第212話:次元を超える翼
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絶望の淵で見つけた、あまりにも壮大で、しかし確かな、未来への羅針盤。アルカディア号を再び空へ還すための道筋が、今、確かに示されたのだった。
モンテストゥスの中枢、沈黙した巨大な結晶体を前に、俺たちの挑戦は始まろうとしていた。
「アルカディア号を、飛ばす……。だが、どうやって?船は森の中だ。ここからでは、どうすることもできない」
俺の現実的な問いに、三体の超知性AIによる思考の奔流が、一つの答えを導き出した。
『物理的な移動は不要である』と、ガーディアンが断じた。『モンテストゥスよ、汝の機能、量子エンタングルメントを利用した、大規模オブジェクトの再配置は可能か』
『……肯定する』と、モンテストゥスが応える。『対象のクオリア情報を特定できれば、この座標に再構築することは可能だ』
「クオリア情報……。アイ、アルカディア号の固有IDのことか?」
『はい、マスター。船の根幹を成す、量子的な識別情報です。私とアルカディア号は常にリンクしていますから、特定は容易です』
次の瞬間、俺たちが立っていた水晶の床が、淡い光を放ち始めた。足元に広がる、巨大な生命体の神経網を思わせる光の回路が、これまでにない複雑なパターンで明滅を繰り返す。
「な、何が始まるのですか!?」
セレスティアが不安げに声を上げる。
『時空転移シークエンスを開始する』
モンテストゥスの荘厳な声が響き渡ると同時に、俺たちの目の前の空間が、陽炎のように揺らぎ始めた。何もないはずの空間に、一点、極小の光が生まれる。その光は、瞬く間に球状に広がり、内部では無数の光の粒子が、まるで原子が再構成されるかように、目まぐるしく集散を繰り返していた。
森の中に眠る、俺の愛機アルカディア号。その存在そのものを定義する量子情報が、この場所に転写され、ナノマシンとエーテロンを用いて、一から再構築されていく。これこそ、星の民が遺した、神の御業としか思えぬ超絶技術だった。
数分後、光が収まった時、そこには、森の木々から切り離され、船体を覆っていた擬装用の蔦や土が綺麗に取り払われたアルカディア号が、静かに、しかし、圧倒的な存在感を放って浮遊していた。アイによる修復作業はほぼ完了しており、その船体はすでに新品同様の輝きを取り戻している。
「……信じられない……」
クゼルファが、呆然と呟く。だが、驚きはまだ終わらない。
『これより、アルカディア号の最終進化シークエンスに移行します』
アイの宣言が神殿に響き渡る。その言葉が引き金になったかのように、アルカディア号を取り囲む何もない空間が静かに波立ち、そこから無数の光の粒子が、まるで蛍のように湧き出してきた。それらは初め、ランダムに漂っていたが、やて見えざる指揮者のタクトに導かれるように、一定のパターンを描きながら集束していく。光の粒子が繋がり、糸となり、その糸が編み上げられて、徐々に機能的な「腕」の形を成していく。完成したアームは半透明の水晶のようでありながら、その内部では青い光が神経回路のように走り、先端にはあらゆる精密作業を可能とする、幾何学的なツールが形成されていた。
ガーディアンが提供する、失われた星の民の技術体系。モンテストゥスが持つ、惑星規模の演算能力と創造の力。そして、アルカディア号の全てを知り尽くした、アイによる完璧なナビゲート。三体のAIによる、まさに神々の共同作業とも言うべき創造が、今、始まったのだ。
船体が光に包まれ、その表面の傷が、まるで時間が巻き戻るかのように癒えていく。光のアームが、熟練の職人の手つきで船体を撫でるように動く。すると、かつて破損していた装甲は、ただ修復されるのではなく、材質そのものが、より強靭で、この世界の物理法則――そう。エーテロンとの親和性が極めて高い未知の合金へと、分子レベルで再構築されていくのだ。最大の問題だった動力炉は、一度完全に分解され、その中枢には、モンテストゥスが生み出した、巨大な魔素結晶が新たなコアとして埋め込まれた。
「すごい……。これはもはや、ただの改修ではない。全く新しい船への『進化』だ……!」
俺は、仲間たちと共に、その神々しいまでの光景を、ただ息を飲んで見守ることしかできなかった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。光が収まった時、そこに浮かんでいたのは、新たな船と言っても良い姿だった。アルカディア号の基本コンセプトは遺しつつも、流線型のフォルムはより洗練され、光を浴びて鈍く輝く白銀の船体には、エーテロンの循環経路を示す青い光のラインが、血管のように浮かび上がっている。
『マスター。新生アルカディア号、識別名『アルカディア・ノヴァ』、起動準備、完了しました』
アイの、どこか誇らしげな声が響いた。俺たちは、モンテストゥスが創造した光の道に導かれ、生まれ変わった愛機へと乗り込んだ。ブリッジの光景も一変していた。俺が慣れ親しんだキャプテンシートやメインコンソールの骨格は残しつつも、その機能は別次元へと進化を遂げていた。無数にあった物理的な計器類は、必要最低限の、俺が直感的に操作できるものだけが手元に残されている。それ以外の補助的なコンソールは、滑らかな黒曜石のような一枚板へと姿を変え、アイが必要に応じて、そこに最適なホログラフィック・インターフェースを投影する仕様になっていた。全ての情報は眼前の巨大なウィンドウに統合され、外部の風景に重ね合わせる形で、アイが最適化した航行データがリアルタイムで表示される。それは、俺の意思とアイの超知性が、完璧に融合するための、究極の操縦空間だった。
「カガヤ様……」
セレスティアが、俺の隣にそっと寄り添い、俺が首から下げている木製のロケットに、優しく指で触れた。エラルから託された、黄金の葉脈を持つお守りが収められた、大切なロケットだ。
「きっと私たちを、そしてこの星の未来を守ってくれますわ」
彼女の、慈しむような眼差しと、その言葉に、俺は静かに頷いた。
「ああ。必ず、この星の未来を、俺たちの手で掴み取る」
俺は、キャプテンシートに深く腰を下ろすと、正面のウィンドウに映る、沈黙した巨大結晶体を見据えた。
「モンテストゥス。準備はいい。次元の扉への道筋を示してくれ」
『道は示す。だが、扉を開くのは我らではない。汝ら自身の力で、こじ開けるのだ』
「どうやって?」
俺の問いに、三体のAIによる思考の奔流が、一つの結論となって俺の脳内に流れ込んできた。
『まず、私がこの中枢の全エネルギーを解放し、時空の特異点を創出する』とモンテストゥスが言う。
『だが、それは極めて不安定な、いわば時空の傷だ。そのままでは、触れたもの全てを虚無へと引きずり込むブラックホールと何ら変わりない』とガーディアンが補足する。
『そこで、アルカディア・ノヴァの出番です』とアイが引き継ぐ。『新生したエーテロン・リアクターから、位相のずれたエネルギーを放射し、特異点の事象の地平面を固定。ガーディアンの理論に基づき、二つの世界の物理法則を中和する『次元安定フィールド』を形成します。それこそが、異次元への唯一の道筋となります』
複雑怪奇な理論。だが、要はこうだ。モンテストゥスが時空に風穴を開け、その穴が崩壊する前に、アルカディア・ノヴァの力で無理やり固定し、安全なトンネルを作り出す。神々の叡智と俺たちの技術が融合して初めて可能になる、奇跡の航路。
「……面白い。やってやろうじゃないか」
俺は不敵に笑うと、コンソールを握りしめた。
『では、始めるぞ』
モンテストゥスの言葉と共に、中枢の結晶体が、これまでで最も強く、まばゆい光を放ち始めた。その光が、アルカディア・ノヴァの正面、一点へと収束していく。
空間が、歪む。景色が、溶ける。まるで、巨大なレンズで時空そのものを捻じ曲げているかのようだった。
「アイ!エーテロン・リアクター、臨界点まで出力を上げろ!次元の扉を、俺たちの手で叩き破るぞ!」
『了解!エーテロン・リアクター、出力120%。次元穿孔用エネルギー、チャージ完了。』
アルカディア・ノヴァの船体が、心地よい振動に包まれる。新たな心臓、エーテロン・リアクターが、この星の魔素を、未知なる次元への扉を開くための、純粋なエネルギーへと変換していく。
「撃てッ!!」
俺の号令一下、アルカディア・ノヴァの船首から、純白のエネルギー奔流が放たれた。それは、歪んだ時空の、まさにその中心点へと、吸い込まれるように着弾した。
空間が、ガラスのように砕け散る。だが、その向こうにあったのは、漆黒の宇宙ではなかった。赤と青が混じり合い、緑の稲妻が走る、混沌とした色彩の渦。常識的な物理法則が、一切通用しない、異次元空間への入り口だった。
だが、その時、ブリッジにけたたましいアラームが鳴り響いた。
『マスター。ゲートが不安定です。想定を遥かに超えるエネルギー乱流が発生しています。』
「何!?」
混沌の渦の向こう側。その、さらに奥から、俺は「何か」の視線を感じた。それは、敵意ではない。だが、生命という概念では測れない、圧倒的なまでの、巨大な「意思」。
『……感知したか、来訪者よ』
モンテストゥスの声が、俺の脳内に響く。
『ゲートの向こうにいるのは、エネルギーそのもの。この宇宙の理の外に在る、始まりの『揺らぎ』。……急げ。その『揺らぎ』が、我々の存在に気づく前に。道が、完全に閉ざされる前に!』
「全員、衝撃に備えろ!」
俺は、スロットルレバーを、最大船速へと一気に押し込んだ。
「アルカディア・ノヴァ、発進!俺たちの未来を、掴みに行くぞ!」
生まれ変わった鋼の翼は、混沌の渦の中へと、一筋の光となってその身を投じた。その先に待ち受ける運命を、まだ誰も知らない。
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