌音。鼻腔をくすぐるのは、焼きたてのパンの甘い香りに、香辛料のエキゾチックな匂い。その全てが渾然一体となって、俺という存在を圧倒する。そこかしこに「魔法」という名のテクノロジーが溶け込んだ、全く新しい文化の姿がそこにはあった。
「すごい……まるで、別の世界に来たみたいだ」
《マスター。別の惑星です》
〈分かってるよ。つい口をついて出ただけだ〉
脳内に響くアイの容赦ないツッコミに、俺は心の中で愚痴をこぼす。このAIは、俺の詩的な感動に水を差す天才かもしれない。
街の活気に目を奪われている俺に、クゼルファが声をかけた。その表情には、故郷に戻ってきた安堵と、俺を気遣う色が浮かんでいる。
「カガヤ様。ようこそヴェリディアへ。」
屈託のない笑顔でクゼルファがそう言った。
「このままエラルの元へ向かいたいところですが、その前に、まずは冒険者ギルドで登録を済ませるのが良いと思います」
「冒険者ギルド?それは?」
「はい。カガヤ様は現在、ご自身の身分を証明する物をお持ちではありません。このヴェリディアだけでなく、どこの街や村でも、身分証がなければ何かと不都合が生じます。冒険者ギルドに登録すると、冒険者証が発行されます。これは、この大陸のほとんどの国で、正式な身分証として扱われますので」
なるほど、合理的だ。確かに、いつまでも身元不明のままでは、いらぬ疑いをかけられかねない。商人としても、身分が保証されているに越したことはない。
「分かった。じゃあ、その冒険者ギルドに行って登録しようか」
「はい。承知しました。私が冒険者ギルドまでご案内します」
クゼルファは力強く頷いたが、俺は彼女の心中を察していた。
「ありがとう。でも、クゼルファは良いのか?聖樹の雫を早く届けたいんじゃないのか?」
俺の言葉に、彼女は一瞬、逡巡する様を見せた。その瞳が、わずかに揺れる。友人を想う気持ちと、俺への義理。その間で葛藤しているのが、痛いほど伝わってきた。
「……大丈夫です。恩人であるカガヤ様を、このままにできるほど私は薄情ではありませんから」
そう言って、クゼルファはややぎこちない笑顔を見せた。精一杯の強がりなのだろう。だが、現状、俺がこの街で一人になれば、それこそ迷子になって騒ぎを起こしかねない。ここは彼女の厚意に甘えるのが最善策だろう。
「すまない、助かる」
俺がそう言うと、彼女は「いえ」と小さく首を振り、先導するように歩き出した。
クゼルファに促され、俺たちは冒険者ギルドへと向かうこととなった。ギルドは街のほぼ中心部に位置しているらしく、人通りがひときわ多い大通りに面していた。周囲の建物よりも一際大きく、堂々とした石造りのその建物からは、荒々しくも力強い、独特の熱気が溢れ出している。
入り口の重厚な木の扉を開けると、酒と汗、そして微かな血の匂いが混じり合った、むせ返るような空気が俺たちを迎えた。内部は広く、高い天井には巨大な魔獣の頭蓋骨などが飾られている。壁一面に貼り出された羊皮紙の依頼書を、屈強な冒険者たちが真剣な眼差しで眺めていた。酒場が併設されているのか、カウンターではジョッキを片手に談笑する者たちの声が響いている。まさに、俺が想像していた「冒険者ギルド」そのものの光景だった。
クゼルファは、そんな喧騒にも慣れた様子で、奥にある受付カウンターへと真っ直ぐに向かっていく。俺もその後に続いた。
「あら!誰かと思ったらクゼルファじゃない。もう戻ってきたってことは……」
クゼルファがカウンターに向かって歩いていると、受付にいた快活そうな女性が彼女に気づき、声をかけてきた。赤みがかった茶色い髪をポニーテールにした、快活な印象の女性だ。
彼女はクゼルファの姿を認めると、カウンターから身を乗り出し、心配そうな表情でクゼルファの耳に顔を近づけて何やら小声で話し始めた。
《魔乃森には行かなかったのか、と聞いていますね》
〈アイ。盗み聞きは良くないぞ〉
《マスター。その表現は誤りです。聞こえただけです。そもそもマスターの感覚器が私の受信機です。マスターにも聞こえているはずです》
神経同期学習システムのおかげで、俺にも彼女たちの会話は明瞭に聞こえている。だが、そこはそれだ。
〈こういう場合は、あえて聞かない振りをするもんなんだよ。処世術ってやつだ〉
《申し訳ありません、マスター。私には人間の機微が分かりかねます》
〈まぁ、そうだろうけどな……〉
アイとそんな不毛なやり取りをしていると、クゼルファが何かを囁き返したのだろう。キアラと呼ばれた受付嬢が、信じられないといった表情で目を見開き、そして、ゆっくりと俺の方に視線を向けた。その目には、驚愕と、疑念と、そしてわずかな希望が入り混じっている。どうやらクゼルファが、魔乃森での出来事をかいつまんで伝えたようだ。
「カガヤ様」
クゼルファに呼ばれ、俺はカウンターへと歩み寄った。
「カガヤ様。こちら、冒険者ギルドの華の受付嬢、キアラです」
「どうも。初めまして、カガヤです」
俺は軽く会釈する。キアラはまだ少し呆然とした様子だったが、すぐにプロの顔つきに戻り、優雅にお辞儀をした。
「こちらこそ、初めまして。ヴェリディア冒険者ギルド受付統括のキアラと申します。以後よろしくお願いいたします。クゼルファが、その……大変お世話になったそうで……誠にありがとうございます。それに、エラルのことも……」
そう言ったキアラの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。感無量といったその表情から、彼女もクゼルファやエラルと親しい間柄なのだろう。
「キアラ。泣くのはまだ早いわよ」
クゼルファが、困ったように、しかし優しくキアラに声を掛ける。
「だっ……て……。ごめんなさいね。まさか本当に……」
キアラはそう言いかけて、はっと周囲を気にするように口をつぐんだ。『聖樹の雫』の件は、まだ公にすべきではない。その程度の判断は、俺にもできた。
「このことはまだ、内密にね」
クゼルファが念を押すと、キアラは涙をさっと拭い、完璧な笑顔を俺たちに向けた。まさに、プロの営業スマイルだ。
「それで?当ギルドへのご用件は?」
この変わり身の速さ。やはりプロだな、と俺は内心で感心した。
「カガヤ様の冒険者登録をお願いしたいの」とクゼルファが言う。
「カガヤ……様?……ええ、はい!承知いたしました。では、こちらの用紙にご記入をお願いします」
キアラは一瞬、俺への敬称に戸惑ったようだが、すぐに気を取り直し、手際よく書類とペンを準備した。
「何を書けば良いのかな?」
神経同期学習システムで言語は理解できるようになったが、それはあくまで「会話」が中心だ。この世界の独特な筆記体を、俺はまだ読むことも書くこともできない。
《マスター。用紙に書かれた文字をスキャンし、解析します。項目を読み上げてもらってください》
〈分かった〉
「すまないが、この国の文字がまだ読めないんだ。何を書くのか教えてくれないか?」
俺がそう言うと、キアラは心得たとばかりに頷いた。
「分かりました。では、私が代筆いたしますね。まずはお名前……はカガヤ様でよろしいですか?」
「あ、ああ。カガヤで頼む」
俺は敢えて、カガヤ・コウというフルネームは名乗らなかった。
「次に出身地ですが……、ご出身はどちらです?」
出身地。これは困った。地球連邦だの、第7セクターだの言っても、理解されるはずがない。俺が言葉に詰まっていると、隣からクゼルファが助け舟を出してくれた。
「この方は、はるか遠い場所から来られた旅の方なんです。出身地は……ええと……」
彼女は少しの間、真剣に考え込み、そして、ポンと手を打った。
「……東の果ての国……そう!アマティアということで」
「ということで?……って、アマティア……ですか?あんな辺境の、ほとんど伝説上の国から?確かに、その黒髪に黒い瞳は……アマティア人の特徴だと、古文書で読んだことがありますが……」
キアラは明らかに動揺している。どうやら、アマティアというのは実在するのかしないのか、非常に曖昧な国のようだ。クゼルファのとっさの嘘にしては、出来すぎている。
そんなキアラの様子を見て、クゼルファはぐっと彼女に顔を寄せ、有無を言わさぬ力強い目配せを送った。それを見たキアラは、全てを察したように「……分かりました」とだけ言って、ペンを走らせた。納得はしていないだろうが、今は深く追及すべき時ではないと判断したのだろう。
「では、得意なスキルは?」
これもまた、難問だ。斥力フィールドや斥力スピア、ナノマシンによる治癒。これらをどう説明すればいい?俺が再び口ごもっていると、またしてもクゼルファが淀みなく答えた。
「カガヤ様は、魔法が使えます。結界に、風の魔法……それから、治癒魔法も、お使いになります」
「えぇっ?!」
思わずといった様子で大きな声を出したキアラは、はっと口元を押さえ、信じられないという顔で俺とクゼルファを交互に見た。そして、声を潜めてクゼルファに尋ねる。
「……それって、本当なの?三系統も?」
「ええ、本当よ。詳しくは、また後で話すわ」
クゼルファも小声で返し、キアラを納得させた。三系統の魔法が使えるというのは、この世界では相当珍しいことらしい。
「……分かりました。では、最後に何か身分を証明できるものをお願いします」
またしても難題だ。そもそも、身分証を作るためにここに来ているのだから、あるはずがない。俺が困惑していると、クゼルファが胸を張って一歩前に出た。
「大丈夫。カガヤ様の身分は、私、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィムの名において保証します」
その名が告げられた瞬間、キアラの態度が明らかに変わった。驚き、そして畏敬の念がその目に宿る。周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいたような気さえした。
「クゼルファ……あなた、その名を……。分かりました。ゼラフィム家のお名前において保証されるのであれば、何の問題もありません」
《マスター。クゼルファ・ンゾ・ゼラフィム。やはり、これは単なる名前ではありません。ンゾ、というミドルネームのような響き、そしてゼラフィムという姓。この街の衛兵や、キアラの反応から分析するに、極めて高貴な身分、おそらくは貴族階級、それもかなり上位の家名であると推測されます》
〈高貴?クゼルファが?……冒険者だぞ?〉
《高貴な身分の者が、冒険者にはならないとは限りません。それこそが文化の相違です。彼女の気品ある身のこなしや、洗練された剣技、そして、常に崩れることのない丁寧な言葉遣い。伏線は多数存在しました》
確かに、そう言われれば思い当たる節はいくつもある。そうか……彼女は、ただの腕利きの戦士ではなかったのか。
《マスター。まだ確定したわけではありませんが、その可能性は92.4%です》
〈いずれにしても、今はクゼルファに頼るしかない。その辺りは、いずれ彼女自身が語ってくれるだろう〉
俺がアイと問答している間に、手続きは終わっていたようだ。
「カガヤ様。登録に必要な情報は以上です。今から冒険者証を発行しますので、少々お待ちください」
キアラはそう言うと、カウンターの奥へと消えていった。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、一枚の金属製のプレートが握られていた。
「おめでとうございます。これで、カガヤ様も今日から冒険者です!詳細な説明は……」
キアラはそう言いながら、ちらりとクゼルファに視線を送る。クゼルファが、こくりと一つ頷くと、キアラはにっこりと微笑んだ。
「……必要は、ありませんね。では、本日は以上です。ご活躍を期待しております」
「キアラ、ありがとう。……カガヤ様、行きましょう」
そう言うと、クゼルファは、どこか吹っ切れたような、嬉しそうな笑顔で、俺の手をぐいと引いた。その小さな手の力強さに、俺は少し驚きながらも、彼女に引かれるまま、活気に満ちた冒険者ギルドを後にしたのだった。
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