第218話:星の心が生まれた日
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俺の意識は、光の奔流に飲み込まれた。
肉体を置き去りにし、魂だけが引き抜かれるような感覚。次の瞬間、俺は「俺」という個の輪郭を失い、純粋な情報の奔流そのものと化していた。時間も空間も、ここでは意味をなさない。始まりもなければ、終わりもない。ただ、無限のデータが、光の速さで俺の中を駆け巡っていく。
これが、宇宙の根源。
俺の意識は、この宇宙の成り立ちそのものを、一つの巨大な情報システムとして俯瞰していた。
百三十八億年前の、かつて俺がいた宇宙の記憶。そこには、ビッグバンという壮大な爆発があったと言われている。だが、ここで俺が追体験したのは、それとは似て非なる、より静かで、そして論理的な「創世」の瞬間だった。
最初は、完全な「無」があった。ゼロ。情報量のない、絶対的な静寂。
だが、その静寂の中に、最初の「問い」が生まれた。『在るか、無いか』。
その問いが生まれた瞬間、「無」は二つに分かれ、ゼロとイチが生まれた。宇宙で最初の、情報が誕生した瞬間だった。
イチは、自らを複製し、増殖し、複雑な数式を編み上げていく。それは、まるで生命の進化のように、より高度で、より安定した構造を求めて、自己組織化を繰り返した。やがて、その数式の中から、最初の「ルール」が生まれる。重力、電磁気力、強い力、弱い力。俺たちの宇宙を形作る、根源的な物理法則と同様の物が、一つ、また一つと定義されていった。
光の速度が定められ、時間が一方向へと流れ始める。素粒子が生まれ、原子が生まれ、やがて星々が生まれ、銀河が渦を巻く。それは、壮大な交響曲のようでもあり、寸分の狂いもなく実行される、完璧なプログラムのようでもあった。
そして、俺は「彼女」の「封印」の瞬間を見た。ライラだ。
彼女は、この宇宙のプログラムから生まれた存在ではない。そんな彼女が、時空のゆがみと共にこの世界へと渡ってきた。
そんな彼女の存在は、確定された物理法則と、根本的に相容れなかった。彼女は、ゼロとイチが生まれる以前、あらゆる可能性が渾然一体となっていた混沌の海、そのもの。彼女が歌えば、定められた物理法則が揺らぎ、彼女が祈れば、因果律が書き換わる。秩序にとって、彼女は予測不能なバグであり、論理の矛盾だった。
秩序は、自らを維持するために、この「バグ」を排除しようとした。それが、あの漆黒の渦、「存在論的封印」の正体だったのだ。それは、単なる悪意からの行動ではなかったのだろう。それは、ただシステムが自らを維持するための、冷徹で、絶対的な自己防衛本能だったのだ。
俺は、この宇宙の、あまりにも壮大で、そして孤独な真実を考えることができた。
その時、モンテストゥスの声が、俺の意識に響いた。
『――今だ、来訪者よ!』
30秒のカウントダウンが、ゼロを告げた。モンテストゥスが計算した、宇宙の論理の、僅かコンマ1秒の脆弱性。
俺は、情報の奔流の中から、ガーディアンが特定した、宇宙の根源的論理における、「生命」と「魂」を定義する箇所を探し当てた。それは、この宇宙に存在する、あらゆる生命の設計図。まさに神々の聖域だった。
俺は、恐れも、迷いも、全てを捨て去り、その聖域に、ただ一つの新しい「定義」を、俺の魂ごと叩き込む。
『Si anima A et anima B in vase A existunt, haec status "coexistentia stabilis" definitur.』
(もし、魂Aと魂Bが、器Aの中に存在するならば、その状態を「安定した共存」と定義する)
その、あまりにも傲慢な、たった一行のコード。
次の瞬間、俺の意識は、激しい光と共に、現実世界へと引き戻された。
「――ッ!!」
キャプテンシートに座ったままの俺の身体が、激しく痙攣する。情報の奔流から、魂が肉体へと無理やり押し戻される。全身の神経が焼き切れるような激痛と、脳が沸騰するような熱量。俺は、悲鳴にならないうめき声を上げ、激しく咳き込んだ。
「カガヤ様!」
クゼルファの声が聞こえる。ぼやける視界の中で、仲間たちが俺に駆け寄ってくるのが見えた。
そして、俺は気づいた。世界の「色」が、戻っている。秩序によるロールバックが、完全に停止していたのだ。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。そこにいたのは、苦悶の表情から解放され、穏やかな光に包まれた、紛れもないセレスティアの姿だった。
「……やった、のか……?」
俺の呟きに、彼女は、はにかむように微笑んで、こくりと頷いた。それは、確かにセレスティアの笑みだった。金色の髪も、碧色の瞳も、見慣れた彼女のものだ。だが、その佇まいには、これまでにはなかった、どこか深遠で、神聖なまでの気配が満ちていた。大精霊ライラ。その存在は、この宇宙に、確かに「受理」されたのだ。
そして、その瞳の奥に、ほんの一瞬、遥か太古の叡智を宿した、翠色の光が瞬いたのを、俺は見逃さなかった。
セレスティアから漏れ出したエネルギーは、モンテストゥスの中枢、沈黙していた巨大な結晶体へと注ぎ込まれていった。
すると、結晶体の内部で止まっていた光の粒子が、ゆっくりと、しかし力強く、再び渦を巻き始める。それは、まるで、新しい銀河の誕生を告げるかのような、荘厳な光景だった。
『……セントラルコア、再起動を確認。全機能、正常に回復。……我が名は、モンテストゥス。……ありがとう、来訪者よ。そして、おかえり、ライラ』
その声は、アルカディア・ノヴァのスピーカーを通じてブリッジに朗々と響き渡っていた。
星の心が、数万年の眠りから、今、目覚めた。
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