表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
273/278

第244話:星の民の伝承

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

海底渓谷の岩盤を崩落させ、追跡を振り切ってから、どれほどの時間が経過しただろうか。

アルカディア・ノヴァ改――「ポセイドン」のコックピットには、重い疲労と、かろうじて切り抜けた安堵、そして依然として続く深海への緊張が混在していた。


ピ、ピ、ピ……。 警告音が、けたたましいアラートから、船体の現状を淡々と知らせる微かな通知音へと変わっている。だが、その内容は深刻なままだ。 船体各所に生じた微細な亀裂(クラック)。浸水こそないものの、いつ耐圧限界を超えてもおかしくない。俺たちは、卵の殻のように脆くなった潜水艇で、未だ数千メートルの水圧下を進んでいるのだ。


セツナは、先ほどの戦闘で全神経を使い果たしたのか、ぐったりとシートに身を沈め、まだ青い顔で呼吸を整えている。セレスティナも、いつもの皮肉めいた口調を潜め、固唾を飲んでソナーの反応を見つめていた。


俺は、損傷データから目を離し、アルカディア・ノヴァの運航をアイに指示して操縦席を離れた。


「アイ」


「……はい、マスター」


「損傷状況の自動監視を継続。それと……さっきの戦闘記録…録画映像をメインスクリーンに。もう一度、奴らの姿を精査する」


その言葉に、セレスティナが弾かれたように顔を上げた。


「コウ!? 今は過ぎた脅威の分析よりも、一刻も早くこの船体の修理を……いえ、なにより、目的地の『星の監獄』へ急ぐことが先決では? またいつ、あの化け物が岩盤を掘り起こして追ってくるかも分からないのに!」


セレスティナの言うことは、この上なく正しい。だが、俺は静かに首を振った。


「逆だ、セレスティナ」


「逆、ですの?」


「二度と会いたくない相手だからこそ、徹底的に分析するんだ。あの環境で、あれだけの巨体と群れを維持できるエネルギー源は何だ? なぜ俺たちを襲った? 何も分からんままじゃ、この先の深海は進めない」


俺は、宇宙(そら)での経験を反芻するように言った。


「これは宇宙(そら)でも海でも同じ、サバイバルの鉄則だ。未知の脅威を、未知のまま放置することが一番の危険なんだよ」


俺の言葉に、セレスティナは「……合理的では、ありますが」と、まだ納得しきれない様子だったが、口を閉ざした。


アイが俺の指示に従い、メインスクリーンに映像を再生する。

そこには、先ほどの緊迫した光景が、客観的なデータとして映し出されていた。


ブラックスモーカー。海底から黒い熱水が、まるで工場の煙突のように猛然と噴き上がっている。

そして、その熱水を、まるで「捕食」するように受け止めている、百メートルを超える異形の生物たち。

目はない。爬虫類のような、あるいは甲殻類のような、硬質な鱗。

俺たちの光に反応し、音と振動を正確に捉え、襲い掛かってきた、あの「深淵の支配者」の姿が。


「……こうして冷静に見ると、とんでもない化け物だな」


俺は思わず、乾いた笑いを漏らした。


「アイ、分析結果は?」


俺の問いに、アイは即座に応答した。


「はい。マスターの推測通り、生体スキャンデータによれば、彼らはあの熱水に含まれる硫化物や超高温エネルギーを、直接、生体エネルギーに代謝しています。地球で言うところの『化学合成生態系』の、頂点に立つ存在であると推測されます」


「だろうな。問題は、その先だ」


「はい」と、アイは続けた。


「問題は、その進化の度合いです。私の地球連邦基準のデータベースには、これほど高度に、かつ巨大に進化した高温・高圧適応生物のデータはありません。……似たものすら、存在しません」


アイの声に、わずかな焦燥が混じる。


「この惑星に来てまだ日が浅い私のデータでは、完全に不足しています。マスター、私は、あの生物が何なのか……分かりません」


彼女のホログラムが、悔しげに揺らぐ。


「謝るな、アイ。お前のせいじゃない。お前のデータベースは、俺たちが持ち込んだ『最新の科学』だ。だが、この星の『歴史』そのものじゃない」


俺はコンソールを叩いた。


「……なら、この星の『先達』に聞くしかないな」


俺はアルカディア・ノヴァの量子通信システムを起動させた。この深海から、構築された超AIたちのネットワークへと、直接問いを投げる。


「マザー、ガーディアン。聞こえるか。こちらカガヤ。現在、我々は深海で精霊獣を探すミッション中だ。ちょっと聞きたいことがある。 映像データを転送する。意見が欲しい。」


それはそう言うと、アイにネットワークに先程のデータを


「……というわけだ。こいつらの盛大な歓迎を受けた。この生物に心当たりは?」


通信ラグは、ほぼない。

即座に、二つのAIから応答があった。


ガーディアン。《我が管理する地下聖域のデータに、該当存在は確認できず》


マザー。《わたくしたちの地上管理領域、および観測可能な海洋データにも、類似の生体反応はありません。完全な未知の存在です》


「そうか……」


やはり、この深淵は、マザーたちの管理下からも外れた、真の「未知」か。 そう、諦めかけた時。 モンテストゥスが口を開いた。


《……カガヤ。その映像……。我のデータベースの最古層……環境調律が開始される以前……星の民が残した『伝承』の断片に、酷似したものの記述がある》


「伝承?」


俺は眉をひそめた。この星のAIは、常に論理と観測データで話す。そのモンテストゥスが、「伝承」という言葉を使った。


《ああ。我々が管理システムとして起動する以前の、前文明の記録だ。我も伝承としてのみ認識しており、実在は確認されていない》


「その『伝承』では、奴は、なんと?」


《――名は、『古代龍』》


「龍!?」


それまで沈黙していたセツナが、その言葉に顔を上げた。


この世界において「龍」とは、伝説や神話の存在であると同時に、強大な力の象徴だ。


モンテストゥスは、セツナの反応を意に介さず、淡々と続けた。


《この惑星がまだマグマの海に覆われ、最初の海が形成された直後……地核のエネルギーそのものを喰らうもの、と記されている。……我々がこの地に降り立つ前の、原初の生命体かもしれん》


惑星誕生直後。地核のエネルギー。ブラックスモーカー。

俺の頭の中で、バラバラだったキーワードが一気に繋がった。


「……なるほどな。道理だ」


俺は、先ほどの映像をもう一度見直した。


「惑星誕生直後の、超高温・高圧の『原始の海』。そこは、硫化物と熱エネルギーに満ちていたはずだ。その環境に最適化した生物が、そのまま現代まで、環境の変わらない深海の『ブラックスモーカー』だけを棲家として生き延びてきた……。とんでもない古株だな、こいつら」


俺が興奮気味にそう言うと、セレスティナが冷や水を浴びせるように言った。


「……コウ。それは、つまり……この先も、ああいった熱水地帯があるたびに、あの『古代龍』の縄張りがある、ということなの? とんでもない古株、で済ませる話ではないわ」


その指摘に、俺はニヤリと笑った。


「いや、逆だ、セレスティナ」


「また、逆ですか?」


「ああ。逆に考えるんだ。奴らは、あの『地熱エネルギーが豊富な場所』でしか生きられない、極端に偏った生態系なのかもしれない。あの超高温・高圧環境以外では、おそらく……」


「生きていけない?」


「その可能性が高い。適応しすぎたんだ、特定の環境に。だからこそ、俺たち『侵入者』をあれほど執拗に排除しようとした。縄張りを守るため、あるいは、貴重なエネルギー源を奪われると思ったか」


俺はコンソールを叩き、アイに指示した。


「アイ、今後の航行ルート選定。ブラックスモーカーや地熱活動の活発なエリアを、最優先で回避しろ」


「了解。熱源ソナーを最大出力。回避ルートを再設定します」


「……希望的観測じゃないの?もし、この先の『星の監獄』が、奴らの最大の巣だったら、どうします?」


セレスティナが、まだ皮肉っぽく言う。


俺は肩をすくめた。


「その時は、また全力で逃げるさ。だがな、セレスティナ。これは希望的観測じゃない、『科学的な推論』だ」



俺は少しだけおどけてみせる。


「少なくとも、奴らがこの先の広大な海底平野を、小魚の群れみたいにウロウロしている可能性は低い。そう分かっただけでも、儲けもんだろ?」


「……コウは、いつも、そうですわね」


セレスティナは小さくため息をついたが、その表情はいくらか和らいでいた。


この分析は、無駄じゃない。 俺たちの生存率を、確実に上げたはずだ。




俺は、疲労困憊のセツナに、携帯用の栄養剤を渡した。



「ほら、セツナ。飲んどけ。お前の『耳』が、また必要になるかもしれないからな」



「あ、ありがとうございます……」



セツナがそれを受け取り、自らも口にしようとした、その時だった。


ピピピ……。


これまでの警告音とも、通知音とも違う、静かだが、澄んだアラートがコックピットに響いた。


「アイ?」


アイが、それまでになく緊張を含んだ声で、報告した。



《マスター。……前方、ソナーが異常な空間の歪みを検知》



「歪み?」



《減速します。……間もなく……モンテストゥスより提供された、予想座標……》


メインスクリーンが、ノイズ混じりのソナー反応を懸命に3Dグラフィックへと再構築していく。 そこには、生物でも、岩盤でもない……自然物とは到底思えない、あまりにも巨大な「何か」の影が、深海の闇の奥に、静かに鎮座していた。


幾何学的な直線と、巨大な曲線。

まるで、山脈そのものをくり抜いて建造したかのような、途方もない「構造物」。


《――『星の監獄』に、到着します》


アイのその言葉に、俺たちは息を呑む。

ポセイドンのメインライトが、数億年の闇に閉ざされていた「構造物」の壁面を、ゆっくりと照らし出し始めた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

感想やレビューも、心からお待ちしています!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ