第243話:深淵の支配者
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「《……こちらに、気づきました》」
アイの報告が、クラッシュ・ゾーンを強引に突破した直後のコックピットに響いた。その声は、いつもの冷静さを欠き、観測史上ありえないものを見たかのように、わずかに震えているように俺、カガヤ・コウには聞こえた。
「一難去ってまた一難、か……!」
俺は悪態をつきながら、操縦桿を握り直し、メインスクリーンを睨みつけた。
先ほどまでの、船体を万力のように締め付けた乱流は抜けた。だが、ソナーが映し出すのは、安堵とは程遠い光景だった。
無数の『影』。
それらは、俺たちが今しがた潜り抜けてきた『クラッシュ・ゾーン』の周囲を、まるで取り囲むように、あるいは、その海流そのものを『創り出して』いるかのように、蠢いていた。
「……距離、不明。サイズ、測定不能」
アイが、データを再取得しようと必死に演算を繰り返している。だが、ソナーは異常なノイズに満ちている。
「セツナ、お前には『見える』か!」
「……いえ。でも……すごく、嫌な感じがします。さっきまでの、海流の『太い音』とは違う……もっと、生きている……大きな……!」
セツナが顔を青ざめさせ、コンソールを押さえるように見つめている。
「アイ、メインライト最大光量! あの『影』の正体を照らし出せ!」
「了解! ……ですがマスター、危険です! 未知の対象に光を当てるのは……」
「暗闇の中で怯えていても状況は変わらん! やれ!」
俺の号令と共に、ポセイドンの船体から純白の光条が放たれた。最新鋭のライトが、数千メートルの深海、光の届かない絶対暗黒を切り裂く。
そして、俺たちは見てしまった。
信じられない光景を。
「……なんだ、あれは……」
光の先に浮かび上がったのは、生物と呼ぶしかない何かだった。 いや、違う。生物がいる場所が、異常なのだ。 そこは、地球で言うところの「ブラックスモーカー」だった。海底から黒い熱水が、まるで工場の煙突のように猛然と噴き上がっている。
だが、俺たちの目を奪ったのは、その熱水そのものではない。
その黒い煙突の周囲に、「群がって」いる、影の正体だ。
全長は……百メートルを超えるだろうか。
それは、地球のいかなる生物とも似ていない。爬虫類のような、あるいは甲殻類のような、硬質に見える鱗に覆われた、長大な胴体。無数の触腕とも、ヒレともつかない器官をうねらせ、地熱火口から噴き出す超高温の熱水を、まるでエネルギーそのものを「捕食」するように、その巨大な口で受け止めている。
ソナーに映っていた「無数の影」は、この超巨大生物の群れだったのだ。
「……スキャンします。……信じられません。これほどの高圧、高温環境下で活動する巨大生物……。データベースに該当なし。既知のいかなる生物とも異なる、完全な未知の深海適応種です」
ここに生物学者がいたならこう言ったかもしれない。「生命は、我々の想像を遥かに超える場所で、想像を絶する形で繁栄している」と。
「マスター、危険です!」
アイの声が、今度こそ悲鳴に近くなった。
「彼らが、光に反応しました!」
遅かった。
俺たちが放った強烈な「光」。そして、クラッシュ・ゾーンを突破してきたポセイドンの駆動音とソナーパルス。
この絶対的な暗黒と静寂の世界において、それは、彼らにとって数億年ぶりの「侵入者」の合図だった。
「来ます……! たくさん……! この感じ……怒ってる……! すごく、怒ってます……!」
セツナが耳を塞ぐように頭を押さえる。
アイが瞬時に分析した。
「彼らにとって光は、地熱火口のエネルギーを示すシグナル。それを横取りに来た『敵』、あるいは『獲物』と認識した可能性……大です!」
「最悪のパターンかよ!」
「アイが警告してましたのに!」
俺の言葉にセレスティナが苦言を呈する。ばつの悪さを感じながら、俺はメインスクリーンに目をやる。すると、そのメインスクリーンが、瞬く間に赤い警告アイコンで埋め尽くされた。 ソナーが、全方位からの急速な接近反応を捉える。十数体……いや、二十に迫るかもしれない。地熱火口の影に潜んでいた群れが一斉に、光の発生源であるポセイドンめがけて突進してくる。
「回避! 右舷スラスター!」
俺が叫ぶと同時に、凄まじい衝撃が船体を襲った。
ガギィィン! と、X-912合金の特殊装甲が軋む、耳障りな金属音。
「ぐっ……!」
コックピットが激しく揺さぶられ、俺はシートベルトに強く体を打ち付けられた。
「船体状況!」
「右舷前部、第二装甲に亀裂! 浸水はありませんが、耐圧限界値が低下! マスター、二度目はありません!」
スクリーンに映し出された一体が、ポセイドンのライトに照らされる。目はない。その代わり、巨大な顎が音波か水流を感知するセンサーのように、細かく震えている。
こいつら、光ではなく「音」と「振動」で俺たちを正確に捉えている!
「アイ、奴らの弱点は!?」
「不明です! ですが、あの巨体。複雑な地形での機動性は、ポセイドンの方が上のはずです!」
「賭けるしかねぇか!」
俺はソナーが映し出す3D地形図に目を走らせた。この地熱地帯の先は、切り立った崖が続く海底渓谷になっている。
「アイ、前方の海底渓谷へ突入する! 渓谷の地形データをリアルタイムで解析しろ!」
「マスター。危険が伴います」
「危険だからこそ、奴らを撒ける!」
「了解です。 シミュレーション開始……、マスター。シミュレーション結果をメインスクリーンに出します。」
「よし、高速潜航開始。いくぞ!」
俺は操縦桿を倒し、ポセイドンのメインスラスターを全開にした。
船体が、重い水圧を切り裂いて加速する。
「セツナ、一番デカいのが来るタイミングを教えろ! お前の『感覚』だけが頼りだ!」
「は、はいっ! ……今!来ます!真下!」
俺はセツナの言葉を信じ、即座に右舷スラスターを最大噴射、船体を強引に水平移動させた。 直後、ポセイドンがさっきまでいた空間を、巨大な顎が空振りして突き上げてくる。もし選択をミスっていたら、船底から食い破られていた。岩盤を砕くほどの顎だ。
「ナイスだ、セツナ! アイ、渓谷に突入するぞ!」
ポセイドンは、まるで戦闘機のように、狭く複雑な海底渓谷の中へと突っ込んでいった。 ソナーが乱反射し、目の前のスクリーンには、目まぐるしく変わる岩壁のデータが描画されていく。 地球連邦の技術理論と、マザーたち惑星AIの設計思想。その二つを融合させ、アイがガリアの地で鍛え上げたこのポセイドンは、俺の操縦技術、アイの超演算、そしてセツナの超感覚という三つの力を束ね、深海の隘路を突き進む。 まさに俺たちの力が、今、この深海で試されている。
「アイ、この先のルートは!?」
「シミュレーション……3秒後、右へ急旋回。その後、上昇。それが最短です!」
「待って!」
セツナが叫んだ。
「右、ダメです! 小さいのが……たくさん、待ってます! 左です! ギリギリですけど、左しか……!」
最短だが、敵の待ち伏せがあるルートか。
あるいは、危険だが、敵が予測していないルートか。
俺の決断は、一瞬だった。
「アイ、計算中止! セツナの感覚を信じる! 右舷スラスター最大! 強引にねじ込むぞ!」
「マスター!? 危険です!」
「うるさい! やれ!」
俺は操縦桿を左に切り、船体を傾けた。ポセイドンが、左の岩壁スレスレ、数メートルの隙間を強引にすり抜ける。
その瞬間、アイのソナーが、セツナの言う通り、右側の隘路に潜んでいた小型の群れを捉えた。
「……回避、確認。セツナの感知通り、右舷側に敵影多数」
アイが淡々と報告する。
「ふぅ……。セツナ、お前の耳は、この船の最新ソナーより正確だな」
「いえ……あの、音、じゃないです。嫌な……感じ、が……」
「どっちでもいいさ。大助かりだ」
俺は笑い、だが、すぐに表情を引き締めた。
「だが、連中、まだ追ってくるぞ!」
背後のソナー反応は、一向に数を減らさない。渓谷の狭さで多少スピードは落ちているが、執拗に俺たちを追ってくる。
「チッ、しつけぇな……。アイ、この先の渓谷で、一番狭い場所は?」
「前方、500メートル。幅、推定150メートル。両側は切り立った岩壁です」
「そこの岩盤データは?」
「……スキャンします。……地質、比較的脆い構造と予想。強い衝撃で崩落の可能性があります」
それを聞いて、俺はニヤリと笑った。
「上々だ。そこで時間稼ぎをする」
「マスター?」
俺はポセイドンを減速させ、例の隘路で船体を反転させた。追ってくる群れの先頭が、ライトの先に姿を現す。
「アイ、オート・マニピュレーター・アーム起動! 右舷の岩壁を掴んで船体を固定しろ!」
「了解!」
ガシャン、と重い音を立てて、X-912合金製のアームが岩壁に食い込む。
群れが、獲物が止まったと見て、一気に距離を詰めてくる。
「今だ! アームで岩盤を強打! 衝撃で崩落させる!」
「危険です! 船体にも衝撃が!」
「やるしかない! 最大防御!」
アイは、ポセイドンの全エネルギーを防御フィールドとアームに集中させた。
マニピュレーターが、深海の重い水圧の中で、ゆっくりと、しかし確実に振りかぶられる。
そして、岩壁を全力で殴りつけた。
ズウゥゥン……! と、水そのものが振動するような、重く鈍い衝撃が船体を襲う。
凄まじい振動と共に、上部の岩盤が、スローモーションのように崩れ落ち始めた。
「スラスター全開! 離脱!」
アームを格納し、ポセイドンが急発進する。
直後、俺たちがいた空間は、数千トンの岩石と濁流に飲み込まれた。
渓谷そのものが、塞がったのだ。
「……後方、敵性反応、消失。……一時的ですが、足止めに成功しました」
アイの淡々とした声が、コックピットに響く。
だが、勝利の余韻はなかった。
ポセイドンの船体各所から、けたたましい警告音が鳴り響いていた。
「マスター、船体各所に微細なクラック発生。浸水はしていませんが、これ以上の戦闘、及び衝撃は危険です」
「……わかってる」
俺は損傷状況を示すモニターを睨みつけ、操縦桿を握り直した。
「急ごう、アイ。連中が岩盤を掘り起こして戻ってくる前に、目標座標に着くぞ」
満身創痍。それが、今のアルカディア・ノヴァ改「ポセイドン」の姿だった。 だが、俺たちは止まらない。いや、止まれない。
この、光なき深淵の、さらに奥底にある「星の監獄」を目指して。 ポセイドンは、再び暗黒の闇へと、静かに進み始めた。
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