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第242話:計算と直感

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「——何者かが、意図的に海水を圧縮しているかのようです」


アイの冷静な分析結果が、船体を軋ませる耳障りな金属音よりもなお、俺たちの背筋を凍らせた。


「意図的、だと……? アイ、それは……」


俺が青ざめた顔で問い返そうとした瞬間、モンテストゥスが、計器から視線を外さないまま、興奮を隠しきれない声で呟いた。


「この惑星の深淵には、我々の計算すら嘲笑(あざわら)う『未知の(ことわり)』が、まだ息づいていたということか……」


「モンテストゥス! 感心してる場合か!」


俺は船体の制御に必死で怒鳴り返す。


《マスター! 船首にかかる圧力が、危険領域(レッドゾーン)に突入します!》


「くそっ!」


俺は操縦桿のトリガーを引いた。


「耐圧シールド、最大展開! 同時に、可変式バランサーを作動! 船体の圧力を後方へ逃がせ!」


《了解! 耐圧シールド、最大出力。可変式バランサー、圧力配分を後方20パーセントへシフト!》


「ポセイドン」の船体下部から、可動式のフィンが展開し、エーテルの微弱な光を放ちながら、水流そのものの流れを強引に制御しようと試みる。同時に、船首に局所的なシールドが展開され、直接的な水圧が和らいだ。


ギシギシ、という嫌な金属音は続いているが、先ほどまでの船体がひしゃげそうな悲鳴は、わずかに小さくなった。


「……! 船体の揺れ、収まりましたか……?」


クゼルファが、剣の柄を握りしめるようにシートの肘掛けを掴みながら、強張った声で言った。彼女はこの暗闇の深海で、自慢の剣技が一切通用しないという現実に、誰よりも強い圧迫感を感じているのかもしれない。


「いや、まだだ」


俺は油断なく計器を睨む。


「アイの分析が正しければ、ここは『強力な深層海流がぶつかる場所』だ。今のは、その入り口に過ぎない」


ゴウッ……!


俺の言葉を裏付けるように、船体が再び大きく揺さぶられた。今度は、左右から挟み込むような、ねじ切るような圧力だ。


「きゃあっ!」


「わっ!」


セレスティアとクゼルファが、今度こそシートから振り落とされそうになり、悲鳴を上げた。


「マスター! 船体右舷の外部センサー・アレイが、水圧により破損!」


ピピピピピ! と、別種のアラートが鳴り響く。


「なんだと!?」


「右舷側のソナー及び環境センサーが、完全に沈黙しました! ソナー映像視界が30パーセント低下します!」


メインスクリーンに映し出されていた地形データの一部が、ノイズの闇に塗りつぶされた。


索敵能力の低下。それは、この絶対的な暗闇において、死角が生まれたことを意味する。


「なんてこと……。この闇の中で、目と耳が奪われるなんて……!」


セレスティアが唇を噛む。


「くそ……! このままじゃ、次の巨大な海流(うず)に捕まったら、どっちに回避すればいいか分からないぞ……!」


俺は必死に船体のバランスを取り戻そうと、操縦桿を操作する。だが、右側の情報がないままでは、機体をどちらに傾けるべきか、アイのシミュレーションも正確性を欠く。


「……計算が、追いつきません。マスター、このままでは、次の圧力変動を回避できる確率は、45パーセント……」


アイの声が、わずかに揺らいだ。


「カガヤ。この予測不能性、計算が破綻するこの瞬間こそ、人間の力が試される」


モンテストゥスだけが、この状況をに置いても動じていないようだ。


(だが、こいつの言う通りだ……計算がダメなら、別の『何か』で補うしかない!)


その時だった。


「……カガヤ様」


ずっと目を閉じ、何かを考えこんでいたセツナが、か細くしかしはっきりとした声で言った。


「……聞こえます」


「セツナ? 何がだ」


「音、です。先ほどの『泣く声』とは違う……もっと、こう……地響きのような……。左です! 左前方から、とても『太い』音が、ぶつかり合っています!」


彼女は、ノイズまみれの闇を指差した。


「右は……右は、『静か』です。静かすぎます。まるで……水が、吸い込まれているような……」


左から、ぶつかる音。

右は、吸い込まれる音。


俺の脳裏で、アイのシミュレーションデータと、セツナの『直感』が交差した。


(クラッシュ・ゾーン……海流がぶつかる場所……。セツナが聞いた『太い音』が、海流同士の激突そのものだとすれば、その反対側……『静かすぎる』場所は、海流がぶつかった反動で生まれた、一瞬の『真空地帯キャビテーション』あるいは『穏やかな逃げ道』じゃないのか……?)


「アイ! 現在のシミュレーションを破棄! セツナの聴覚情報を最優先パラメータとして、再計算! 回避ルートを右舷に設定!」


《……! 了解しました! 思考ルーティンを変更。セツナの生体情報を、環境センサーの代替として同期。……再計算、完了。マスター、危険です。右舷側は、現在、ソナーが完全に沈黙している領域です》


「構わない! 計算が闇なら、直感を信じるしかない!行くぞ、セツナ! お前の耳を信じる!」


「は、はいっ!」


「全バランサー、右舷へ最大出力! 進路、右下30度!」


《了解!》


ポセイドンは、軋む船体を強引にねじ伏せ、セツナが指し示した『静かすぎる』闇の中へと、突込んでいった。


瞬間、船体を締め付けていた万力のような圧力が、フッ、と抜けた。

まるで、激流の中の、岩の陰に隠れるように。


「……圧力が……正常値に戻っていきます」


アイの淡々とした声が、コックピットに響く。


「……抜けた…、のですか?」


クゼルファが、信じられないといった様子で呟いた。


「ああ……。どうやら、切り抜けたらしい」


俺は、汗で濡れた手のひらを、操縦桿からそっと離した。


「セツナ、ファインプレーだ。お前の耳が、俺たちを救った」


「あ……。えっと……、お役に立てて、よかったです……」


セツナは、緊張から解放されたように、へにゃり、とシートに深く沈み込んだ。


「ふぅ……。まったく、肝が冷えましたね」


セレスティアも、大きく息をつく。


「いやはや……素晴らしい。実に素晴らしい連携であったな。カガヤ、セツナ。 計算(ロジック)直感(センス)の融合。 これこそが、未知の(ことわり)を解き明かす鍵……」


モンテストゥスは、一人何か言っている。


俺が呆れ半分でモンテストゥスを一瞥した、その時だった。


安堵の空気を切り裂くように、アイの警告音が、再びコックピットに響き渡った。


ただし、今度は、先ほどまでの水圧アラートとは、質の違う、低い警告音だった。


「アイ……?」


《……マスター。第一の難関は、突破したようです》


アイの声は、なぜか硬かった。


《ですが、……前方ソナーに、巨大な生体反応を、多数、捕捉しました》


メインスクリーンに、先ほどまでノイズで欠けていた右舷側を含む、全方位のソナー映像が、再構築されていく。


そこには、無数の『影』が映し出されていた。


それらは、俺たちが今しがた潜り抜けてきた『クラッシュ・ゾーン』の周囲を、まるで取り囲むように、あるいは、その海流(うず)そのものを『創り出して』いるかのように、(うごめ)いていた。


《……距離、不明。サイズ、測定不能。……マスター、この反応……》


アイの声が、震えているように聞こえた。


《……こちらに、気づきました》


一難去ってまた一難とはまさにこのことだな。俺は、次なる脅威に対応すべくスクリーンを見つめた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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