第210話:微睡む山脈の声
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洞窟の最深部、俺たちが精霊獣の中枢と信じて疑わなかった場所。その中央に、黒い寄生鉱物を剥がされ、本来の輝きを取り戻した巨大な脈動する球体が鎮座していた。その脈動は、もはや苦しみに満ちた不規則なものではなく、深く、大きく、そして穏やかなリズムを刻んでいる。
洞窟全体を覆っていた有機的な壁や床は、その役目を終えたかのように光の粒子となって消え去り、その下から現れたのは、磨き上げられた未知の金属と、淡い光を放つ水晶で構成された、神殿のような荘厳な空間だった。そして、脈打つ球体へと繋がるかのように、俺たちの前には一本の光の道が、どこまでも続く回廊となって伸びていた。
何かに呼ばれている。俺たちは、言葉を交わすことなく、その光の道へと吸い寄せられるように足を踏み入れた。
回廊の先にあったのは、これまで見てきた洞窟のどの区画とも比較にならないほど広大な、ドーム状の空間だった。そして、その中央に鎮座する「それ」を前に、俺たちは再び言葉を失った。
それは、地球連邦の技術さえも遥かに凌駕する、異次元のテクノロジーによって構築された制御装置だった。半球状のコンソール、壁面に埋め込まれた巨大なスクリーン。だが、その全てが、今は深い沈黙に包まれ、その機能を停止させているようだった。
『マスター。これは……』
アイの声が、興奮に震えて響いた。
『この施設の設計思想、使用されている素材、そしてエネルギーの痕跡……。シエルの地下で接触したガーディアンや、ソラリスの『マザー』と同系統の、いえ、それ以上に高度なテクノロジーです』
「ああ。だが、完全に眠っているな」
俺は、制御盤にそっと手を触れた。ひやりとした、生命の温もりのない金属の感触だけが伝わってくる。
「アイ、このシステムを再起動できないか?アルカディア号のエネルギーを一時的に供給すれば……」
俺がそう指示を出し、アイと共にシステムの解析に取り掛かろうとした、まさにその時だった。
突如、ドーム全体が激しく震え、背後の回廊から、これまでとは比較にならない、圧倒的な悪意の奔流が押し寄せてきた。振り返ると、そこには、先ほど俺たちが浄化したはずの心臓部から、黒い瘴気が再び噴き出し、それが実体を持って、一つの巨大な生命体の形を成していく光景があった。
それは、寄生鉱物そのものだった。宿主を失い、自らが最後の宿主となるべく、暴走を始めたのだ。無数の触手が空間を薙ぎ払い、その先端からは、触れるもの全てを腐食させる毒液が滴り落ちる。
「こいつが、呪いの本体か!」
クゼルファが雄叫びを上げて大剣を構える。セツナは音もなくその背後へと回り込み、セレスティアは俺たち全員に防御の光を纏わせた。
「総力戦だ!一気に叩くぞ!」
俺の号令一下、四人の力が再び一つになった。
クゼルファがパーティーの揺りぎない「剣」として先陣を切り、その身の丈ほどもある大剣を獣のように咆哮させながら、薙ぎ払うように迫る黒い触手の群れへと突っ込んだ。一振りごとに空気が断裂するような轟音が響き、数本の触手が断ち切られては黒い体液を撒き散らす。だが、敵の猛攻は凄まじく、彼女の鋼の鎧に毒液が命中し、ジュッ、と嫌な音を立てて白煙を上げた。
「クゼルファ!」
俺の叫びに、セレスティアが即座に反応する。彼女の祈りに応え、聖なる光がクゼルファを包み込み、鎧を蝕む瘴気を浄化していく。その光は、クゼルファの生命力を内側から活性化させ、彼女の闘志をさらに燃え上がらせた。
その光の奔流の中を、一つの影が疾走する。セツナだ。
彼女は、クゼルファが作り出したわずかな隙間を、まるで縫うようにすり抜け、寄生生命体の本体へと肉薄する。その両手に握られた小太刀が、触手の付け根、再生が追いつかないであろう関節部分を、的確に、そして無慈悲に切り裂いていく。
そして俺は、戦場のすべてを俯瞰していた。アイが俺の網膜に投影する、敵のエネルギーの流れ、攻撃の予測パターン、そして仲間たちのバイタルサイン。その膨大な情報を、俺は思考の速度で処理し、最適解を導き出す。
腕の触媒を介して理術を解放し、敵の毒液が描く軌道を、大気の密度を局所的に操作することで強制的に捻じ曲げ、セレスティアへの直撃を回避させる。
激しい攻防が、数分間は続いただろうか。俺たちの連携は、個々の能力を最大限に引き出し、完璧な歯車となって噛み合っていた。しかし、敵の再生能力は、俺たちの攻撃力を、そしてアイの予測さえも上回っていた。切り裂いても、浄化しても、その傷口から瞬時に新たな触手が生まれる。その数は減るどころか、むしろ増しているかのようだった。じりじりと、しかし確実に、俺たちは後退を余儀なくされていく。
「くそっ、このままでは!」
俺が奥歯を噛み締めた、その瞬間だった。
『――来訪者よ、力を貸そう』
荘厳で、しかしどこか機械的な声が、直接、俺たちの脳内に響き渡った。声の主は、目の前の怪物ではなかった。どこからか、俺の脳に直接語りかけてきていた。
声と同時に、制御装置全体が青白い光を放ち、俺たちの身体に、温かく、そして力強いエネルギーが流れ込んでくる。消耗しきっていた体力が、瞬時に全快していくのが分かった。
「この力は……!」
俺の理術が、そのエネルギー奔流によって増幅され、これまで見えなかった敵の弱点を暴き出す。寄生生命体の中心、黒く脈打つ核の存在が、俺の網膜に明確なターゲットとして表示された。
「好機は一度きりだ!全員、俺に合わせろ!」
俺の絶叫が、仲間たちの意識を一つにする。
「セレスティア!君の癒しの力を、最大出力で俺に!」
「はい、コウ!」
セレスティアが祈りを捧げると、彼女の全生命力を注ぎ込んだかのような、神々しいまでの聖なる光が、濁流となって俺へと注ぎ込まれる。それはもはや癒しの光ではなかった。それ以上の純粋な生命エネルギーの奔流だった。
「セツナ!奴の核を、一瞬でいい、無防備にしろ!」
「御意!」
セツナの姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間、寄生生命体の核を覆う幾重もの触手の付け根で、無数の銀閃が同時に煌めいた。一瞬の硬直。絶対的な好機。
「クゼルファ!その剣を!」
俺は、セレスティアから受け取った膨大な生命エネルギーを、俺の理術によって極限まで圧縮・収束させ、クゼルファが天に掲げた大剣の刀身へと叩きつける。
「おおおおおおっ!」
クゼルファの雄叫びと共に、彼女の大剣は太陽そのものを宿したかのような、白く輝く光の刃へと変貌した。
「――行けぇっ!!」
俺の最後の号令に合わせ、クゼルファは増幅された全生命力をその一撃に込め、光り輝く刃を寄生生命体の無防備な核へと、一直線に突き立てた。
断末魔の叫びを上げる間もなく、怪物は光の中に浄化され、その存在は跡形もなく消え去った。
戦いの興奮が冷めやらぬ中、俺はまず仲間たちの無事を確認した。
「クゼルファ、セツナ、セレスティア!怪我はないか!」
三人は、荒い息をつきながらも、力強く頷き返す。その瞳には、死闘を乗り越えた者だけが持つ、確かな輝きが宿っていた。
「ええ、カガヤ様のおかげで……。しかし、先ほどの力は一体……?」
クゼルファが、未だ信じられないといった様子で、沈黙を取り戻した制御装置を見つめる。その問いに答える者は、まだいない。俺は、改めて、この広大な空間と、その中心に鎮座する未知の存在へと向き直った。
「俺は、カガヤ。あんたは、一体何者だ?」
俺の問いに、声は淡々と答えた。
『私は、個体名を持たない。役割として、そう名乗るとすれば、『生体惑星環境制御ユニット』とでも呼ぶべきか』
その言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。アイが、その思考を補足するように、分析結果を告げる。
『マスター。このユニットの自己紹介を翻訳します。彼は、この惑星イニチュム全体の環境――気候、生態系、地殻変動、その全てを監視し、安定させるために創造された、超巨大な生体コンピュータ、そのものだということです』
「なんだって……?」
『私の同胞は、かつて三体いた』と、ユニットは続けた。『我らは、このガリアの地に根差し、それぞれが異なる役割を担うことで、この惑星全体の調和を維持していた。我ら三体を、古の人々は敬意を込めて『精霊獣』と呼んだ』
だが、その調和は、数万年前に起きた、予期せぬ事故によって破られたという。
『他次元との、偶発的な接触……。時空の歪みが、この惑星のエーテロン・ネットワークに深刻なダメージを与えた。その結果、我ら三体のうち二体は暴走し、その機能を完全に停止。あるいは、次元の狭間に消えた。残されたのは、この私だけだ』
「じゃあ、脈動の民は……」
『彼らもまた、その事故の被害者だ。歪んだ時空に飲み込まれ、別の世界線からこの地に転移してきた、旅人たちの子孫。彼らは、本来の機能を失い、ただ沈黙することしかできなくなった私を、『微睡む山脈』と呼び、守り神として敬い、信仰してくれたのだ』
あまりにも、壮大な物語。俺たちがこれまで見てきた、この世界の歪みの、その根源が、今、目の前で明らかになっていた。
『来訪者よ。汝らの力で、私を蝕んでいた寄生体は消滅した。だが、私の機能は、まだ完全ではない。長きにわたる寄生と沈黙は、この身体の奥深くにある制御中枢との接続を断ち切ってしまった。このままではいずれ、このガリア一帯は生命が住むことができない地となるなるだろう』
「そんな……!」
セレスティアの声が、その壮大な事実の前に、か細く震えた。
「カガヤ様、なんとかならないのですか!?このままでは、ガリアの民が……」
クゼルファもまた、息を呑む。俺は、静かにユニットに問いかけた。
「『微睡む山脈』、何か手はないのか?」
『……道は、一つだけ残されている』
その声は、淡々としていながら、どこか俺たちを試すような響きを帯びていた。
『来訪者よ。汝らに、我が最後の希望を託したい。私の中枢……この身体の最も深き場所に眠る制御中枢を、再起動させるのだ』
「制御中枢……。それはどこにある?どうやって、そこへ?」
『長きにわたる寄生は、私と中枢とを繋ぐ道を閉ざしてしまった。だが、汝らならば、あるいは……。覚悟は、よいか?』
その問いは、俺たちの魂の覚悟を問うているかのようだった。俺は、仲間たちの顔を見回した。誰もが、その瞳に揺るぎない決意の光を宿している。
「保証はできない。だが、俺たちがこの星の未来を諦めない限り、道は拓けるはずだ。やれるだけのことはする」
俺の答えに、ユニットの周囲の光が、わずかに温かみを増したように見えた。
『……その言葉、信じよう。では、汝らを我が中枢へと案内する』
その言葉を最後に、俺たちの足元の床が、音もなく光の粒子となって消え、身体がふわりと宙に浮いた。驚く間もなく、俺たちはまばゆい光の奔流に包まれ、この巨大な生命体の、さらに深奥へと導かれていくのであった。
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