第230話:歓喜の果てに
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地底湖に満ちていく澄んだ水音は、やがて聖域の洞窟を満たし、オアシスの集落へと歓喜の知らせを届けた。
枯れ果てていた泉から再び命の水が湧き出したのを見たヴァナディースの民は、最初は何が起きたのか理解できず、幻でも見ているかのようにただ呆然と立ち尽くしていた。だが、目の前の出来事が真実であると解るや、集落は瞬く間に割れんばかりの歓声に包まれた。
聖域から戻った俺たちは、文字通り、民を救った英雄として迎えられた。屈強な戦士たちは、俺たちの前で敬意を込めて深く頭を垂れ、老婆たちは涙ながらに俺たちの手を握りしめて感謝の言葉を繰り返す。子供たちは、見るもの全てが珍しいのか、俺たちの周りを興味深そうに、そして少しおっかなびっくりと走り回っていた。
その日の夜、オアシスでは盛大な祝宴が開かれた。貴重な水がふんだんに使われた料理や、大切な日のためにとっておいたのであろう果実酒が振る舞われ、広場の中央では大きな焚火を囲んで、老いも若きも、男も女も、皆が手を取り合って踊っている。その光景は、俺たちがここに来た時の、あの張り詰めた空気とはまるで別世界のようだった。
「やりましたね、カガヤ様!」
クゼルファが、上機嫌で頬を赤らめながら、酒の入った杯を掲げる。
「まあな。だが、俺一人の手柄じゃない。それぞれの専門家が、きっちり自分の仕事をした。それだけのことだ」
俺の言葉に、セレスティアとセツナも、穏やかに微笑んで頷いた。
苦しい戦いだった。だが、その先にあるこの笑顔を見れば、全ての苦労が報われるというものだ。俺は、黎明の守護団団長としてではなく、一人の人間として、心の底から安堵のため息をついた。
そんな祝宴の喧騒から少し離れた場所で、俺は静かに眠り続けるサハリエルと、その傍らで祈りを捧げるセレスティアのもとを訪れた。ライラの残滓と共鳴し、奇跡を起こした彼女は、まだ少し疲労の色を残している。
「……カガヤ様」
俺に気づいたセレスティアが、ふわりと微笑んだ。
「サハリエル様は、とても穏やかです。今は、心地よい眠りについておられます」
「そうか……。セレスティアの力と、それにライラ様の力がなければ、サハリエル様はもたなかっただろうな。感謝してる、ありがとう」
俺がそう言った、その時だった。
《……感謝します。小さき者たちよ》
直接、脳内に響き渡る、荘厳で、そしてどこまでも慈愛に満ちた声。それは、眠っているはずの大精霊サハリエルの声だった。
驚く俺たちの前で、サハリエルの黄金色のエーテル体が、これまで以上に輝きを増す。それは苦痛の光ではなく、生命そのものが放つ、気高く神々しい光だった。
《我が同胞、ライラの呼びかけがなければ、わたくしは狂気に飲み込まれていたでしょう。そして、あなた方の知恵と勇気がなければ、この苦しみから解放されることはありませんでした。この星の調律者として、心より礼を言います》
その言葉は、セレスティアだけでなく、俺の心にも直接届いていた。どうやら、ライラの残滓を介して、俺たちの意識もサハリエルと繋がったらしい。
「……大精霊サハリエル様。あなたの苦しみの原因は、取り除かれました。もう、何も心配はいりません」
セレスティアが、敬虔に頭を垂れる。 だが、サハリエルの返答は、俺たちの予想と少し違うものだった。
《いいえ……。本当の脅威は、去っていません。今のままでは、この先に大きな厄災が起こりうる可能性があります》
その、衝撃的な言葉に、俺たちは息を呑んだ。
《わたくしが、この星にその身を繋ぎ止めるための『依り代』を、失ったままです。このままでは、私はこの世界に存在し続けることが難しくなります。》
「依り代……? 存在できなくなる?」
その言葉に、俺の隣で話を聞いていたモンテストゥスが、ハッと息を呑む気配がした。
「……! やはり、そうか……」
モンテストゥスが、苦々しく呟いた。
「星の民の計画では、この地には三体の精霊獣が配置されるはずだった。だが、大災厄の後、この世界で存在していたのは、生体惑星環境制御ユニットである『微睡む山脈』 ……つまり、我、ただ一体のみ……。残る二体のうちの一体を、サハリエルが依り代としていたのだな」
サハリエルの言葉が、モンテストゥスの知識と結びつき、事実が明らかになる。 プラントの暴走は、いわば、鎧を失った兵士が、流れ矢に当たってしまったようなもの。本来の依り代たる精霊獣と共にあれば、あれほどの苦痛を受けることはなかったのだろう。
《依り代を失ったわたくしは、不完全な存在。この星の生態系を調律するどころか、我が身の存在さえも持続することができません。このままでは、いずれこの世界に訪れる『終焉』の刻を、ただ待つことしか……》
サハリエルの、悲痛な声が響く。
「……いや」
その言葉を遮ったのは、モンテストゥスだった。その瞳には、これまで見せたこともない、強い決意の光が宿っていた。
「まだだ。まだ、終わりではない」
彼は、俺たち一人一人の顔を、そして宙に浮かぶサハリエルの光を、力強く見据えて宣言した。
「失われた精霊獣を、時空の彼方から、この世界に連れ戻さねばならない。それこそが、我ら『星の民』の被造物が、果たすべき、宿命だ」
「そうだな。そして、俺たち黎明の守護団の仕事でもあるしな。」
そう言って、俺はモンテストゥスを見やる。
祝宴の喧騒が、どこか遠くに聞こえる。
一つの戦いを終えた安堵感は、瞬く間に消え去り、俺たちの前には、時空さえも超える新たな使命が示されていた。
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