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第241話:深淵の洗礼

お読みいただき、ありがとうございます。

これより第13章スタートです。お楽しみいただければ幸いです。

宇宙の深淵が、その冷たい真空と絶対的な闇によってあらゆる生命を拒絶するとすれば、この星の深海は、圧倒的な「圧力」という名の物理的な力で、訪れる者すべてを押し潰そうとする。


ガリア北方の地下水脈、その長大な暗闇を抜け、俺たち「黎明の守護団」を乗せたアルカディア・ノヴァ改、深海潜航仕様、コードネーム「ポセイドン」は、ついに大陸棚と呼ばれる広大な外洋の海中へと滑り出ていた。


「ポセイドン」と名付けたのは俺だが、それは地球の神話に由来する。この星の海を支配する「何か」がいるとすれば、その(ふところ)へ入るための挨拶代わりといったところだ。


船体は、アイが持てる力を総動員し、ガリアの秘密ドックでオート・マニピュレーターを駆使して組み上げたものだ。俺たちが苦労して手に入れた希少なレアメタル『X-912』を惜しげもなく使用した特殊合金で、二重に補強されている。コックピット内部も、通常の航行時とは異なり、各コンソールには耐圧隔壁の緊急閉鎖スイッチや、船内気圧の微調整モニターが追加され、重苦しいまでの物々しさを漂わせていた。


メインスクリーンに映し出されるのは、まだ太陽光がかろうじて届く、青緑色の世界。だが、それはどこまでも濁り、プランクロンか未知の微生物の群れが、雪のように舞っている。


「……ここが、深き海。なんという濃密な……『気配』」


コックピトの補助席で、セレスティアが息を呑む。彼女の言う通りだった。この惑星の深海の中は巨大で、原始的な生命のスープに浸されたような感覚だ。


「ソラリスの聖域とは、対極にある世界ですね。光が神聖ならば、ここは……」


「生命の坩堝るつぼ、とでも言うべきか」


俺は彼女の言葉を引き取った。


「宇宙が『無』から始まるなら、深海は『全て』が混ざり合う場所だ。どちらも、俺たちにとっては等しく異郷だよ」


「ですが、カガヤ様」


隣の席で、セツナがこわばった表情でスクリーンを見つめている。


「先ほどから、奇妙な反響音が聞こえ続けています。まるで……泣き声のようにも聞こえますが…」


彼女の鋭敏な聴覚は、ソナーが拾う超音波の微細な乱れすらも「音」として認識してしまうらしい。


「それはおそらく、この海域に生息する巨大な海棲生物の群れの反響音だろう。俺の故郷の惑星(ほし)にも似たような……そう、たしか、クジラの歌だったかな」


俺は努めて冷静に答えた。


「だが、油断はできない。俺たちの常識が通用する場所じゃないことは、間違いないからな」


この惑星(ほし)の海は、エーテロン大気に覆われたこの惑星以上に未知に満ちた領域だ。四体の超AIが突き止めた『星の牢獄』へと繋がる「亜空間ゲート」は、このさらに奥、光の届かない超深海「世界の終わりの深淵」の底にあるらしい。


「よし。これより最終潜航ブリーフィングを開始する。アイ、操縦を任せた」


《了解しました、マスター。深海潜航モード、フェイズ2に移行。当面私が操縦します》


俺は操縦桿を握る手を離す。

「アイ。メインスクリーンに、潜航ルートと予測データを」


《了解、マスター》


アイの合成音声が響き、青緑色の光景が、瞬時に立体的な海底地図へと切り替わった。俺たちが今いる大陸棚の端から、一気に落ち込む巨大な海溝――「世界の終わりの深淵」の断面図が、冷たい光で描かれていく。


「現在深度、推定380メートル。大陸棚の端に到達しました。これより、目標ポイントである『亜空間ゲート』座標まで、垂直潜航を開始します。目標深度、8,500メートル」


アイの淡々とした報告に、コックピットの空気が一層重くなる。


「8,500メートル……。想像を絶する深さ、ですね」


セレスティアが、ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。


「この星の重力と海水の組成を考慮した水圧シミュレーションを提示します」


アイが提示したデータは、船体にかかる圧力を示す赤いグラフだった。深度が増すにつれて、その数値は指数関数的に跳ね上がっていく。


「深度8,000メートルを超えた地点での予測水圧は、1平方センチメートルあたり約850キログラム。地球連邦の最新鋭の深海調査艇でも、活動限界ギリギリの数値です。……この星の常識で例えるなら、親指の爪ほどの面積に、荷物を満載した大型の荷馬車が乗るようなものです」


「ひぅっ……!」

クゼルファが小さく息を呑んだ。


「この『ポセイドン』の船体は、理論上、その1.5倍の圧力まで耐えられるよう設計されています」アイは続けた。「しかし、これはあくまで『計算上』の数値です。予測される危険因子は三つ。第一に、シミュレーションを超える局所的な水圧の変動」


「第二は?」俺が尋ねる。


「未知の超大型生物との遭遇。この深度に、もしこの星の理……魔力やエーテルと親和性の高い生物が存在した場合、その生態も攻撃方法も、我々のデータにはありません」


「そして、第三は?」


「亜空間ゲートそのものです」


その言葉を引き継いだのは、後部座席で興奮に目を輝かせているモンテストゥスだった。

「その通りだ、補助ユニットアイ。 ふむ……わたしの計算によれば、ゲートが近い場所では、時空そのものが歪んでいる可能性がある。それが、海水にどのような影響を与えているか……」


「最悪の場合、船ごと『別の場所』に転移するか、圧縮される可能性もあるってことか……皆、覚悟はいいな」


俺は全員の顔を見渡した。セツナは緊張で顔こそ青ざめているが、その瞳の奥には決意の光が宿っている。セレスティアは、隣に座るモンテストゥスを一瞥してから、俺に向き直り、強く頷いた。


「アイ。更に潜航」


《了解。アルカディア・ノヴァ改『ポセイドン』、潜航します。進路、直下。世界の終わりの深淵へ》


船体が静かに、しかし確実な重みを持って沈み始める。


深度500メートル。まだ青さが残っていた世界から、急速に光が失われていく。

深度1000メートル。完全な闇。コックピットの計器の光だけが、俺たちが「空間」にいることを示している。


スクリーンは高感度ソナーが捉えた地形映像に切り替わっている。だが、それはまるで幽霊が描いた水墨画のように曖昧で、不気味な影が絶えず(うごめ)いていた。


太古の学者は言った。我々は星の塵から生まれたと。ならば、この光の届かない深淵で、星の光とは無関係に育まれた生命がいるとすれば、それは我々とは全く異なる(ことわり)で動く存在だろう。


ここは、宇宙とは別の『深淵』だ。


深度3000メートル…。深度4000メートル…。 深度5000メートル。


潜航は、不気味なほど順調だった。


ソナーが時折、巨大な何かの影を捉えることはあったが、相手もこちらを警戒しているのか、近づいてくる様子はない。


「……静か、ですね」

セレスティアが、沈黙に耐えかねたように呟いた。


「嵐の前の静けさ、でなければいいんだがな」


俺がそう応えた、直後だった。


ピピピピピ! ビーッ! ビーッ!


けたたましいアラートが、コックピットの静寂を引き裂いた。


「どうした、アイ!」


《警告! 警告! シミュレーションを超える、想定外の水圧変動を検知!》


ガァンッ! ミシッ! ギシシシ……!


腹の底に響くような衝撃と同時に、船体そのものが軋む、耳障りな金属音が響き渡った。


「きゃあっ!」


「うわっ!」


セレスティアとクゼルファが、同時に短い悲鳴を上げ、座席のシートベルトを強く握りしめる。


「船体各所に、予測値の1.2倍の負荷が発生! 特に船首部分に圧力が集中しています!」


「局地的な高圧帯か!? だが、それにしては急すぎる!」


俺は操縦桿を握り、船体のバランスを必死に保つ。


「来たな、深海の洗礼が……!」


俺は忌々しげに呟き、アイに叫んだ。


「アイ! S状況を分析しろ! なぜ予測を超える水圧が、こんな局所的に発生する!」


《……分析中です。マスター、これは……》


アイの冷静な声に、焦りのようなノイズが混じる。


《高感度ソナー及び地形データとの照合完了。この領域は、複数の強力な深層海流が複雑に衝突する、想像を絶する水圧の変動地帯(クラッシュ・ゾーン)であると判明しました》


「やはり、一筋縄ではいかないか。だがアイ、それだけか? 自然現象としての海流で、これほどのピンポイントな衝撃が発生するのか?」


《……いいえ、マスター。それが不可解な点です。シミュレーションを再構築しましたが、たとえ強力な海流の衝突があったとしても、自然現象でこれほど急激かつ局所的な水圧変動は発生し得ません。これは、我々の流体力学の常識を逸脱しています》


アイの声が、さらにワントーン低くなる。


《……まるで、何者かがこの領域の海水を、意図的に『圧縮』し、我々を掴み取ろうとしているかのようです》


「意図的、だと……?」


その言葉が、俺たち全員に、この星の海の本当の厳しさと、その底知れぬ「何か」の存在を痛感させた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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