第250話:観測者
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そこは、音のない世界だった。
クゼルファたちが悲鳴を上げ、自身の内面から湧き出る幻影に苦しめられているのとは対照的に、カガヤの意識は、凪いだ水面のように静まり返っていた。
痛みはない。恐怖もない。
ただ、圧倒的な「事実」だけが、淡々と彼の脳裏に流し込まれていく。
まるで、編集の許されないドキュメンタリー映像を見せられているかのようだった。
『見よ。これが、本来の歴史だ』
どこからともなく響く声。それは、モンテストゥスの知性とも、アイの論理とも違う。もっと高次な、宇宙の深淵から直接語りかけられるような響きを持っていた。
「本来の……歴史……?」
カガヤが呟くと同時に、視界が切り替わる。 そこは、薄暗い森の中だった。見覚えがある。彼がこの世界に降り立ち、最初にクゼルファと出会った「魔乃森」だ。
だが、そこに「カガヤ」はいなかった。
映像の中のクゼルファは、魔獣の群れに囲まれ、孤立無援だった。
彼女の剣技は鋭い。だが、多勢に無勢。カガヤという「介入者」がいなかった世界線で、彼女の剣は砕け、魔獣の爪が彼女の美しい顔を、身体を、無慈悲に引き裂いた。
「やめろ……!」
カガヤが叫ぶ。しかし、声は届かない。
場面が飛ぶ。数年後の王都。 雨の降る路地裏に、足を引きずり、ボロ布をまとった女がうずくまっている。 顔半分を覆う酷い傷跡。かつての凛とした公女の面影は、見る影もない。 『あの傷モノの元公女か』『剣も握れず、家からも勘当された哀れな女だ』 通り過ぎる人々の嘲笑。誰からも愛されず、誰にも必要とされず。 彼女は泥水の中で、孤独に息絶えた。 最期に彼女の瞳に映っていたのは、憎悪でも後悔でもなく、ただの虚無だった。
「これが……クゼルファの、運命だったと言うのか」
『そうだ。お前という異物が介入しなければ、彼女はここで終わるはずだった』
映像が切り替わる。
今度は、煌びやかなソラリスの大聖堂。
祭壇の中央に、セレスティアが座っている。
だが、彼女は動かない。瞬きもしない。
その身体からは無数の管が伸び、彼女の膨大な魔力を、教会の繁栄のためだけに吸い上げ続けていた。
『聖女という名の生体部品。それが彼女の役割だ』
彼女の瞳は、完全に死んでいた。
思考も、感情も、ライラの声を聴くことさえも奪われ、ただ魔力を生産し続けるだけの美しい肉人形。
やがて精神は崩壊し、廃人として廃棄される未来が、高速で流れる。
カガヤは拳を握りしめた。爪が食い込み、血が滲む感覚がリアルに伝わる。
そして、最後の映像。
王都の闇夜を駆ける、黒い影。
「影」の装束に身を包んだ、小柄な少女。
彼女に「セツナ」という名はなかった。ただの「カゲ」。
ゼノン王子の冷徹な命令に従い、汚れ仕事を淡々とこなす。 そこに信頼関係はない。あるのは主従という名の鎖だけ。 彼女は敵の罠にはまり、無数の刃に貫かれた。 助けは来ない。なぜなら彼女は道具だからだ。壊れれば捨てられる。 冷たい石畳の上で、彼女は自分の血溜まりの中に沈んでいく。 誰も彼女の名を呼ばない。彼女自身も、自分が何者であったかを知らぬまま、瞳の光を失った。
『これが、真実だ』
声が、カガヤの脳髄を揺らす。
『クゼルファは野垂れ死に、セレスティアは心を殺され、あの娘は名もなき道具として死ぬ。それが、この星の定めた「正史」だ』
「……ふざけるな」
『ふざけてなどいない。お前こそ、理解しているはずだ。カガヤ・コウ。お前はこの世界にとっての「バグ」だ』
視界が元の白い空間に戻る。
カガヤの目の前に、不定形の光の塊――「観測者」とでも呼ぶべき存在が浮かんでいた。
『お前が来たことで、因果が狂った。彼女たちは本来たどるべき運命を外れ、生き延びてしまった。……だが、それは歪みだ。彼女たちは今、お前がいない世界での「あるべき姿」に引力で引き戻されようとしている。それが、今の彼女たちの苦しみだ』
「俺が……彼女たちの運命を狂わせたと言うのか」
『そうだ。お前さえいなければ、彼女たちはこれほどの希望を知らず、これほどの絶望も味わわずに済んだ』
観測者は問う。
『なぜ、救った? 彼女たちは、お前の世界の人間ですらない。ただのデータかもしれない。ただの異邦人かもしれない。それなのに、なぜお前は、己の命を削ってまで彼女たちの運命を捻じ曲げる?』
カガヤは、クゼルファの最期を、セレスティアの虚ろな目を、カゲの孤独な死を思い出した。
胸が張り裂けそうなほどの痛みが、そこにあった。
「……関係ない」
カガヤは顔を上げた。
その瞳に、迷いはなかった。
「本来の歴史? 正史? ……そんなものが何だ」
カガヤは、光の塊を睨みつけた。
「俺は、あいつらに出会った。クゼルファの不器用な優しさを知っている。セレスティアの本当の強さを知っている。セツナの、人間としての温かさを知っている!」
『それは、お前が作り出した幻想だ』
「違う! 現実だ!」
カガヤが吠える。
「俺がここにいる! 俺があいつらと出会った! その瞬間に、運命は変わったんだ! 誰が決めたか知らない『本来の未来』なんてクソ食らえだ! 俺がいる限り、あいつらは野垂れ死んだりしない! 廃人になんかならない! 道具で終わらせたりしない!」
カガヤの魂が、熱く燃え上がる。
それは、この高次元空間の冷たい法則すらも焼き尽くすほどの、強烈な「意志」の熱量。
「俺は選んだんだ。この世界に関わると。あいつらと共に生きると! ……それが『バグ』だと言うなら、俺は喜んでこの世界の致命的なバグになってやる!」
沈黙。
光の塊が、微かに明滅した。
『……面白い』
声の調子が変わった。冷徹な観測者の響きから、どこか試すような、あるいは期待するような響きへ。
『お前は、この確定した絶望の未来を、意志の力だけで覆そうと言うのか』
「ああ。何度でも覆してやる」
『……よかろう。カガヤ・コウ。お前のその覚悟、見届けよう』
光の塊が、カガヤの目の前に近づく。
『彼女たちは今、それぞれの絶望の深淵にいる。救い出す手立ては、もはや通常の物理法則にはない。……だが、お前なら、あるいは』
「方法があるのか」
『ある。……だが、それは賭けだ。失敗すれば、お前も、彼女たちも、そしてあの船も、素粒子のレベルまで分解され、永遠の虚無に消える』
「構わない。教えろ」
即答だった。
観測者は、微かに笑ったような気配を見せた。
『この空間は、意志が現実を侵食する領域だ。今、船を守っている防御フィールド……それを、切れ』
「……何だって?」
『アイとかいう知性の防御を解除し、この高次元の嵐を、お前の生身の精神に直接招き入れるのだ』
カガヤは息を呑んだ。
それは自殺行為に等しい。アイのフィールドがあってさえ、クゼルファたちは汚染されたのだ。それを解除すれば、全員即死してもおかしくない。
『お前自身が「錨」となれ。高次元のエネルギーを、お前の肉体と精神を触媒にして変換し、彼女たちの精神世界へと流し込む「道」を作るのだ』
観測者は冷酷に告げる。
『お前の自我が、この嵐に耐えきれれば、その「道」を通って、補助機能アイ……お前の相棒が彼女たちを連れ戻せるだろう。だが、もしお前が一瞬でも恐怖し、自我を保てなければ……その瞬間に、お前の存在は霧散し、全員が道連れとなる』
全滅か、生還か。
その全てが、カガヤ一人の精神力に委ねられる。
文字通り、彼が人柱となり、その背中で仲間を守り切れるかどうかの試練。
「……上等だ」
カガヤは不敵に笑った。
不思議と、恐怖はなかった。
あいつらが、あの悲惨な未来で死んでいくことへの恐怖に比べれば、自分が砕け散るリスクなど、取るに足らない。
「やってやる。俺が、あいつらの『未来』を守る錨になってやるよ」
『ならば、行け。……願わくば、お前の描く未来が、我々の予測を超えんことを』
光が弾けた。
白い世界が砕け散り、カガヤの意識が肉体へと急速に引き戻されていく。
***
「――ッ、はぁっ!!」
カガヤは、溺れていた者が水面に顔を出したように、猛烈な勢いで息を吸い込み、覚醒した。 コックピットの風景が戻ってくる。 赤い非常灯。 ぐったりとしている三人。 そして、こちらを見つめるグラフィックのアイ。
「マスターの 意識回復を確認。 バイタル、急上昇。」
アイの声に、カガヤは操縦桿を強く握りしめた。汗が滲む。
頭痛がする。だが、意識はかつてないほど鮮明だった。
「アイ! 聞こえているな!?」
「はい、マスター。現在、貴方の精神領域を経由したダイブの準備中ですが……」
「手順を変える! ダイブの準備はそのままだ! だが、その前に一つ、工程を加える!」
カガヤは、震える指でコンソールを叩き、ポセイドンの防御システム設定画面を呼び出した。
「ポセイドンの防御フィールドを、全解除しろ」
「!? 理解不能です。この高次元空間でフィールドを解除すれば、船体は崩壊、乗員は全員即死します」
「崩壊はさせない! 俺が抑える!」
カガヤは、アイを真っ直ぐに見据えた。
「俺が『錨』になる。この空間の干渉を俺自身の精神で受け止め、変換し、お前の通り道を作る! お前はその瞬間に、三人の中に飛び込んで、あいつらを連れ戻せ!」
《……お主、正気か》
モンテストゥスの掠れた声が響く。
《それは、お前の脳を焼き切るどころの話ではない。存在そのものが消滅するぞ》
「やるんだよ、モンテストゥス! 俺がいなきゃ、あいつらは野垂れ死ぬ運命だったらしい…… なら、俺がいる今は、絶対にそんなことにはさせない!」
カガヤの瞳に、凄まじい気迫が宿る。
「俺は、あいつらの未来を変えた責任を取る! アイ、俺を信じろ!」
アイの演算が一瞬停止した。 論理的には、成功率0.001%以下の愚策。 だが、カガヤの瞳にあるのは、論理を超越した「確信」だった。
「……了解しました。マスター」
アイの声色が、一段低く、しかし力強く響いた。
「マスターが錨となるならば、私はその鎖となりましょう。防御フィールド、解除シークエンス、スタンバイ」
「よし……!」
カガヤは、三人の横顔を順に見た。
苦しげなクゼルファ。
凍り付いたセレスティア。
空っぽになったセツナ。
(待ってろよ。今、迎えに行く)
カガヤは大きく息を吐き、覚悟を決めた。
「アイ、フィールド解除! ……来いッ、高次元の悪夢!! 俺が全部、受け止めてやるッ!!」
カガヤの絶叫と共に、ポセイドンを包んでいた光の膜が消滅した。
直後、物理法則を超えた情報の濁流が、怒涛の如くカガヤの肉体へと殺到した。
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