第248話:虚無なる人形(セツナの原点)
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「……クゼルファ様、意識反応、著しく低下。……セレスティア様、同様に意識途絶を確認」
セツナは、高次元空間の雑音が荒れ狂うコックピットの中で、冷静に状況を「観測」していた。
カガヤの絶叫。アイの警告。そして、隣席の二人が、立て続けに知覚汚染によって沈黙していく様を、彼女は一切の動揺を見せずに分析する。
(敵性知覚情報による、精神侵食。対象の心の傷、あるいは根源的な恐怖を利用した攻撃の型と推測)
彼女の思考は、かつて「影」で叩き込まれたそれと変わらない。
完璧な思考手順。
感情という乱れを排し、ただ、最適な解を導き出す。
(対処法。精神の防殻を最大限に高め。意識を「無」に設定。あらゆる情報の流入を拒絶する)
セツナは静かに目を閉じ、呼吸を極限まで細く長くする。
王家直属の暗殺組織で培った精神制御術。感情を殺し、ただの「道具」と化すことで、あらゆる精神干渉を無効化する技術。
若き日のゼノン王子が「底なしの虚無」と評した、彼女の原点。
これでいい。
これで、この汚染も通り過ぎる。
私は「道具」。道具は、壊れず、揺らがず、主の命令を待つ。
雑音の嵐が、ふっと遠のいた気がした。
精神防壁は、正常に機能している。
――その、はずだった。
「……見事なものだな。セツナ」
不意に、思考の「内側」から声がした。
聞き覚えのある、冷徹な声。
「!」
セツナが目を見開く。そこは、彼女が幼少期を過ごした、「影」の訓練場だった。
血と油の匂いが染みついた、石畳の上。
目の前には、彼女の「影」としての師であり、育ての親とも言える教官が、無表情で立っていた。
『まだ、その「人形遊び」を続けているのか』
「幻影……!」
『幻影? どちらがだ?』
その人物は、嘲笑うように言った。
『感情を殺し、完璧な道具として任務を遂行していたお前と。今の、感情という乱れに振り回され、仲間一人救えずにいるお前と。どちらが「本物」で、どちらが「偽物」だ?』
「私は……偽物ではない」
『ほう?』
男の幻影が、セツナの周囲をゆっくりと歩く。
『では、なぜ震えている?』
セツナは、自分の指先が微かに痙攣していることに気づき、奥歯を噛んだ。
『お前は、カガヤという「熱源」に当てられ、道具から「人間」に戻ったつもりでいるらしい。……なんと愚かな』
男は、セツナの目の前で足を止めた。
『感情は、お前を弱くした。お前は「完璧な思考手順」であることを捨てた。……お前は、もはや欠陥品だ』
「違う……! 私は……カガヤ様の……!」
『カガヤの? なんだ? 剣か? 盾か?』
男の幻影は、まるで滑稽な芝居でも見るかのように肩をすくめた。
『お前の「先を読む力」も「戦略的思考」も、所詮は「影」で与えられた技術の応用。だが、今のお前には致命的な乱れが混じっている。「恐怖」という乱れだ』
「……ッ!」
『カガヤを失うこと。あの「家族」という名の、脆い居場所を失うこと。お前は、それに怯えている。だから、クゼルファも、セレスティアも救えなかった。お前が、自らの「恐怖」に集中していたからだ。お前の未熟さが、お前の「人間らしさ」が、あの二人を堕とした』
「だまれ……!」
『お前は、カガヤの役に立っていない。お前は、カガヤの重荷だ』
『お前は、カガヤの信頼を裏切っている』
それは、セツナが最も恐れていた言葉。
彼女が「人間」になったが故に生まれた、最大の弱点。
「違う、違う、違う……! 私は……!」
セツナが、訓練では決して見せなかった狼狽と共に、幻影を振り払おうと手を伸ばした、その時。
「――そうだ。お前は、裏切った」
世界が、凍りついた。 男の幻影が消え、代わりに、彼女が最も信頼し、最も守りたかった人物――カガヤの幻影が、そこに立っていた。 だが、その瞳は、セツナが知る温かい光を宿していない。 彼女が仕えていた頃のゼノン王子よりもさらに冷たい、「虚無」そのものの瞳で、セツナを見下していた。
「カガヤ……様……?」
『セツナ。お前は失敗だ』
幻影のカガヤが、冷酷に告げる。
『俺がお前に期待したのは、「影」としての完璧な能力だ。だが、お前は勝手に感情を覚え、乱れを発生させた』
「あ……ぁ……」
『お前が得たつもりになっている感情は、ただの乱れだ。俺の計画の最大の障害となっている。お前のせいで、クゼルファもセレスティアも堕ちた』
「ちが……う……わたしは、あなたを、守る……!」
『守る?』
幻影のカガヤは、心底可笑しいというように、小さく息を吐いた。
『お前は、俺の「家族」なんかじゃない。最初から、ただの「道具」だ。そして、今のお前は、壊れて使い物にならない道具だ』
幻影のカガヤが、ゆっくりとセツナに背を向けた。
その背中は、彼女にとって、世界の終わりを意味していた。
「待って……ください……カガヤ様……!」
手を伸ばす。
だが、届かない。
彼女が必死に守ろうとしていた「カガヤからの信頼」。
彼女が唯一見つけた「家族という居場所」。
その全てから、今、拒絶された。
『お前はもういらない』
幻影のカガヤが、振り返らずに言い放つ。
『セツナ』
カガヤから与えられた、彼女の「人間」としての証である、その名前。
その名前で、彼女の存在が、完全に否定された。
「あ……ああ……あああ……」
理性が、崩壊する。
精神の防殻が、内側から砕け散る。
カガヤという光を失ったセツナの世界は、再び、あの「影」の訓練場よりも暗く、冷たい、「底なしの虚無」へと引きずり込まれていった。
コックピットの中で、セツナの細い身体が、シートベルトの上でぐったりと力を失った。
彼女の瞳からもまた、クゼルファ、セレスティアと同じように、全ての光が消え失せていた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。
感想やレビューも、心からお待ちしています!




