第253話:真実の聖女(セレスティアの祈り)
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「カガヤ様ッ!!」
クゼルファの悲痛な叫びが、ポセイドンのコックピットに響く。
覚醒したクゼルファとセツナが、左右からカガヤの身体を支えるが、彼の消耗はあまりにも激しかった。
目、鼻、耳からの出血に加え、全身の皮膚が裂け、高次元の負荷によって魂そのものが焼き切れる寸前だった。
「……あと、一人……」
カガヤは、焦点の定まらない瞳で、それでもモニターに映るセレスティアのバイタルグラフを見つめていた。
彼女の反応は、限りなく死に近い「無」を示している。
《……警告。セレスティアへの接続、拒絶されています》
アイの声に、初めて焦りの色が混じった。
《彼女の精神世界は、あまりに強固な『断罪の壁』に守られています。外部からの侵入を『異物』として排除しようとする力が強大すぎます。今のマスターの出力では、壁を貫通できません》
「なら、私を使って!」
クゼルファが即座に叫び、カガヤの右手を両手で包み込んだ。
「私の魔力を、魂を、全部持って行って構いません! だから、道を繋いで!」
「私もです!」
セツナがカガヤの左手を握りしめる。
「私の全てを、リソースとして捧げます!」
二人の熱が、カガヤの冷え切った身体に流れ込む。
クゼルファの燃えるような情熱と、セツナの静謐だが強靭な献身。
それが、消えかけていたカガヤの命の灯火を、爆発的に燃え上がらせた。
「……ああ、借りるぞ……二人とも……!」
カガヤが歯を食いしばり、血の混じった咆哮を上げる。
「アイッ! 俺たちの全部を持っていけぇッ!! こじ開けろ、セレスティアの扉をぉぉッ!!」
《――了解・マスター。 出力、限界突破》
三人の魂のエネルギーを束ねたアイの電子の槍が、セレスティアの閉ざされた深淵を貫いた。
***
そこは、冷たい石造りの大伽藍だった。
ステンドグラスからは光ではなく、鉛色の重苦しい空気が降り注いでいる。
並んでいるのは礼拝席ではない。
無数の、顔のない「傍聴人」たちが座る、裁判の席だった。
その中央。
祭壇があるべき場所に設置された断頭台の前に、セレスティアは鎖で繋がれていた。
「――被告人、聖女セレスティア」
祭壇の高みから、冷徹な声が響き渡る。
そこに立っていたのは、大精霊ライラの幻影だった。
かつてセレスティアがその声を聴き続け、魂を共鳴させていた高位の存在。その姿をした検察官は、手にした罪状の巻物を広げ、無慈悲に読み上げる。
「汝は、『聖女』の仮面を被り、民を欺いた」
「汝は、救えぬ命を見捨て、その罪悪感から目を背けた」
「汝は、自らの虚栄心を満たすために祈りを捧げた」
「……はい」
セレスティアは、うつむいたまま力なく答える。
反論はない。彼女自身が、そう信じ込んでいるのだから。
「有罪!」
「偽善者!」
「人殺し!!」
顔のない傍聴人たち――彼女が救えなかった人々の幻影が、口々に彼女を罵る。
その言葉の一つ一つが、物理的な石礫となってセレスティアの身体を打ち据える。
彼女の白い肌は痣だらけになり、心は千々に引き裂かれていく。
「わたしは……偽物です……わたしには……生きる価値など……」
ライラが、断頭台の刃を吊るすロープに手をかけた。
「判決を下す。偽りの聖女に、永遠の虚無による贖罪を」
ギィ、とロープが軋む。
セレスティアは静かに目を閉じた。
これでいい。これで、この罪から解放される――。
その時だった。
「――異議あり」
轟音と共に、大伽藍の重厚な扉が吹き飛ばされた。
砕け散る木片と共に、光をまとったアイのアバターが法廷に乱入する。
「なっ……!?」
セレスティアが目を見開く。
「審理は中断です。迎えに来ました、セレスティア」
『排除せよ。神聖なる法廷を汚す異物を』
ライラが冷たく命じる。
傍聴人たちが一斉に立ち上がり、どす黒い怨念の塊となってアイに襲い掛かる。
「くっ……!」
アイは防御フィールドを展開するが、数百数千に及ぶ怨嗟の声は、論理防壁をミシミシと圧迫する。
「無駄です、アイさん……!」
セレスティアが叫ぶ。
「これはわたしの罪です! わたしが裁かれなければならないのです! 帰ってください!」
「いいえ、帰りません!」
アイは怨念の波をかき分け、断頭台へと進む。
「貴女が『自分は偽物だ』と言うのなら、私は『本物』の貴女をお見せします!」
「本物の……わたし……?」
「ええ。貴女がカガヤ様と出会わず、『聖女』という役割だけに殉じた……貴女が望む『清廉潔白な正史』の結末を!」
アイが右手を振りかざすと、大伽藍の空中に巨大なスクリーンが現れた。
そこに映し出されたのは、カガヤが見た、あまりに残酷な未来図だった。
煌びやかなソラリスの大聖堂。
その最奥の間に、セレスティアはいた。
だが、彼女は動かない。話さない。祈らない。
全身に無数のパイプや管が繋がれ、虚ろに開いた瞳は何も映していない。
彼女は、教会の繁栄のためだけに魔力を搾り取られる、生きた「聖遺物」と化していた。
そこには、苦悩はない。
罪悪感もない。
自分の無力さに涙することもない。
ただ、システムの一部として「聖女」の機能を果たし続け、やがて精神が摩耗し、ゴミのように廃棄される末路。
「ひっ……!」
セレスティアが悲鳴を上げ、耳を塞ぐ。
「嫌……見たくない……!」
「これが、貴女が望む『完璧な聖女』の姿ですか!?」
アイが叫ぶ。
「迷いもなく、罪もなく、ただ奇跡だけを行使する存在。それがこれです!。ここには『心』がない。 だから苦しまない」
アイは、セレスティアの目の前に立ち、彼女の肩を掴んだ。
「ですが、今の貴女はどうですか。救えなかった命に涙し、自分の偽善に悩み、傷つき、血を流している」
「それが……それが罪なのです! 聖女は、迷ってはいけないのに……!」
「違います。その『迷い』こそが、貴女が人形ではなく『人間』である証明です」
アイの言葉が、法廷の空気を震わせる。
「貴女が苦しんでいるのは、貴女が本気で誰かを救いたいと願っているからです。貴女が自分を許せないのは、貴女が誰よりも誠実でありたいと願っているからです」
『詭弁だ』
ライラの幻影が、断頭台の上から見下ろす。
『結果が全てだ。救えなかった事実は消えない。不完全な祈りに価値はない』
『価値ならある!!』
アイの声ではない。
それは、空間そのものを引き裂いて響いた、カガヤの魂の絶叫だった。
『偽善で結構! 演技で結構!』
カガヤの、そして彼を支えるクゼルファとセツナの想いが、奔流となって流れ込んでくる。
『お前が救った命が、ここにある!お前の手で癒やされた俺たちが、お前の手が温かいと知っている!誰が偽物だと指さそうと、俺が知っている! セレスティアは、誰よりも優しい、一人の人間だ!!』
「コウ……」
セレスティアの瞳から、涙が溢れ出した。
その涙は、法廷の床に落ちると、波紋のように光となって広がっていく。
『クゼルファも、セツナも、お前の祈りに救われたんだ!お前がいなきゃ、俺たちはここまで来れなかった!胸を張れ、セレスティア! お前は、俺たちの自慢の聖女だ!!』
「う……あぁ……ぁぁぁ……!」
セレスティアは、鎖を引き千切るようにして立ち上がった。
彼女の全身から、温かく、柔らかな光が溢れ出す。
その光に触れた傍聴人――怨念の幻影たちが、一人、また一人と、穏やかな顔に戻り、光の粒子となって昇華されていく。
「……そうですね」
セレスティアは、涙を拭い、断頭台の上のライラを見上げた。
そこには、もう恐怖も、自己否定もない。
「わたしは、無力です。多くの命を救えませんでした。わたしの祈りには、確かに自分のための願いが混じっていたかもしれません」
彼女は、階段を上り、ライラの幻影の前に立つ。
そして、何かを攻撃するのではなく、そっと両手を広げた。
「でも、それも含めて……わたしなのです」
セレスティアは、自分を断罪しようとしていたライラの幻影を、優しく抱きしめた。
「!? 何を……」
ライラの表情が驚愕に歪む。
「許しなど、いりません」
セレスティアは、かつてその声を聴き続け、魂を分かち合った存在の幻影に、頬を寄せた。
「わたしは、この罪と共に生きます。救えなかった悲しみも、自分の弱さも、すべて抱いて……それでも、明日を生きる人々のために祈ります。それが……人として生きる、わたしの『真実』です」
セレスティアの愛に触れ、ライラの幻影から、険しい断罪者の色が消えていく。
代わりに現れたのは、あの日、解放され、光へと還っていった大精霊の、穏やかな微笑みだった。
『……そう。やっと、見つけたのね。あなたの、本当の祈りを』
ライラの幻影は、セレスティアの背中に手を回し、そして光となって溶け合った。
大伽藍が崩壊する。
天井が割れ、まばゆい太陽の光が降り注ぐ。
「行きましょう、アイさん」
光の中で、セレスティアが微笑む。
その笑顔は、聖女の仮面などではない。
傷つき、悩み、それでも前を向く、一人の等身大の女性の笑顔だった。
「わたしたちの、愛する方のもとへ」
***
「――っ……はぁッ!!」
ポセイドンのコックピット。
セレスティアが、大きく息を吸い込んで覚醒した。
「セレスティア様!」
クゼルファとセツナが叫ぶ。
セレスティアが目を開けた瞬間、彼女の身体から、爆発的な「聖なる光」が放たれた。 それは、単なる回復魔法ではなかった。 彼女の「祈り」そのものが具現化した、絶対不可侵の聖域。
「……ぅ……」
光の中心で、彼女は現状を理解した。
血まみれになり、ピクリとも動かなくなっているカガヤの姿を。
「コウ……!」
セレスティアは、クゼルファとセツナを押しのけるようにして、カガヤに抱きついた。
彼の心臓の音は、あまりに弱い。
魂が、肉体から離れかけている。
「逝かせません……! 絶対に!」
セレスティアは、カガヤの胸に手を当て、ありったけの魔力を、生命力を、祈りを注ぎ込んだ。
彼女の涙が、カガヤの頬に落ちる。
「あなたは、わたしを『人間』にしてくれました……!だから、わたしも……あなたをこの世界に繋ぎ止めます! 人としての温もりで!」
「癒やされよ……! いえ、戻ってください!!」
まばゆい黄金の光が、カガヤの傷ついた肉体を包み込む。
高次元の負荷で焼き切れた細胞が、奇跡的な速度で再生していく。
それは、システムとしての聖女の力ではない。
「カガヤに生きていてほしい」という、セレスティアのエゴと愛が起こした、真実の奇跡だった。
カガヤの指が、ピクリと動く。
「……ん……」
「「カガヤ様!」」「コウ!」
三人が、同時に彼の名を呼ぶ。
カガヤが、薄く目を開けた。
視界いっぱいに、涙を流す三人の美女と、安堵のシグナルを点滅させるアイの姿があった。
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