第216話:聖女の変容
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漆黒の渦が霧散し、静寂が訪れた。
俺たちは勝利を確信しかけた。だが、次の瞬間、ライラを還元した「可能性」の奔流が暴走を始める。
白銀の光がブリッジを満たし、空間そのものが震える。船体を包むフィールドが悲鳴を上げ、艦内の重力制御が乱れ、床が大きく揺れた。
『マスター。危険です。このままではアルカディア・ノヴァごと飲み込まれます。』
アイの警告が脳に直接突き刺さる。
「ちっ……まだ終わってなかったのか!」
俺は必死に制御パネルへ手を伸ばす。だが数値は乱れ、システムは制御不能に陥っていた。
そんな中、セレスティアがゆっくりと立ち上がった。
涙の跡がまだ頬に残っている。だが、その瞳にはもはや迷いはなかった。
「ライラ様……あなたの力、私に……!」
光の奔流へ向かって歩み出すセレスティア。
「待て! セレスティア!」
俺の制止の声も届かない。
彼女の身体が白光に包まれる。聖女としての祈りと、大精霊としての残響が共鳴し合い、ひとつの存在へと変わっていく。
その姿はまるで、蝶が羽化する直前の蛹のように、脆く、そして神秘的だった。
「やめろ、セレスティア! お前まで消える気か!」
クゼルファが剣を抜き、光へ飛び込もうとする。だが、彼女の足は寸前で止まった。
光が剣を拒んでいたのだ。聖女にしか踏み込めぬ領域。
「ぐっ……! そんな……!」
クゼルファが悔しげに歯を噛む。
セツナは冷たい表情のまま呟いた。
「……俺たちには、ただ祈ることしかできないのか」
彼の拳は震えていた。仲間を救いたい、それでも何もできない――その無力さに。
光の中心で、セレスティアは声を聞いていた。
『……セレスティア』
それは幼い頃から夢の中で聞いてきた、優しい声。ライラの声。
『私は消えるべき存在。それでも、あなたは救おうとしてくれるのね』
「あなたは私を導いてくださった。私が聖女として歩めたのは、あなたがいてくれたからです。だから……消えてほしくない!」
『……ありがとう。でも、このままではあなたの魂が――』
「構いません! 私たちは今、仲間と共に戦っている。あなたを失えば、私も私ではなくなるのです!」
その叫びに応えるように、光が彼女の身体へと溶け込んでいく。
『融合率、上昇……!』
アイの報告が響く。
『警告。セレスティアの存在情報に、ライラのコードが重なりつつあります。このままでは――』
「……融合する、ってことか」
俺は呟く。
『はい。完全融合すれば、セレスティアは“ライラの依代”となり、自我を失う危険が高い』
ブリッジに沈黙が落ちる。
クゼルファが鋭く俺を見る。
「カガヤ殿、どうするつもりですか。見殺しにするのですか?」
セツナも俺に視線を向ける。
「答えろ、カガヤ。俺たちは二人とも救えるのか?」
俺は奥歯を噛みしめる。
科学者として、軽々しく答えは出せない。だが仲間を救うと誓った商人として、決断を迫られていた。
「……いや。救える。必ず二人ともだ」
俺の声に、仲間たちが驚きと希望を宿した目を向ける。
「存在を確率として再定義したのは俺たちだ。ならば“二人で一人”という在り方も可能なはずだ。セレスティアとライラ――二つの魂を共に抱えた、新しい存在にする!」
『理論上は成立します』
アイがすかさず補足する。
『ただし成功確率はきわめて低く、双方の魂の同調が不可欠です』
「なら、信じるしかないだろ」
俺は拳を握る。
その時だった。
光の中心で、セレスティアが再び声を発した。
「私は聖女セレスティア。そしてライラ様を愛する一人の人間です。……どうか、私たちを一つにしてください!」
その祈りに応えるように、奔流が変容する。
純白の光が静かに収束し、ブリッジ全体を包んでいた激流が穏やかな波となる。
やがて、光の中心から一人の少女が姿を現した。
銀髪に淡い翠の瞳。セレスティアに似ているが、どこか大精霊の気配を纏っている。
彼女は微笑み、震える声で告げた。
「私は……セレスティアであり、ライラです。二人の魂は、共に在ります」
ブリッジが静まり返る。
クゼルファが最初に口を開いた。
「……なんと、美しい……」
セツナもまた、わずかに口元を緩めた。
「ようやく……二人とも救えたのか」
だが俺は安堵する暇もなかった。
アイが再び警告を発する。
『マスター、周囲に異常波動! 宇宙の秩序が自己修復を開始しています!』
「くそ……やはり来たか!」
モニターに映し出されたのは、空間を覆う黒い霧の波。
秩序が、論理の再定義に対抗して巻き戻しを始めている。
「……つまり俺たちの存在そのものが、また消されるってことか」
『はい。このままでは、再び“観測拒絶領域”に閉じ込められる危険が高いです』
セレスティア=ライラが一歩前へ進み、強い光を放つ。
「私が……その領域を抑えます! この身は可能性そのもの。ならば、秩序の枠を揺るがせるはず!」
その声はセレスティアの清らかさと、ライラの深遠さを併せ持つ響きだった。
クゼルファは剣を掲げる。
「ならば我らはその存在を守る! この剣は、友を救うためにある!」
セツナもまた刀を構えた。
「俺たちの戦いは終わっていない。来るなら来い、秩序の番人!」
俺は深呼吸し、仲間たちに視線を送る。
「よし……全員、次の戦いに備えろ。ここからが本番だ!」
光と闇が交錯するブリッジで、俺たちは再び立ち上がった。
聖女と大精霊が一つになった存在――セレスティア=ライラ。
その誕生は奇蹟であり、同時に新たな戦いの火蓋でもあった。
迫りくる秩序の逆流に対抗すべく、俺たちの最終決戦が始まろうとしていた。
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