第209話:嘆きの洞窟
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脈動の民の集落を後にしてから、俺たちは北へ向かうこと半日。カイが指し示した先には、巨大な山脈が黒々とした影を落とし、その麓に、まるで大地が裂けてできた傷跡のような、不気味な洞窟が口を開けていた。
「ここが『嘆きの洞窟』だ」
案内役を務めたカイの声は、乾いていた。
「俺たちの役目はここまでだ。この先は、あんたたちだけで進んでくれ。……長老は、ああは言ってはいるが、実のところ、あんたたちに賭けたんだと俺は思っている。生きて戻れる保証はないが、もし、あんたたちが本当に『理』を示す者ならば……精霊獣様も、道を開いてくださるだろう」
彼はそれだけを言うと、俺たちに一度だけ、複雑な感情の宿った視線を向け、踵を返して集落へと戻っていった。その背中には、一族の未来を異邦人に託さざるを得なかった、戦士としての深い葛藤が滲んでいた。
後に残されたのは、洞窟から吹き出す、ひやりとした風の音と、俺たち四人だけだった。
「さあ、行くか」
俺の合図に、仲間たちは力強く頷いた。クゼルファが大剣の柄を握り直し、セツナが周囲の気配を探るように身を低くする。セレスティアは、胸の前で静かに手を組み、その身に聖なる光を宿した。俺たちは、覚悟を決めて、その未知なる闇の中へと足を踏み入れた。
洞窟の内部は、俺たちの想像を遥かに超えて、異様だった。壁や天井は、ただの岩肌ではない。まるで血管のように、青や赤の鉱脈が、不規則なリズムで明滅を繰り返している。空気は湿り気を帯び、どこか有機的な、甘ったるい匂いが鼻をついた。
『スティンガー、全機射出。洞窟内部のマッピングを開始。熱源、魔素反応、構造的脆弱性、全てのデータをリアルタイムで共有しろ』
俺は耳元の通信機を通じ、アイに指示を出す。数機の昆虫サイズのドローンが、音もなく俺の背後から飛び立ち、洞窟の闇へと散っていった。すぐに、俺の網膜に洞窟の三次元マップが構築され始めていく。
進むこと数十分。最初の「敵」は、音もなく現れた。
天井から、半透明の粘液に包まれた、無数の触手のようなものが、鞭のようにしなりながら襲いかかってきたのだ。それは、精霊獣の眷属。だが、森で遭遇したどの魔獣とも違う。固定された形を持たず、ただ、純粋な防衛本能だけで動いているかのようだった。
「散開!」
俺の指示が飛ぶより早く、クゼルファが前に躍り出た。
「破ッ!」
大剣が一閃し、数本の触手をまとめて斬り払う。だが、切り裂かれた断面からは、体液の代わりに、まばゆい光の粒子が噴き出し、触手は瞬時に再生してしまう。
『カガヤ様、物理攻撃が効きません!』
クゼルファの焦りを帯びた声が通信機から響く。
『奴らのエネルギー源を断つ!セレスティア!』
「はい!聖なる光よ、その穢れを浄めたまえ!」
セレスティアが両手を高く掲げると、洞窟全体が、温かい光に包まれた。その聖なる波動に触れた瞬間、触手たちの動きが、明らかに鈍くなる。再生能力も、著しく低下しているようだった。
『セツナ!天井の、あの赤く明滅している鉱脈が、奴らのエネルギー供給源だ!それを断て!』
「御意に」
セレスティアの光が敵の動きを封じている、その僅かな隙。セツナが、壁を蹴り、天井へと駆け上がった。その手にした小太刀が、赤い鉱脈の、神経節のように膨らんだ一點を、寸分の狂いもなく正確に貫く。
鉱脈の光が、ふっと消えた。同時に、あれほど猛威を振urっていた触手たちが、まるで陽光に溶ける霧のように、力なく霧散していった。
完璧な、連携だった。
俺たちは、その後も、次々と現れる眷属たちの妨害を退けながら、洞窟の深奥を目指した。壁から突き出す、水晶の棘。地面から噴き出す、酸性の蒸気。その全てが、まるで俺たち異物を排除しようとする、生体の免疫反応のようだった。
進むにつれて、洞窟の様相は、さらに異様さを増していく。壁は、時折、巨大な心臓のように、ゆっくりと、しかし確実に脈打っている。床は、柔らかく弾力があり、まるで生き物の肉の上を歩いているかのようだ。
「……まるで、巨大な生き物の体内にいるみたいだな」
俺が思わず漏らした言葉に、クゼルファが、厳しい表情で頷いた。
「ええ。これほど不気味な迷宮ダンジョンは、私も初めてです。壁も、床も、まるで呼吸をしているかのようで……」
その時だった。俺たちの耳元で、アイの、どこまでも冷静な、しかし、その内容があまりにも衝撃的な分析結果が響いた。
『マスター。クゼルファ様。その考察、あながち間違いではないかもしれません』
「どういうことだ?アイ」
『現在までのマッピングデータ、壁面や大気の成分分析、そして観測される周期的な脈動。それら全てのデータを統合した結果、一つの仮説が、極めて高い確率で導き出されました』
アイは、そこで一瞬、言葉を切った。
『この『嘆きの洞窟』は、89.7%の確率で、巨大な生命体の……消化器官であると結論します』
「なんだって……!?」
俺とクゼルファが、同時に絶叫した。セレスティアも、信じられないといった顔で、自分の足元を見下ろしている。
『先ほどの触手や蒸気による攻撃は、外部から侵入した異物を排除するための、免疫反応、あるいは消化活動の一環と考えるのが、最も合理的です』
「ということは、だ」
俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「俺たちは今、何かとてつもなく巨大な生き物の体内にいる、ということか……?」
俺の問いに、アイは沈黙で肯定した。
洞窟のさらに奥から、これまでとは比較にならない、巨大な脈動の音が、地響きとなって伝わってくる。それは、この巨大な生命体の、心臓の音なのかもしれない。
そして、その音は、俺たちという「異物」を完全に消化し、排除するための、最終プロセスの始まりを告げているかのようだった。ゴゴゴゴゴ……と、洞窟全体が、これまでとは比較にならないほど激しく震え始める。壁の脈動は速まり、床はうねるように波打った。
『壁面から、高濃度の消化酵素の分泌を確認!急いでください!』
アイの切迫した声と同時に、壁の至る所から、ジュウウウッ、と肉の焼けるような音を立てて、緑色の液体が染み出し始めた。それが床に落ちると、石さえも溶かすほどの激しい白煙が上がる。
「くっ、これ以上は進めない!」
クゼルファが大剣で壁を斬りつけようとするが、再生能力は以前よりも遥かに速く、傷口は一瞬で塞がってしまう。俺たちは、狭まる通路と、迫り来る消化液によって、完全に進退窮まった。
『セレスティア!もう一度、光を!』
「はい!」
セレスティアが再び聖なる光を放つ。だが、今度は、ただ闇雲にではない。俺はアイがリアルタイムで解析する、この巨大な生命体の神経網の模式図を網膜に投影していた。
『違う!もっと、エネルギーを集中させるんだ!狙うは、あの神経節だ!』
俺の指示に従い、セレスティアは光を一本の細い光線へと収束させ、俺が指し示した壁の一点を正確に撃ち抜いた。
その瞬間、洞窟の激しい脈動が、ぴたり、と止まった。消化液の分泌も、嘘のように収まる。
『神経を一時的に麻痺させた!今のうちだ!』
俺たちは、再び走り出した。目指すは、この巨大な生命体の、中枢。全ての機能が停止する前に、そこにたどり着かなければならない。
やがて、俺たちは、ドーム状の巨大な空洞へとたどり着いた。その中央には、無数の血管のような管に繋がれた、禍々しくも美しい、巨大な心臓が、不規則なリズムで脈打っていた。その表面には、黒い鉱物のようなものが寄生し、心臓そのものを蝕んでいるのが見て取れた。
「あれが、精霊獣の……病の根源か?」
俺たちの存在に気づいたのか、心臓から最後の免疫反応として、これまでで最大級の触手が、嵐のように襲いかかってきた。
「クゼルファ、セツナ!時間を稼いでくれ!」
「応ッ!」「御意!」
二人が、死に物狂いで触手の猛攻を防ぐ。その背後で、俺はセレスティアに向き直った。
「セレスティア、君の癒しの力と、俺の理術を合わせる。君の力を、俺がナビゲートする。できるか?」
「はい、コウとなら!」
俺は、アイの分析に基づき、寄生鉱物の分子構造を破壊するための、最も効率的なエネルギーの周波数とパターンを特定した。そして、それをセレスティアに伝え、彼女の聖なる光を、そのパターンへと「調律」させていく。
俺の科学の「理」と、彼女の奇跡の「祈り」。二つの全く異なる力が、今、一つの目的のために共鳴し、融合した。
セレスティアの手から放たれた光は、もはや単なる癒しの光ではない。病巣だけを的確に破壊し、生命そのものを再構築する、創世の光線へと昇華されていた。
光が、心臓を蝕む黒い鉱物を貫く。甲高い、ガラスが砕けるような音が響き渡り、鉱物は塵となって崩壊していった。
不規則だった脈動が、ゆっくりと、力強く、そして正常なリズムを取り戻していく。
洞窟全体の揺れが収まり、壁や床を覆っていた有機的な組織が、光の粒子となって消えていく。その後に現れたのは、美しい水晶で構成された、神聖なまでの洞窟の本来の姿だった。
そして、俺たちの目の前に、一つの道が、光と共に開かれていた。
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