第23話:聖樹の雫と守護者
お読みいただき、ありがとうございます。
しばらくの間は、朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)
聖樹の雫を求めて、俺とクゼルファが魔乃森のさらに奥深くへと足を踏み入れてから、二日が経過した。
世界の様相は、一変していた。これまで歩いてきた森が、まるで手入れの行き届いた庭園であったかのように思えるほど、この領域は異質で、そして危険に満ちていた。
木々の幹は、まるで煤に汚れたかのように黒ずみ、枝は奇怪な形にねじ曲がっている。地面を覆う苔は、不気味な紫色に発光し、俺たちの足元をぼんやりと照らし出していた。
《マスター、警告します。このエリアに生息する魔獣のエネルギー反応は、これまでの個体と比較して平均値が3.4倍に上昇しています。警戒レベルを引き上げてください》
脳内に響くアイの警告に、俺は頷き、隣を歩くクゼルファに視線で注意を促す。彼女も、この異様な空気を感じ取っているのだろう。その顔には緊張が走り、握る大剣の柄には、ぐっと力が入っていた。アイの分析通り、この森の深奥部に生息する魔獣は、明らかに「格」が違った。知能が高く、狡猾で、そして何よりも、その身に宿す魔素の量が桁違いだ。
その時だった。
《マスター、前方、高低差のある岩場の上部に熱源反応。擬態型の魔獣です》
アイの警告とほぼ同時に、クゼルファが叫んだ。
「上です!」
見上げると、岩肌と同化していた巨大なトカゲ型の魔獣が、その大きな口を開け、粘着性の高い糸を俺たちめがけて吐き出してきた。俺は即座に斥力フィールドの結界を展開し、糸を防ぐ。だが、糸は結界に張り付き、その粘着力で俺たちの動きを封じようとしてくる。
「クゼルファ、足を狙え!」
「はい!」
俺の言葉に、クゼルファは即座に反応した。俺が結界で敵の粘着糸を防ぎ、注意を引きつけている、その一瞬の隙を彼女は見逃さない。岩壁を強く蹴って跳躍すると、空中で身を翻し、魔獣の死角からその太い脚に大剣で斬りつけた。
体勢を崩した魔獣が岩場から滑り落ちてくる。俺はすかさず斥力スピアを形成し、その眉間に深々と突き刺した。
俺の科学が生み出す防御と機会、彼女の剣技がもたらす必殺の一撃。俺たちが言葉を交わしたのは一瞬。だが、その連携は、もはやぎこちなさなどなく、互いの動きが自然に連動していた。
魔の森の深奥は、昼なお暗く、生命の気配が希薄だった。踏みしめる腐葉土は湿り気を帯び、時折聞こえるのは、風が不気味な形にねじれた枝を揺らす音だけだ。普通の獣はもちろん、下級の魔獣すら、この領域を避けているようだった。
《マスター。目標のエネルギーシグネチャ、増幅しています。方位、11時方向、距離およそ800》
脳内に響くアイの冷静な声だけが、その方向が正しいことを示してくれる唯一の道標だった。俺とクゼルファは、言葉少なにもう半日近く、弱肉強食の掟だけが支配する魔獣たちの領域を進んでいた。
「なあ、アイ。このエネルギーってのは、本当に薬草なのか? 何かの強力な魔獣の巣とか、そういう可能性は?」
《否定はできません。ですが、これまでに収集したこの世界の植物データと照合した結果、薬効成分を持つ植物が特異なエネルギー、すなわち魔素を宿す傾向にあることは確認済みです。その中でも、今回のパターンは極めて特異かつ強力。伝説級の素材である可能性は高いと判断します》
進むにつれて、森の様相はさらに異様さを増していく。木々の幹は黒く、まるで石炭のようだった。なのに、その枝葉は不気味なほど青々としている。明らかに異常な生態系。この森全体が、何か巨大なエネルギー源の影響下にあることを示唆していた。
《エネルギー放射量、急上昇。間もなく目標エリアです》
アイの報告と同時に、空気が変わった。
それまでの重く淀んだ空気が嘘のように、澄み切った清浄な空気が鼻腔をくすぐる。どこからか、微かな花の蜜のような甘い香りさえした。
そして、俺たちはそれを見つけた。
巨大な岩と、天を突くような古木の根が絡み合ってできた、天然のアーチ。その向こう側から、まるで呼吸するかのように、柔らかな青白い光が漏れ出している。
「カガヤ様……あれは……」
隣を歩くクゼルファが、ゴクリと喉を鳴らす。俺たちは、どちらからともなく頷き合い、吸い寄せられるようにその光のアーチをくぐり抜けた。
視界が開けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、まさに「秘境」と呼ぶにふさわしい光景だった。
木漏れ日が降り注ぐ、柔らかな苔に覆われた広大な空間。そして、その大地を埋め尽くすように、無数の植物が自生している。深緑の葉脈に沿って、青白い光の粒子が脈動するように明滅し、辺り一帯を幻想的な光で満たしていた。一つ一つが、まるで小さな銀河を内包したかのような輝きを放っている。
その神秘的な光景に、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「あ……ああ……」
俺が振り向くと、クゼルファはそこに膝から崩れ落ち、両手で顔を覆っていた。指の間から、嗚咽と大粒の涙が止めどなく溢れ出している。
そりゃそうか。彼女にしてみれば、あるかどうかも分からなかった、幻の薬草なのだから。絶望の淵で掴んだ、たった一本の蜘蛛の糸。それが今、目の前に広がっている。
「これが……聖樹の雫……」
震える声で感嘆の声を漏らすクゼルファの横で、俺は冷静にアイの報告を聞いていた。
《マスター、分析結果を報告します。これらの植物群は、極めて高濃度の魔素を内包。さらに、魔素とは異なる、第二のエネルギーフィールドを形成しています》
〈第二のエネルギー? 魔素とは別の?〉
《はい。この第二のエネルギーは、既知のいかなる物理法則でも分類不可能な、特異な波形パターンを示しています。これは単なるエネルギーの流れではありません。まるで、それ自体が膨大な情報を内包し、処理しているかのような……極めて複雑な情報構造体です。このエネルギーフィールドが、この地の生命体の発生や進化に、何らかの形で深く関与し、特異な生態系を形成する要因となっている可能性があります》
アイの報告が脳内に響く。
情報を持つエネルギー……。アイの報告は、俺の科学者としての常識を、いとも容易く打ち砕いた。生態系そのものに影響を与えるエネルギーなど、俺たちの知る物理法則では説明がつかない。この星の生態系の謎。その根源が、今目の前で観測されるこの不可解なエネルギーにあるのかもしれない。その可能性に思い至った瞬間、畏怖にも似た戦慄が背筋を走った。
俺は、聖樹の雫の群生に見入って動けないでいるクゼルファに声を掛けた。
「クゼルファ、大丈夫か?」
「は、はい……。大丈夫です。ただ、あまりにも美しく、そして……信じられなくて。本当に、これが……」
クゼルファは、涙を拭いながら、それでも聖樹の雫から目を離せないでいた。
「そうだな。すごいな、これ……」
俺は改めて聖樹の雫を見つめた。これほどの数が自生しているのなら、クゼルファの知り合いの少女を救うだけの量は十分に確保できるだろう。まずはその特性を確かめるためにも、一本採取してみようか。
そう考え、近くの聖樹の雫に手を伸ばし、その光る葉に指が触れようとした、その時だった。
グオオオォォォ……!
突如として、大地が震えるような低い唸り声が響き渡った。聖樹の雫の光が一斉に揺らめく。群生地の奥、森の淵から、巨大な影が二つ、ゆっくりと姿を現した。その歩みは、地響きを伴う巨岩の移動のようだった。
体長はクエイク・ボアをはるかに凌駕し、その全身は苔むした岩のように硬質な皮膚で覆われている。額から突き出た鋭利な角は禍々しい魔力を帯び、洞窟のように暗い眼窩の奥で、深紅の瞳がこちらを睨みつけていた。身の丈は3メートルに届こうかという巨体。地球の日本のおとぎ話に出てくる鬼そのものだ。その威圧感は、これまで遭遇したどの魔獣とも比較にならない。
二体の巨人は、俺たちを前に、聖樹の雫の群生を守るように立ちはだかった。
「まるで、この場所の守護者だな」
ふと、俺からそんな呟きが出る。
「大鬼……! まさか、古文書に記されているだけの幻の魔獣が、本当に……」
クゼルファの声は、恐怖で引きつっていた。
《マスター、警告します。極めて強力な敵性生命体です。このエリアの高濃度の魔素と特殊エネルギーに適応し、独自の進化を遂げた個体と推測。クゼルファの呼称から、彼らの文化では『オーガ』と呼ばれる高位魔獣である可能性が高いです》
アイの警告が、オーガの危険性を裏付ける。このまま戦闘になれば、せっかくの聖樹の雫を巻き添えでダメにしてしまうかもしれない。
「クゼルファ! 悪いが、こいつらは森に誘い込むぞ!」
俺はそう叫ぶと同時に、踵を返して森の奥へと走り出した。
〈アイ! サポートを頼む! 奴らを足止めする方法と、急所を割り出せ!〉
《了解しました、マスター。経路最適化、対象の構造解析を開始します》
頼もしい声が脳内に響く。背後から迫る巨大な魔獣の咆哮と、地を揺がすような足音を感じながら、全力で木々の間を駆け抜けた。クゼルファも、俺の意図を即座に察し、迷わず俺の後に続く。
俺と彼女の連携は、もはやぎこちなさなどなく、互いの動きが自然に連動していた。この絶望的な状況で、その事実だけが、俺の心を少しだけ軽くした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




