第206話: 脈動の民の洗礼
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猛威を振るっていた吹雪は、夜半過ぎに、まるで何事もなかったかのように止んだ。洞窟の外には、分厚い雪に覆われた、静寂の世界が広がっていた。俺たちは、カイの体力が回復するのを待ち、翌朝、再び北を目指して出発した。
カイは、道中、多くを語らなかった。俺たちの問いかけに、ぽつり、ぽつりと答えるだけだ。その横顔には、命を救われたことへの感謝よりも、故郷に「敵」である南の民を連れて行くことへの、深い葛藤が色濃く刻まれている。
焚き火を囲んだ夜、彼は絞り出すように言った。
「精霊獣様の病は、もう何ヶ月も続いている」
その声は、凍てつく夜気の中で白く染まった。
「その影響で、森の主である精霊獣様の眷属たちが、正気を失い始めている。以前は、我ら以外の者がこの森に入ることを許さなかったが、今は、我ら 脈動の民にさえ、牙を剥くことがある……」
「それに乗じて、というわけか」
セツナの静かな問いに、カイは悔しそうに唇を噛んだ。
「……ああ。『樹角の民』が、我らの狩場を荒らし始めた。奴らは、精霊獣様が弱っている今が好機と見て、我らの土地を奪おうとしている。……戦士たちの多くが、奴らとの小競り合いで、命を落とした」
それが、この地に渦巻く「部族対立」の真相だった。絶対的な守護者が病に倒れたことで、これまで保たれてきた力の均衡が、崩れ始めているのだ。
カイの案内で、さらに数日が過ぎた頃。俺たちの目の前に、巨大な魔獣の骨で組まれた、巨大な門が現れた。その先には、獣の皮でできた、大小様々な円錐形の天幕が、いくつも立ち並んでいる。 脈動の民の集落だ。
「……着いた。ここが、俺たちの……」
カイの言葉は、集落から飛び出してきた、数人の若い戦士たちの、鋭い声によって遮られた。
「カイ!無事だったか!」
若い戦士の一人がカイに駆け寄り、その肩を強く叩く。仲間との再会を喜ぶ、荒々しいが心のこもった挨拶だ。だが、その安堵の表情は、カイの後ろに立つ俺たちの姿を認めた瞬間、たちまち厳しいものへと変わった。
「……カイ。その者たちは?」
訝しげに問いかける戦士。その隣で、別の戦士が信じられないといった顔で叫んだ。
「まさか……お前、南の民をここまで連れてきたというのか!」
その言葉が引き金となり、戦士たちは一斉に武器を抜き放ち、その切っ先を俺たちへと向けた。
彼らの視線には、俺たち南の民への、剥き出しの敵意と警戒が満ちている。
「待て……早まるな!」
カイは、仲間と俺たちの間に、自らの身を割り込ませるようにして叫んだ。その声は、必死さと、そして隠しきれない葛藤に震えている。
「……分かっている。こいつらが、南の民だということは……!だが、話を聞いてくれ!俺は、こいつらに命を救われた。……それだけじゃない。もしかしたら……もしかしたら、精霊獣様の病も、治せるかもしれんないんだ……!」
カイが必死に説明しようとするが、戦士たちは聞く耳を持たない。その瞳には、仲間への安堵よりも、裏切り者を見るかのような、冷たい光が宿っていた。
「何を馬鹿なことを!南の民が、我らが精霊獣様を治せるだと!?巫山戯るなよ!」
「カイ!お前、南の民に誑かされたのか!それでも、 脈動の民の戦士か!」
矢継ぎ早に浴びせられる、仲間からの詰問。カイの顔が、悔しさと、自らの無力さへの怒りに、赤く染まっていく。言葉に詰まり、反論しようにも、仲間たちの敵意に満ちた視線がそれを許さない。
(長老……、長老様ならば、きっと話を聞いてくれるはずだ……!)
最後の希望にすがるように、彼はただ唇を噛み締め、俯くことしかできなかった。
その、一触即発の空気を切り裂いたのは、凛とした、老婆の声だった。
「――そこまでじゃ」
戦士たちが、はっとしたように道を開ける。その先に立っていたのは、杖をつき、顔に深い皺を刻んだ、一人の老婆だった。小柄な身体とは裏腹に、その瞳には、この部族を長年導いてきた者だけが持つ、揺るぎない威厳と、深い叡智の光が宿っていた。
部族の長老であり、巫女でもある、エダ。
「長老様……!」
カイの顔に、安堵の色が浮かんだ。長老様ならば、きっと。
だが、その期待は、次の瞬間、絶望へと変わった。エダは、俺たちを一瞥すると、その冷徹な瞳で、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで、断罪の言葉を口にしたのだ。
「その者たちが、南の呪い師か。……カイよ。お前は、自らの手で、この地に災厄を招き入れたのじゃ」
「ち、違います、長老!この者たちは……!」
「お黙り。」
エダの静かな一言が、カイの言葉を封じ込める。
「その者たちを、捕らえなさい。聖なる精霊獣の嘆きが鎮まるまで、生贄として、牢に繋いでおくのじゃ」
その、あまりにも非情な宣告に、クゼルファが、大剣の柄に手をかけた。セツナもまた、その身を低くし、いつでも動ける体勢を取っている。
だが、俺は、そんな二人を通信機から小声で制した。
『――抵抗するな。今は、従うんだ』
俺の、あまりにも意外な指示に、二人が戸惑うのが分かった。だが、彼女たちは、俺の言葉を信じ、その闘気を、静かに収めた。
俺たちは、 脈動の民の戦士たちに囲まれ、なすすべなく、集落の奥にある、岩をくり抜いて作られた、粗末な牢へと押し込められた。
ゴォン、と地響きのような鈍い音を立てて重い木の扉が閉ざされる。一瞬、完全な闇が俺たちを包み込んだ。やがて目が慣れてくると、粗末な扉の隙間から、松明か月の光か、頼りない光が筋となって差し込んでいるのが分かった。牢の中は岩をくり抜いただけの殺風景な空間で、ひんやりとした湿った空気が肌を撫で、苔と土の匂いが鼻をつく。
こんな状況の中、俺はこの理不尽な状況を冷静に分析していた。
なぜ、あの長老は、俺たちの話を聞こうともしなかったのか。彼女の瞳の奥に宿っていたのは、単なる偏見だけではない。もっと深い、何かへの「恐怖」だった。
一筋縄ではいかないだろう、そんな何かを感じずにはいられなかった。
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