第224話:砂漠の巫女、ナーシュ
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リザードマンの斥候たちに先導され、俺たちは沈黙のまま灼熱の砂漠を進んだ。彼らは一切の言葉を発さず、ただ前だけを見据えて歩き続ける。その引き締まった背中からは、故郷を、そして何かを必死に守ろうとする者たちの悲壮な覚悟が滲み出ていた。
一時間ほど歩いただろうか。地平線の彼方に、陽炎とは明らかに違う、鮮やかな緑の一帯が見えてきた。近づくにつれて、それは生命の奇跡とも言うべき光景となって俺たちの眼前に広がる。
澄んだ湧き水が湖を形成し、その周囲には豊かな緑の木々が生い茂っている。集落は、その自然の恵みに寄り添うように形作られていた。日干し煉瓦でできた家々が、巨大な岩盤を削って作られた住居と見事に調和している。あれが、ヴァナディース部族の集落なのだろう。過酷な砂漠にあって、そこだけがまるで別の世界のようだった。
集落に足を踏み入れると、住民たちが家々の陰から、警戒に満ちた瞳で俺たちを遠巻きに眺めていた。子供たちの姿はなく、張り詰めた空気が肌を刺す。斥候たちは俺たちを一つの建物へと案内すると、中に入るよう無言で促した。
通されたのは、岩盤をくり抜いて作られたであろう、窓一つない石室だった。入口は屈強な戦士たちによって固められ、これでは逃げ出すことは不可能だ。俺たちは賓客ではなく、未だ裁定を待つ侵入者として扱われているらしい。
「……随分と、手厚い歓迎ですこと」
クゼルファが皮肉っぽく呟くが、その表情に焦りはない。
セレスティアは静かに目を閉じ、セツナは壁に背を預けて微動だにしない。ミニモンテストゥスは部屋の隅で大きな体を丸め、まるで自分の寝床であるかのように静かに寝息を立てている。俺もまた、この状況を冷静に受け入れていた。彼らの警戒心は、彼らが置かれた状況の厳しさを物語っている。
どれくらいの時間が経っただろうか。重い石の扉が開き、一人の老婆が、二人の屈強な戦士に付き添われて入ってきた。
その老婆は、俺がこれまで見てきたどのリザードマンよりも小柄だったが、その存在感は圧倒的だった。深く刻まれた顔の皺は、まるでこの砂漠の歴史そのものを物語っているかのようだ。爬虫類特有の鋭い瞳の奥には、長年生きてきた者だけが持つ、底知れない知性の光が宿っていた。
「……わらわが、このヴァナディースの民を束ねる長老、ナーシュじゃ」
老婆のかすれた声が、石室に響く。
ここからが、正念場だ。俺は一歩前に出て、彼女に正対した。
「はじめまして、長老ナーシュ殿。俺はカガヤ・コウ。この者たちを率いる者だ。俺たちはあなた方の土地を脅かす者ではない。大陸の調査のために、この地を訪れた」
俺の言葉に、ナーシュだけでなく、後ろに控えていた戦士たちも驚愕に目を見開いた。彼らの言語を解する者など、この場にいるはずがない、と。
もちろん、これは魔法の類ではない。俺たちが拘束されている間、スティンガーが彼らの発する音声データを収集し、ガーディアンとマザーがそれを解析。アイがこの惑星の言語データベースを元に翻訳した情報を、直接俺の脳内に送り込んでいるのだ。そして俺は、神経同期学習システムで強化された言語中枢を介し、翻訳された言葉を淀みなく口から紡ぎ出す。
《アイ。他のメンバーにも同様の翻訳機能は付加できるか?》
《問題ありません。マスター。彼女たちが身に付けている通信機を使って同時翻訳することは可能です。ただ、喋る方はそれほど期待できないでしょう》
《それで問題ない。》
(……そういえば、クゼルファと初めて会った時も、こんな感じだったな)
懐かしい記憶が脳裏をよぎる。あの時はまだ、この世界の言語を話すことはできず、アイを介した一方的な対話しかできなかった。だが今は、こうしてリアルタイムで意思の疎通が可能だ。これも、俺とアイの旅の成果の一つだった。
俺は、自分たちの身分と目的を、この星の「終焉」という核心部分には触れずに、丁寧に説明した。ナーシュは、俺の言葉を黙って聞いていたが、やがてその鋭い瞳で俺を射抜くように見つめた。
「……異邦の者よ。おぬしらの言葉が真実か偽りか、今のわらわには判断できぬ。じゃが、おぬしらが只者でないことは、その『言葉』が証明しておる」
彼女は一度言葉を切り、深くため息をついた。
「……この集落が、尋常ならざる空気に包めれておることには、気づいておろう」
「ええ。まるで、何か大きな不安に怯えているかのように見えます」
俺の指摘に、ナーシュの瞳に深い悲しみの色が浮かんだ。
「……話そう。おぬしらが、この苦境を打ち破るための天の使いか、あるいは災厄を運ぶ凶兆か……。それを見極めるためにも」
ナーシュはそう言うと、俺に問いかけた。
「その前に、異邦の者よ。おぬしはこのオアシスを見て、何を感じた?」
「……ただの湧き水にしては、あまりに豊かすぎると。これだけの砂漠の真ん中で、これほどの生命を育む水と緑……何か、人知を超えた力が働いているように感じました」
俺の率直な感想に、ナーシュは満足げに頷いた。
「ほう……。おぬしは目の付け所が違うのう。その通りじゃ。このオアシスは、我らが『砂漠の精霊』様の御心によってのみ、存在を許されておる」
「砂漠の精霊……?」
「うむ。我らが母にして守り神、大精霊『サハリエル』様じゃ。あの方こそが、このオアシスの源泉そのものであり、砂漠の天候を司る御方。そのお力こそが、この灼熱の地に我らヴァナディースの生命を繋ぎ止める、唯一の楔なのじゃよ」
「じゃが……数ヶ月前から、我らが母なるサハリエル様が、聖域に引きこもられてしもうたのじゃ」
ナーシュの声が、悲痛に震える。
「時折、聖域の奥から、苦しげな咆哮が聞こえてくる。そのたびに、天は荒れ狂い、オアシスを枯らすほどの砂嵐が、我らを襲う……。現に、このオアシスの水も、日に日にその量を減らしておる」
部族は、存亡の危機に瀕していた。
守り神の苦しみは、そのまま民の苦しみへと直結している。集落に漂うピリピリとした空気の正体は、それだったのだ。
「我らも、何度も聖域へ足を踏み入れ、サハリエル様を救おうと試みた。じゃが、聖域は今や、母の苦しみが産み出した魔力で満ちておる。屈強な戦士でさえ、奥へは進めぬ……」
話を聞き終えた俺は、沈黙の後、静かに口を開いた。
これは、厄介事であると同時に、千載一遇の好機だ。彼らの信頼を得て、この先の調査を円滑に進めるための、またとない機会。商人としての勘が、そう告げていた。
「長老殿。もし、よろしければ……その聖域、俺たちが調査いたしましょう」
俺の言葉に、長老ナーシュの目が一層鋭くなったように感じた。
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