第226話:科学と信仰の天秤
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聖域の最深部、地底湖に響き渡る大精霊サハリエルの苦悶の叫び。その原因が惑星の深淵に眠る古代文明の遺物だと判明したものの、俺たちはあまりにも巨大な問題の前に立ち尽くしていた。
「原因は、その古代の遺物……!惑星の奥深くにあるというのに、こんなもの、どうやって止めればいいというのです……!」
クゼルファが、やり場のない怒りと無力感に、強く剣の柄を握りしめている。彼女の言う通りだ。原因は分かっても、解決への道筋は全く見えていない。
俺が次の一手を思考していると、洞窟の入り口側から複数の足音が響いてきた。
俺たちは即座に身構える。だが、現れたのは屈強なヴァナディースの戦士たちと、彼らに支えられるようにして歩いてくる長老ナーシュの姿だった。
「長老……! なぜここに……」
「不意に、儂らを呼ぶ声が聞こえたのじゃ。本来ならばこの聖域には入ることは許されないのじゃが……」
俺の問いにそう答えかけたナーシュ。しかし、ただ目の前の光景……苦しみに身をよじるサハリエルの姿を見て、絶句していた。その瞳からは、みるみるうちに涙が溢れ出す。
「ああ……おお……!我らが母、サハリエル様……!なんという、お労しいお姿に……!」
彼女は膝から崩れ落ち、大地に額をこすりつけて慟哭した。同行してきた戦士たちもまた、自分たちの守り神の惨状を目の当たりにし、武器を取り落として呆然と立ち尽くしている。彼らがこれまで感じていた漠然とした不安の正体が、これほどまでに残酷な現実だったとは、想像もしていなかったのだろう。
「……長老。ご覧の通りです」
俺は、祈る老婆の傍らに膝をつき、静かに語りかけた。
「サハリエル様は、病に罹っているのではありません。ましてや、何者かに呪われているわけでもない。この大地の奥深く……遥か底から響いてくる、『不快な音』によって、その御身を苛まれているのです」
「……音、じゃと?」
ナーシュが、涙に濡れた顔を上げる。
「ええ。我々には聞こえませんが、マナに敏感な大精霊様にとっては、耐え難い苦痛となっているはずです。聖域に満てていた『見えざる棘』の正体は、その音の振動でした。原因は、この地の遥か深部に埋まる、古代の巨大な仕掛けです」
俺は、彼女が理解できるよう、慎重に言葉を選んで説明した。惑星地殻振動プラントなどという言葉は使わず、あくまで彼らの信仰と世界観に寄り添う形で。
「その仕掛けを止めない限り、サハリエル様の苦しみは永遠に続くでしょう。そして、このオアシスも、いずれは完全に枯渇してしまう」
俺の言葉に、ナーシュは深く目を閉じ、長い沈黙に落ちた。地底湖には、サハリエルの苦しげな声だけが響いている。
やがて、ナーシュがゆっくりと顔を上げた。その瞳には、深い絶望と、かすかな希望が入り混じっていた。
「……おぬしらには、その『音』を止める術がある、と申すか」
「俺たちの技術だけでは不可能です」
俺はきっぱりと首を横に振った。
「ですが、俺たちの持つ技術と、あなた方が持つこの土地への知恵……古代から受け継ぎてきた伝承や知識を合わせれば、きっと道は拓けるはずです」
俺の提案は、ひとつの賭けだった。科学と信仰、異邦の技術と土着の知恵。相反するように見える二つを融合させることこそが、この絶望的な状況を打破する唯一の鍵だと、俺は信じていた。
しかし、ナーシュの瞳には、深い葛藤の色が浮かんでいた。
「……おぬしらの申し出は、ありがたい。じゃが……」
彼女の声は、長老としての重責に震えていた。
「おぬしらの言う『技術』とやらが、どのようなものか、わらわには分からぬ。それが、もしサハリエル様の御身をさらに傷つけることになれば……? 我らは、神を汚す取り返しのつかない罪を犯すことになる。その責めを、わらわは負えぬ……!」
それは、彼らの信仰を守る者として当然の判断だった。未知の力に頼るよりも、神聖な掟を守ることを選ぶ。たとえ、その先にあるのが緩やかな滅びだとしても。
交渉は、決裂か――。
重い空気が、俺たちを押し潰そうとした、その時だった。
「お待ちください、長老様」
凛とした声と共に、セレスティアが一歩前に出た。彼女の顔は未だ蒼白だったが、その瞳には、聖女としての強い意志の光が宿っていた。
「聖域を汚すことを恐れるあなた方のお気持ちは、痛いほど分かります。ですが……サハリエル様は、それを望んではおられません」
セレスティアがそっと胸に手を当て、祈るように目を閉じた。彼女から放たれた聖なる力に反応してか、サハリエルの乱れ狂う光の奔流の中から、一筋、力強くも穏やかな輝きが立ち上り、セレスティアを優しく包み込んだ。それは、苦痛の中にあっても失われることのない、生命を育む者としてのサハリエル本来の輝きだった。
セレスティアの瞳から、涙が静かに流れ落ちる。自らも耐え難い苦痛に苛まれながら、なお生態系の調律者としての使命を全うしようとする、大精霊の気高い意志に触れたことによる畏敬と感動の涙だった。
「……長老様。このオアシスがまだ完全に枯れていないのは、奇跡ではありません。サハリエル様が、この苦しみに耐えながら、必死にそのお力で支え続けてくださっているからです……!」
「サハリエル様は、あなた方の民を、我が子のように愛しておられます。自らの苦しみのために、子供たちが未来を閉ざされることを、何よりも悲しんでおられる……。今も、私の心に、その悲痛な想いが流れ込んできます。『どうか、我が子らを救ってほしい』と……」
彼女の言葉は、聖女の魂を介して伝えられる神の代弁。その敬虔な光と悲しみに満ちた声に、ナーシュも戦士たちも、息を呑んだ。彼らの信仰の根幹を、揺さぶる一言だった。
そして、間髪入れずに、クゼルファが堂々と胸を張って進み出た。
「長老ナーシュ殿。私は、フォルトゥナ王国が四大大公爵家の一つ、ゼラフィム公爵家の娘、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィムと申します」
彼女がその身分を明かすと、ナーシュの目に驚きが走る。まさか、こんな辺境の地に、大国の上位貴族がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
「我々は、この世界を覆う大きな災厄に立ち向かうために結成された、『黎明の守護者団』です。大精霊サハリエル様の苦しみは、決して、あなた方だけの問題ではありません。この世界に生きる、全ての民に関わる問題なのです」
クゼルファは、ナーシュの目をまっすぐに見据え、力強く宣言した。
「ここに、フォルトゥナ王国の名において、約束いたします。我らは、決してあなた方の信仰を蔑ろにはしません。サハリエル様を救い、この地に再び平穏を取り戻すため、我らが持つ全ての力をもって、あなた方に協力することを誓います」
科学的見地からの、俺の説得。
信仰に寄り添う、セレスティアの代弁。
そして、国家の名誉を懸けた、クゼルファの誓い。
三つの異なるアプローチが、ナーシュの心を、そしてヴァナディースの民の頑なな心を、少しずつ溶かしていく。
ナーシュは、セレスティアの放つ穏やかな光と、クゼルファの瞳に宿る真摯な光を、交互に見つめた。そして、最後に俺の顔を見て、深く、深く、息を吐いた。その顔には、長きにわたる迷いと葛T藤の末に、一つの答えを見出した者の覚悟が浮かんでいた。
「……分かった」
老婆は、全ての重荷を背負う覚悟を決めて、静かに呟いた。
「……異邦の者たちよ。おぬしらを……信じよう。我らが母、サハリエル様の未来を、そして、ヴァナディースの民の未来を……おぬしたちに、託す」
それは、科学が信仰を受け入れ、信仰が科学を信じた瞬間だった。
こうして、俺たち『黎明の守護者団』とヴァナディースの民との間に、繊細で不安定ながらも確かに絆が結ばれた。あとはそれをより強固で強い物にしていくだけだ。
サハリエルを救うための、長く険しい戦いが、今、本当の意味で始まろうとしていた。
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