第245話:知覚汚染
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《――『星の監獄』に、到着します》
アイのその言葉を、俺たちは息を呑んで聞いていた。
ポセイドンのメインライトが、数億年の闇に閉ざされていた「構造物」の壁面を、ゆっくりと照らし出し始めている。
メインスクリーンに映し出された光景に、コックピット内の誰もが言葉を失っていた。 それは、まさに壁、だった。
あまりにも巨大な、黒い壁。 地熱火口の影に潜んでいた「古代龍」ですら、この壁の前では小魚に思えるほどの、圧倒的なスケール。
幾何学的な直線と、巨大な曲線。自然物とは到底思えない、人工的構造物。 岩盤を削ったというより、空間そのものを「固定」したかのような、異様な質感をしている。
「……これが……『星の監獄』……」
セツナが、か細い声で呟く。
「アイ、船体を停止。この構造物から距離を取れ。……そして、分析を急げ」
俺は、目の前の光景から滲み出る「何か」に、本能的な警戒心を抱きながら指示を出した。
「……それが……」
アイの声が、困惑しているように揺らいだ。
「異常です、マスター。センサーで……読み取れません」
「読み取れない?」
「はい。この構造物に近づくにつれて……いえ、この構造物そのものが、周囲の空間を、物理法則ごと歪ませています。全てのセンサーに、±0.03%の測定誤差、……『揺らぎ』が生じています」
いつもは淡々としたアイの声に「混乱」が混じっていた。
「私自身、現在の正確な座標を……ロストしかけています」
「なっ……!?」
俺はアイの言葉に驚きを隠せなかった。AIの論理さえも揺らがせる、異常な空間。
「コウ!」
セレスティアが、俺の後ろで不安げに声を上げた。
「わたしの魔力感知が…… 何か、巨大な力に……押し潰されるかのような……」
セレスティアだけではない。俺の隣では、セツナが両手で自らの耳を強く押さえ、苦痛に顔を歪めていた。
「セツナ、どうした?」
「音が……音が、しないのに……。頭の中に、直接……『静かにしろ』と……プレッシャーが……!」
クラッシュ・ゾーンの轟音、古代龍の咆哮とは、まったく異質の脅威。 ここは、生命が立ち入ることを許さない「特異点」そのものだったのか。
俺は、コックピット中央に佇むモンテストゥスへと振り返った。
「モンテストゥス! ここで間違いないんだな!? アイのセンサーがイカれちまってる! お前の『知覚』ではどう視える!?」
《……ああ、カガヤ。ここだ。間違ってはいない》
モンテストゥスの重々しい思考が、ノイズ混じりにコックピットに響く。彼もまた、この特異点の影響を受けている。
《こここそが、この惑星で最も時空が歪み、脆くなっている場所。……そして、お主たちが今、目にしている『壁』こそが、監獄の『外殻』》
モンテストゥスは、俺たちのセンサーが捉える「歪み」とは、まったく別の次元で、この空間を「視て」いた。
《この海底盆地の、さらに底。その『外殻』の、中心……。時空の歪みの『結び目』が、そこにある》
「結び目だと?」
《補助ユニットアイ。お主のセンサーを、我の知覚に同期させろ。お主たちの『目』では、それは視えん》
「アイ、やれ!」
《……! 了解。モンテストゥスと知覚データを直接同期……!》
すると、アイのホログラムが激しく明滅し、メインスクリーンの映像が、一度、真っ暗に落ちた。 そして、次にメインスクリーンが点灯した瞬間。 ソナーや可視光の映像に、「モンテストゥスの空間知覚」がオーバーレイされた。そこには、異様な光景が映し出されていた。
ポセイドンの真正面、俺たちが「壁」だと思っていた巨大構造物の、その中心。 そこには、ポッカリと、「何もない」空間が浮かんでいた。
いや、「何もない」という表現は正しくない。 周囲の海水、光、音、圧力、魔素、あらゆるものを、まるで「吸い込んでいる」かのように、そこだけが絶対的な『無』として存在していた。
「……あれは」
「漆黒の、球体……?」
セツナが、おののくように呟く。
それは、直径百メートルほどの、完璧なまでの『黒』。光を反射しない。ソナーも透過しない。ただ、そこにある、という「事実」だけが、アイとモンテストゥスのセンサーによって異常な存在感を放っていた。
「亜空間ゲート……いや、時空のトンネル…あれが結び目か?」
これが、結び目…「星の監獄」の入り口。
「アイ、モンテストゥスと連携し、あの『結び目』の座標を固定しろ。突入する」
「ま、待って、コウ!」
セレスティアが悲鳴のような声を上げた。
「あんな、得体の知れない『穴』に、この満身痍の船で飛び込むのですか!? 」
「それしか方法がないだろ?」
そう言うと、俺は操縦桿を握りしめた。
セレスティアは口を一文字に結びながらも、それ以上は何も言わなかった。
「アイ、モンテストゥス。結び目をこじ開ける事は可能か?俺たちの科学と、太古の精霊獣であるお前の超知覚……二つを合わせれば、道は開けるんじゃないか!?」
《うむ……我の演算能力の全てを、お前のAIに預けよう。……頼むぞ、補助ユニットアイ》
モンテストゥスの思考が、ポセイドンのコアを交いして、アイのシステムへと直接流れ込む。
「……全力を尽くします。マスター、座標固定、完了! ゲート、解放シークエンスを開始します」
ポセイドンの船首から、観測用の強力なビームが放たれ、漆黒の球体の縁を捉える。あらゆる観測データが大量に流れ込んでくる。
しばらくした後、明らかにデータの渦の中心と思われる座標が見えてきた。
「モンテストゥス」
アイの呼びかけに呼応し、モンテストゥスがこの船の「コア」そのものを使って、次元の「楔」を打ち込んだ。
グニャリ、と。 漆黒の球体が、まるで生き物のように歪み、その『内部』への亀裂が走った。
「よし!突入する! 全員、衝撃に備えろ!」
俺はスラスターを全開にし、ポセイドンの機首を、時空の亀裂へとねじ込んだ。
――その、瞬間だった。
「「「ッッッ!!??」」」
コックピット内の全員が、同時に、声にならない悲鳴を上げた。
ガン、と。 頭を巨大なハンマーで殴られたような、強烈な衝撃。 だが、それは物理的なものではなかった。
「あ……あ……?」
セレスティアが、虚ろな目で、自分の手を見つめている。
「水が……水が、船の中に……!? いや、溺れ……」
「ちがう! 敵が……! そこに、いる!!」
クゼルファが、何もいないコックピットの隔壁に向かって、剣を抜こうと身構える。
「音が……! 音が、多すぎる……!! ああああ!」
セツナが両耳を塞いで、シートから転げ落ちそうになる。
そして、俺自身も…… 目の前のコンソールが、ぐにゃりと歪み、次の瞬間、見たこともない地球連邦の軍艦のコックピットに座っている「過去」、そして、アルカディア号でコーヒーを飲んでいる「未来」の幻影が、同時にフラッシュバックした。
「ぐっ……! アイ!」
《マ、マスター……! ロ、ロジック……エラー……! 『Aであり、かつAでない』……座標が……現実が……ワカラ…ナイ……》
アイのホログラムが、ノイズの塊となって激しく明滅していた。
これは、前回の精霊獣が放った「意思の奔流」とは全く違う! あれは、他者の「感情」だった。 だが、これは……!
これは、俺たちに対する直接的な「攻撃」じゃない。 高次元空間。時空の歪み。 俺たちの、三次元と時間軸に縛られた「知覚」が、この異常な環境での情報を処理しきれずに、機能不全を起こしているんだ!
「敵襲じゃない!」
俺は、自分の頭蓋骨に響く激痛をこらえ、コックピット全体に響き渡る声で、絶叫した。
「クゼルファ、剣を収めろ! セレスティア!それは幻覚だ、船は無事だ! セツナ、耳を塞ぐな、俺の声だけを聞け!」
俺は、明滅しノイズの塊となったアイのホログラムを、掴まんばかりに手を伸ばした。
「アイ! これは時空の歪みによる『知覚汚染』だ!お前の論理が混乱してるんじゃない、世界そのものが歪んでるんだ! 現実のアンカーは俺だ! 俺のバイタルサインを基準に、強制的に思考をリブートしろ!」
《……ッ! ……マスター……バイタル……基準……アンカー、再設定……!》
ノイズの嵐だったアイのホログラムが、一瞬、俺の姿をかたどって、かろうじて人型のアイの姿に戻った。
《……知覚汚染、認識……! 防御フィールド、展開!》
「とりあえずは何とかなったな…」
俺は、現実感を失いかけている仲間たちに向かって、もう一度、声を張り上げた。
「全員、意識を保持しろ! これは現実だ! 俺たちは、今、この瞬間に、ここにいる!」
ポセイドンは、乗組員全員の精神が現実と虚構の狭間で引き裂かれそうになる中、時空の歪みの『結び目』の、そのさらに奥深くへと、引きずり込まれていった。
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