第223話:灼熱の回廊と蜥蜴人
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ミニモンテストゥスの賢者の道……空間転移によって、俺たちは一瞬にして『灼熱の回廊』と呼ばれる広大な砂漠地帯に到達した。しかし、移動の快適さとは裏腹に、その地に降り立った瞬間から、俺たちは文字通り灼熱の洗礼を受けることになった。
陽光は、遮るもののない空から白刃のように降り注ぎ、見渡す限りの赤茶けた大地を焼き尽くしている。陽炎が立ち上り、遠くの景色を蜃気楼のように歪ませていた。
「……あ、暑いです……!これでは、戦う前に干からびてしまいます!」
最初に音を上げたのは、意外にもクゼルファだった。公女としての気品はどこへやら、手で必死に顔を扇ぎながら、今にも泣き出しそうな声を上げている。冒険者として鍛えた体力も、この絶え間ない酷暑の前では消耗が激しいらしい。
その隣では、セレスティアが涼やかな微笑みを浮かべていた。彼女の周囲だけ、まるで春の木陰にいるかのように、穏やかで清浄な空気が流れている。薄い光のヴェールが彼女を包み、過酷な日差しを和らげているのだ。聖女の力は、こんなところでも発揮されるらしい。
「セレスティア様……少しだけ、そちらに……」
「ふふ、どうぞ。こちらへ」
クゼルファがすり寄っていくと、セレスティアは光のヴェールを少し広げ、その中へと優しく彼女を招き入れた。途端に、クゼルファの表情が安堵に満たされる。
一方、俺たちの後方で常に周囲を警戒しているセツナは、表情一つ変えずに佇んでいた。額に汗ひとつ浮かんでいない。まるで涼しげな森の中を散策しているかのように平然としている。彼女の精神力と肉体は、常人の域を遥かに超えていることを改めて思い知らされた。
さて、問題は俺だ。
「……溶ける……マジで溶けるぞ、これ……」
俺は、だらだらと流れる汗も拭わずに、ぜえぜえと肩で息をしていた。アイのサポートにより、装備には簡易的な冷却機能が備わっているものの、この惑星の強烈な恒星エネルギーの前では気休めにしかならない。
《マスター。体温の急激な上昇を感知。生命維持に支障をきたすレベルではありませんが、熱中症のリスクが高まっています。水分補給を推奨します》
「言われなくても……してるっつーの……」
水筒のぬるい水を呷りながら、俺は悪態をつく。商人として、どんな過酷な環境にも適応してきた自負はあるが、この純粋なまでの暴力的な暑さは、精神力をゴリゴリと削っていく。文明の利器がいかに偉大であったか、身をもって痛感していた。
そんな俺たちの、ある意味で平和な様子を切り裂いたのは、不意に向けられた殺気だった。
そんな殺気と共に砂丘の陰から、音もなく複数の影が現れた。 逆光の中に浮かび上がったのは、爬虫類を思わせる鱗に覆われた、直立する人型の生物。その手には、黒曜石の鋭い穂先を持つ槍が握られている。蜥蜴の獣人――リザードマンだ。地図によれば、この一帯はヴァナディース部族連合の領域。おそらく、彼らの斥候だろう。
斥候たちは、瞬く間に俺たちを取り囲み、槍の穂先を寸分の隙もなく向けてくる。彼らの喉から漏れるのは、シュー、シューという威嚇音と、我々には理解できない、短い言語。その瞳は、侵入者である俺たちへの強い警戒と敵意に満ちていた。
一触即発。
セツナが腰の刀に手をかけ、クゼルファも臨戦態勢に入る。だが、ここで事を構えるのは得策ではない。俺がどう仲介すべきか思考を巡らせるよりも早く、一人の人物が静かに前に出た。
セレスティアだった。
彼女は一切の警戒心を見せず、武器も構えず、ただ穏やかな微笑みを浮かべたまま、リザードマンたちに向かって一歩、歩み寄る。そして、その白く細い手を、胸の前で静かに合わせた。
ふわり、と。
彼女の体から、温かく、そして優しい光が溢れ出した。それは、攻撃的な魔力とは全く違う、ただただ純粋な祈りの光。その光には、敵意なく、ただ対話を願う純粋な意志が込められているようだった。
光に照らされた斥候たちの間に、明らかな動揺が走った。敵意に満ちていた彼らの瞳から、険が少しずつ和らいでいく。槍を構える腕の力も、心なしか緩んだように見えた。
その機を逃さず、今度はクゼルファが前に出た。彼女はセレスティアの隣に立つと、先ほどまでの暑さに喘いでいた姿が嘘のように、背筋を伸ばし、公女としての威厳をその身にまとった。
「わたくしたちは、あなた方の土地を荒らしに来た者ではありません。わたくしは、フォルトゥナ王国の四大公爵家の一つ、ゼラフィム公爵家が娘、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィムです。そしてこちらは、聖女セレスティア様。あなた方の長と、対等な対話の場を設けていただきたく参りました」
言葉は通じないはずだ。だが、彼女の凛とした声、そして指導者としての気品に満ちた立ち振る舞いは、言語の壁を越えて、彼らに「対話を求めている」という意図を明確に伝えた。
聖女が示した非敵意の光と、公女が示した対等な対話への意志。
二つのアプローチが、彼らの心を動かした。
斥候たちのリーダーと思わしき、一際体格のいいリザードマンが、仲間たちと短い言葉を交わした後、ついに槍の穂先を下げた。そして、俺たちに向かって、顎で「ついてこい」と示す。
言葉は通じなくとも、心は通う。
俺は、二人の頼もしい仲間の背中を見ながら、この世界の、そして人の可能性を、改めて感じていた。
未知の部族との、最初の接触。俺たちの長い旅は、今、ようやく本当の意味で始まったのかもしれない。
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