第211話:星の叡智、鋼の翼
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まばゆい光の奔流が収まった時、俺たちは一瞬、宙に投げ出されたかのような錯覚に陥った。恐る恐る下を見ると、そこには透明な水晶のような素材でできた床が広がっており、その遥か下には、この巨大な生命体の神経網とも思える、無数の光の回路が脈打っているのが見えた。
「なっ……!これは……!」
最初に驚きの声を上げたのは、クゼルファだった。戦士としての彼女の感覚が、この異常な空間転移を敏感に察知していた。
「転移魔法、ですの?古代エルフが使えたという伝説の……」
セレスティアもまた、目の前で起きた奇跡に言葉を失っている。
「アイ。今のは、俺たちの知る転送技術か?」
俺は、この現象の理を冷静に分析しようと試みた。
『基本概念は同じです、マスター。ですが、その精度とエネルギー効率は、アルかディア号の量子転送システムを遥かに凌駕しています。これは、空間そのものを再定義する、より高次の物理法則に基づいた転移です』
アイの分析は、俺たちの科学がまだ到達していない領域の技術であることを示唆していた。
俺たちの目の前に広がっていたのは、先ほどの制御室とは打って変わって、静寂と、そして絶対的なまでの秩序に満ちた空間だった。コンソールも、スクリーンも、複雑な配線も、ここには何一つなかった。ただ、部屋の中央に、天を突くかのような巨大な一つの結晶体が、静かに、しかし圧倒的な存在感を放って鎮座していた。それは、見上げるほどの大きさの、完璧な多面体。表面は磨き上げられた黒曜石のように滑らかでありながら、その内部には、銀河の残骸を思わせる微細な粒子が、まるで琥珀に閉じ込められたかのように、一切の動きを止めていた。
「……これが、制御中枢……」
だが、その神々しいまでの光景とは裏腹に、結晶体は完全に沈黙していた。内部の光は完全に消え失せ、まるで魂が抜けた抜け殻のようだった。エネルギーが、完全に枯渇しているのが見て取れた。
「アイ、分析を頼む。この結晶体の構造と、エネルギーが途絶えた原因を」
『了解しました。……スキャンを開始します』
アイの思考が、俺の腕の触媒とリンクし、結晶体へと向けられる。数秒の沈黙。だが、その数秒が、永遠のようにも感じられた。やて、アイの声が、俺の脳内に響いた。その声には、珍しく、AIとしての限界を認めるかのような、困惑の色が滲んでいた。
『……マスター。……解析、不能です』
「不能だと?」
『はい。この結晶体は、我々の知る三次元の物質ではありません。高次元のエネルギーが、この空間に投影された、一種の『影』のようなものです。そのエネルギー供給は、他次元から行われていた形跡がありますが、その経路は完全に断絶されています。私の演算能力では、これ以上の追跡は不可能です』
アイの言葉は、俺たちに絶望的な事実を突きつけた。この惑星、いや、この宇宙の物理法則の外側からエネルギーを得ていた装置。それを、俺たちの力だけで再起動させるなど、不可能だ。
俺は固く拳を握りしめた。思考が、焦燥の渦に飲み込まれそうになるのを必死でこらえる。アイが「不可能」と断じる。それは、俺たちの持つ科学技術の、完全な敗北宣言に等しかった。
何か手はないのか。俺は、脳内で、ありとあらゆる可能性をシミュレートする。量子力学、超弦理論、次元物理学…。俺が持つ知識の全てを総動員しても、次元の壁を超えるエネルギー供給など、SFの空想話でしかない。 視界の隅で、仲間たちの顔が映る。セレスティアの祈るような眼差し、クゼルファの固唾を飲む表情、セツナの揺ぎない信頼。
そうだ、俺は一人じゃない。そして、俺たちの「知性」もまた、一つではない。ふと、脳裏に、ソラリスでの『鎖の紋章』との戦いが蘇った。あの時、俺たちを勝利に導いたのは何だった?俺の理術、セレスティアの祈り、そして――アイとガーディアン、二つのAIによる共同戦線。そうだ、あの時も、俺たちは異なる知性を融合させることで、不可能を可能にしたじゃないか。
「アイ。シエルのガーディアンに連絡を取ることは可能か?」
『なるほど、その手が。……はい、マスター。可能です。直ちにコンタクトを試みます』
アイの思考が、ナノマシンを媒介として、惑星規模の情報網エーテロン・スウォームを駆け巡る。数秒の沈黙の後、俺の脳内に、あの古く、そして圧倒的な知性を感じさせる声が響いた。
『……アイか。何の用だ』
ガーディアンの声だ。アイは即座に、俺たちが今いるこの中枢の観測データを彼に転送した。
『……なるほど。状況は理解した。汝らが今、その内部で対応しているのは、我が記録に残る、最初の生体惑星環境制御ユニット……その名は『モンテストゥス』』
「モンテストゥス?」
俺は思わず声に出して問い返した。
「ガーディアン、どういうことだ?お前やソラリスのマザーと関係があるのか?」
俺の問いに、ガーディアンは淡々と、しかし、この世界の成り立ちに関する、さらに壮大な真実を明らかにした。
『かつて、この惑星には三体のモンテストゥス級ユニットが存在した。ガリアに住む古の民が『精霊獣』と呼んだものだ。だが、その統合運用が不可能となった時点で、惑星環境制御はより小規模なユニットへと分割、大陸中に再配置された。それこそが、汝らが『遺跡』と呼ぶものの正体だ』
「精霊獣が三体…遺跡はその後継…。」
俺が呆然と呟くと、クゼルファが信じられないといった様子で問いかけてきた。
「カガヤ様、今のは一体…?精霊獣様が…絡繰…?」
「ああ、そんなところだ。俺たちの世界の言葉で言えば、超巨大な生体コンピュータ、とでも言うべきか。そして、かつてこのガリアの地には、それが三体いたらしい」
「まあ……。では、私たちがこれまで信じてきた神話は……」
セレスティアの声が、悲しげに震える。
「いや、君たちの神話は間違っちゃいない。ただ、真実の、別の一面に過ぎなかったんだ。…だが、感心している暇はない。問題は、どうやってこの中枢を再起動させるかだ」
俺の言葉を合図に、俺と三体の超知性AIによる思考の奔流が始まった。俺の脳内に、モンテストゥス、ガーディアン、そしてアイ、三者三様の思考が、光の速さで流れ込み、混じり合い、そして新たな解法を模索していく。
『……やはり、エネルギー源は、次元の狭間から供給されていたようだ。だが、数万年前の事故で、そのゲートが閉じてしまった』
『アルカディア号のワープコアならば、擬似的なゲートを生成できる可能性が……。いえ、コアは融解しています』
『ならば、発想を転換する。ゲートを開くのではない。この中枢そのものを、限定的なエネルギーで再起動させ、自己修復機能を目覚めさせるのだ』
『そのためには、アルカディア号の動力炉を、この中枢の補助エンジンとして直結させる必要がある。だが、そのためには……』
「……アルカディア号を、飛ばさなければならない」
俺は、彼らの思考の結論を、自らの口で紡ぎ出していた。そうだ。結局、全ての道は、そこに繋がるのか。
『来訪者よ。汝の船を、再び空へ還すための『鍵』を授けよう』
モンテストゥスとガーディアンの思考が、一つになった。次の瞬間、俺の脳内に、そしてアイの思考回路に、これまでの常識を覆す、膨大な量の技術情報が流れ込んできた。
それは、グリフォンの生体エンジンを遥かに超える、魔素を直接、推進エネルギーへと変換する、究極の変換理論。そして、アルカディア号の自己修復機能を、外部環境を取り込みながら、自己進化させるための、未知のアルゴリズム。
『これらは、我が父プロレテウスが、次なる進化のために遺した、最後の叡智。汝らの科学と融合させることで、新たな翼が生まれるだろう』
「アイ、急げ!このデータを基に、アルカディア号の修復プロトコルを、再構築するんだ!」
『了解しました、マスター。これより、アルカディア号の、最終進化シークエンスを開始します。』
アイの、これまでにないほど力強い宣言が、この神殿に響き渡った。
それは、絶望の淵で見つけた、あまりにも壮大で、しかし確かな、未来への羅針盤に違いなかった。
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