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第3話:孤独と希望(後編)

アルカディア号の残骸は、巨大な森の奥深く、まるで太古の巨獣の骨のように横たわっていた。金属製の巨体が、この見慣れない星の巨大な植物に絡みつく姿は、宇宙の広大さと、俺の無力さを象徴しているかのようだった。陽光は巨大な黒い葉に遮られ、コックピット区画の窓から差し込む光は、まるで深海の底にいるかのように蒼く澱んでいる。奇跡的に無傷で残ったコックピット区画は、俺にとって唯一の安全なシェルターであり、外界との接点だった。内部はまだ辛うじて生命維持システムが稼働しており、最低限の環境が保たれていた。


一度はサバイバルを決意したものの、船の壊滅的な状況と、あまりに異質な自然を前に、俺の知識も経験も無力だと悟った。やるべきことは山積みのはずが、その圧倒的な現実が、俺から再び生きる気力を奪っていった。そして、そんな俺にとどめを刺すかのように、アイが数時間かけて行った解析結果が、無慈悲に告げられた。


「マスター。現在位置の特定は、依然として困難です。ですが、これまでの観測データ……特に、宇宙マイクロ波背景放射の微細な温度ゆらぎと、近隣の恒星のスペクトル分類を分析した結果、極めて高い確率で、我々は既知の星図の範囲外……天の川銀河の外にいると結論付けられます」


アイの報告は、冷徹な事実だった。彼女の淡々とした声が、まるで現実を突きつけるように俺の脳内に直接響き渡る。


「仮に、最も近傍にあるアンドロメダ銀河だとしても、太陽系までの直線距離は約250万光年。アルカディア号のワープ航行能力が万全であったとしても、片道の所要時間は数千年単位のオーダーになります。また、現状の損壊レベルから、大気圏離脱能力を回復させるために必要な資源と時間は、算出不可能です」


数千年。その言葉が、まるで超質量のブラックホールのように、俺の未来を飲み込んでいった。それは、俺自身はもちろん、故郷の地球連邦にいる家族や友人も、とっくに土に還っている時間だ。故郷の惑星を覆う青い空も、懐かしい街並みも、愛する人々の笑顔も、もう二度と見ることはできない。事実上、地球連邦に帰る術はなかった。銀河を広く渡り歩くことが可能になった俺たちの科学技術をもってしても、乗り越えられない物理法則の壁、そして時間の壁が、俺の目の前に、無限の深淵として立ちはだかっていた。


「マジか……」


俺は、絞り出すような声で無意識に呟いた。宇宙商人を始めて以来、どんな困難も乗り越えてきた自負があった。話の通らない頑固な取引相手との交渉、独立に際した妨害工作や、予測不能な宇宙嵐からの脱出……。様々な修羅場をくぐり抜けてきた。だが、これは次元が違う。乗り越えられない壁。解決策の見えない問題。絶望は、俺を深く、そして根源的な自暴自棄へと陥らせた。


数日間、俺はただアルカディア号の残骸の中でぼんやりと過ごした。非常用食料パックは、まるで味がしなかった。機体の結露水生成装置が稼働していたため、水だけは豊富にあった。生きることはできる。肉体は生存を許されている。だが、精神が、生きる意味を見出せずにいた。虚無感が全身を蝕み、このまま朽ちていくのも悪くないとさえ思い始めていた。窓の外は、常に神秘的で、時に不気味な蒼い光が満ちていた。生命の息吹は感じるが、その異質な美しさは、俺の孤独を一層際立たせるだけだった。


「マスター。このままでは、101.8時間後に補助動力ユニットのコンデンサ残量が枯渇します。生存に必要な最低限の行動を推奨します」


ふと、アイの声が、意識の底から俺を僅かに引き戻した。彼女のホログラムは、相変わらず冷静な顔をしていたが、その言葉には、どこか人間的な焦りのような響きを感じた。それが、俺の凍り付いた心を微かに揺さぶった。


「アイ……感情エミュレータは搭載してなかったよな。」


俺の問いに、アイはしばし沈黙した後、静かに答えた。


「……マスターの生体活動指標、特にセロトニンおよびドーパミンの分泌量低下を鑑み、現状の精神状態が生命維持のボトルネックになると判断。私の論理回路が、警告レベルを引き上げた結果です。感情的表現に聞こえたのであれば、それはマスターの認知バイアスによるものかと」


あくまで機械的な回答。だが、その言葉の裏に、彼女の献身的な使命感が透けて見えた気がした。機械であるはずのアイが、俺の生存を心から願っているかのように感じられたのだ。


「……生きる意味なんて、あるのかよ」


俺は、床に座り込んだまま、自嘲気味に呟いた。未来への道筋が全く見えない中で、ただ生きるということが、どれほど虚しいことか。


「意味は、観測者が定義するものです。しかし、生命の維持は、あらゆる知的存在の根源的な欲求です。まずは、この惑星の環境に適応し、生存に必要な情報を収集しましょう」


「AIのお前に何が分かるって言うんだよ!……いや。すまん。言い過ぎた」


感情的に言い放った後、すぐに謝罪の言葉が出た。八つ当たりだ。俺はアイの言葉を脳裏で反復する。彼女の言葉は、まるで乾いた大地に染み込む水のように、俺の心に静かに広がった。

生命の維持は、あらゆる知的存在の根源的な欲求――。


確かに、このまま朽ちていくのは、何か違う。これまでの人生を、こんな場所で、こんな形で終わらせていいのか?漠然とだが、このままで良いわけではないことくらいは、俺も分かっていた。そして、アイが俺の生存を心から願っている、その事実が、俺の背中を後押しした。


「……分かった。何から始めればいい?」


俺の問いに、アイのホログラムがわずかに輝きを増した。その光は、再び俺の心に希望の灯をともすかのように見えた。


「目標を再設定します。第一目標は、生存基盤の確立。そのための最優先事項として、この惑星に充満する未知のエネルギーの解析と、大気中に含まれる未知の微量有機化合物のサンプル収集を提案します。これらは、既存の物理学では説明不可能な現象です。マスター、これは……我々が遭遇した、全く新しい『研究テーマ』です。この謎を解明できれば、生存確率の飛躍的向上、ひいては新たなテクノロジー体系の構築に繋がる可能性が示唆されます」


未知のエネルギー。そういやそんなのもあったな。改まって聞いたその言葉に、俺の研究者としての好奇心がわずかに刺激された。そして、微量ガスという新たな情報。それが何をもたらすのか、まだ理解できないが、漠然とした期待が胸の奥に湧き上がった。そのエネルギーが、もしかしたらこの絶望的な状況を打破する鍵になるかもしれない。


淡い、しかし確かな希望が、俺の心に灯り始めた。


俺は、この異星で、生きていくことを決意した。

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